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日本歴史紀行

偉人の言葉 10  弘法大師 空海  空海~達襯(たっしん)の文~


東寺〜弘法大師像




空海~達襯(たっしん)の文~


哀しい哉(かな)哀しい哉

哀れが中の哀れなり~

悲しい哉 悲しい哉

悲しみが中の悲しみなり

哀しい哉 哀しい哉 復(また)哀しい哉

悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉




空海が甥で一番弟子の智泉を亡くした後に慎んで記した文です。

智泉は、空海がまだ僧侶の資格すらない私度僧として山岳修行に明け暮れる中で空海に仕えました。

空海の最初の弟子となり、空海が唐へ渡り、真言密教の奥義を取得して帰国すると再び空海に仕え、空海の手足となって高野山を開くために奔走する中で倒れ、還らぬ人になりました。

密教を極め、帝から信を得て、官寺〜東寺(教王護国寺)を託されるほどの傑物となろうとも、身近な甥の死は、空海を深い悲しみに落としました。




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