黒田清隆 像
北海道札幌市中央区大通公園 10丁目
札幌大通公園に立つ黒田清隆像です。
黒田は、函館戦争で官軍として幕府軍と戦ったことが北海道との関わりのはじめでした。
黒田が官軍指揮官として、旧幕府軍を包囲すると、敵将の榎本武揚が肌身離さず携帯してきた海律全書を、これからの日本に無くてはならない本であると、戦火で灰にするには忍びないと、指揮官の黒田に託されたことが、榎本との交流の始まりでした。
幕府軍を指揮して最後まで抵抗した榎本を処刑するべきとという声が上がる中、黒田は剃髪までして榎本の助命を嘆願し、認められました。
時代が明治になり、黒田は北海道の開拓を担う開拓使次官、後に開拓長官として、開拓事業を指揮しました。 アメリカの農務長官、ホーレス・ケプロンら、いわゆる御雇い外国人らを招聘して北海道の農、産業から土木、さらに生活環境に至るまであらゆる技術や知恵を取り入れて開拓に生かしました。
後に黒田は東京に戻り、北海道開拓の中心人物から、第2代内閣総理大臣となります。
函館戦争で戦った幕府軍の榎本武揚を助命するために丸刈りになって嘆願する等、義理人情に熱い一面をみせ、黒田が亡くなった際に、葬儀委員長を務めたのは、出身地の薩摩藩関係者ではなく、黒田に助命され、新政府の外務、逓信大臣の要職を歴任した榎本武揚でした。