つれづれなるままに

不定期に自分勝手な思いを書きなぶります。

上棟式(家をつくる)

2013年02月19日 | 日記
次男が自分の家を建てることになり、
土地探しから始まり紆余曲折がありましたが、新築することになった。
一生に一度あるかないかの大仕事である。頑張れ息子!!!

先日、その家の上棟式があり、妻と豊川市まで出かける。
久しく聞いていない木槌の「トーン・トーン」という音が非常に心地よかった。
だんだんと立ち上がっていく建物を見て建売住宅と違うなと痛切に感じた。
最近は家を作ってもハウムメーカー製ばかりで上棟式をするのを見たことがなかった。
母が亡くなって2週間のため、ただ見ているだけ。
でもとても嬉しかった。
上棟式も餅まきも棟梁がすべて取り仕切ってくださった。
又、嫁の実家が非常に骨折ってくれ、何から何まで助けていただいた。
皆さん本当にありがとうございました。

無事に上棟式も終わり、お疲れのところを実家のご両親をお誘いして
家族で一緒に楽しく食事をしました。
孫(1歳半)のお立ち台での踊りにみんなで大笑い。
久しぶりに明るい・楽しい・嬉しい時を過ごすことができました。

皆さん本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




母を送る結果になりました

2013年02月10日 | 日記


闘病生活中で頑張っていた母が節分の早朝に亡くなりました。

昨年7月に緊急入院・開腹手術をしてから半年以上になります。
山あり谷ありの入院治療でした。
いろいろブログにも書かせていただきました。
88歳の米寿を正月に迎え、家族みんなでお祝いができました。
自分にできることはしてやれたと思っています。
母と生前に2つの約束をしていました。
 1.故郷の淡路島で葬儀をして送り出すこと。
 2.香典・お供えはご辞退すること。
故郷に送る方法は以前から決めていた斎場から片道4~5時間かけて迎えに来てもらう。
迎えの時間まで病院に事情を話、別途病室で預かってもらう。
その間に自分の荷物を準備して一緒に病院から淡路へ帰る。
病院のご協力・斎場の迅速な対処により早い時間に帰郷できました。
朝、9時過ぎに病院を出発して淡路に14時前に到着したので、
お願いして母も一旦淡路の自宅に帰ることができました。
親類縁者の方々が帰りを待ってくれていました。
  これで故郷での葬儀は約束どうりできます。

香典お供えは連絡した時に「母との約束で」を付け加えてお話すると
大半の方はご理解をいただけた。
が、田舎のこともあり、そうでない方も見え妥協策として
母が大好きだった花を飾ってもらうことにしました。
おかげで大変華やかな祭壇になりました。
  香典お供えはご辞退できました。

通夜の日は母の好きな演歌を流しぱなしにし、
葬儀葬送の時に母の大好きな氷川きよしの歌を流してもらいました。
お別れのときも涙腺の弱い私以外はそう悲しまずにすみました。


今回、母を送るに際していろいろな方にお世話になりました。
ただ感謝あるのみです。
 1.病院で4~5時間預かっていただけたこと。(通常冷暗所で1~2時間程度)
   葬儀で淡路に帰る事情を説明し、病院がご理解してくれて別病室で
   送迎車が来るまで5時間近くも預かっていただけたこと。
 2.淡路から4時間以上かけて迎えに来てくれた葬儀屋さん。
   それも早朝4時半過ぎの依頼で。
 3.お寺さんで49日の法要までお預かりいただき供養していただけること。
   お寺さんとお墓が淡路にあり、位牌と遺骨を持ち帰っても
   家ではお寺さん(宗派)がなく供養できない。

母との約束もありましたが経験できることでもないし、知識もありません。
淡路で送ること自体がうまくできるかいろいろ考えました。
結果は、思い悩むよりも病院・葬儀屋さん・お寺さんに
こちらの思いを話し伝えることが第一で
その結果で進めていけばよいのだと痛切に感じました。
母の入院から葬儀までの間、私なりにいろいろ教えられました。
これも母のおかげかな。88年の長い間お疲れ様、ありがとう。