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日本歴史紀行

北海道偉人史 7 島 義勇



島 義勇 像


北海道札幌市中央区宮ヶ丘、北海道神宮正殿前


島 義勇は、札幌市の開拓の父として敬愛されている人物です。

1869年、明治2年6月27日、箱館戦争の旧幕府軍の降伏により戊辰戦争が終結、明治新政府による政権運営が始まります。

7月、新政府は東京に開拓使を設置、8月には松浦武四郎の建白により、蝦夷地の名称から北海道へと改称され、9月1日に明治天皇の詔(みことのり)により北海道鎮座神祭が行われ、大國魂神、大穴牟遅神、少彦名神が開拓三神として祀られます。


1869年明治2年9月21日、旧佐賀藩士の島 義勇(よしたけ)は、開拓使、開拓判官として北海道へ渡り、開拓三神の御霊代を背負って函館から小樽の銭函村へ、さらに12月、当時未開の原野だった現在の札幌に入りました。


島は、アイヌ人にコタンベツの丘と呼ばれる高台に案内されます。そして未開の森の札幌の地を見下ろせる高台こそ開拓三神の鎮座の地に相応しいと考えました。


現在の札幌の地に大望を持って都市計画に挑んだ島でしたが、厳冬の北海道で、開発は島の思い通りには進まずに予算を使いきり、三ヶ月で解任され北海道を去ります。


島は、秋田県令等を勤めた後に憂国党を結党し、故郷の佐賀で、元参議江藤新平や不平士族達と共に反乱(佐賀の乱)を起こしますが敗れ、梟首刑となりました。

ただ、国家犯罪人として処刑された島でしたが、石狩平野を見下ろして、その中心に位置する場所に札幌本府を設置して開拓を進めようと志した島の大局観は、その後の開拓の経緯から正しかったといえます。

1889年、明治22年、大日本帝国憲法公布に伴う大恩赦が発布され、島の名誉が回復され、1916年、大正5年には従四位に列せられました。



島は、昭和13年に開道70周年を迎えた北海道神宮の境内に創建された開拓神社の祭神の内の一柱に選ばれています。




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