みっかぼうず。

ものぐさ&ぐ~たら三日坊主の、ドラマ・映画・本のオボエガキ&おりおりの記録。

オトナの世界への入り口は。

2008-08-16 10:44:11 | 本・コミック
幕末薩摩を遊泳中。『翔ぶが如く』を読み始める。
司馬遼太郎、彼の小説は『国盗り物語』以来2作目。
すごく難しい印象と、すごくわかりやすい印象が混在。
というのも、最初に読んだのが小学校5年生だったから。

ちょうど歴史に興味を持ち始めていた時期だったこと、
お正月から大河ドラマで『国盗り物語』が始まったこと、
そして、父が司馬ファンで身近に本があったこと。

もろもろの理由で分厚い2冊をおぼつかないながらも読んだ。
平幹二郎扮する松波庄九郎(後の斉藤道三)のキャラクターは
子どもにも強烈で、彼の素行を中心に読んだ・・・が。

この庄九郎、目的の為ならばどんな手段も選ばない。
その一つが、女性を落とすこと。
なのに、彼は小坊主上がりだったので、策略家の癖して
女性経験は皆無。
それを補うべくあの手この手、そして補えた後もあの手この手・・・。

その様子がかなりリアルな描写でかかれていた。
何も知らなかった11歳は、庄九郎の権謀術策と同時に
天地がひっくり返ったような気分で
その編の所を拾い読みしていった(爆)
私をオトナにしたのは、司馬センセイ。

ただ、今から思い返せば、男性視点120%ながらも
官能的ではあっても、淡々としていた。
だから、ああそうなのか、だからこの人たちはこうなって
そうなるんだ、と子ども心にもすんなりと
あくまで物語の一部として入っていた。
この点、最初にいきあったのが司馬作品だったことが
今となってはすごくありがたい。
好奇心を満足させてくれると同時に、特別なことではないことを
おぼろげながら教えられたような気がする。
人間にはいろいろな関わり方があるんだ、
とはっきり思ったかどうかはともかく、
それに似た気持ちで、小学生の私は前後編2冊を読破した。

子どもの頭には、むしろ、諸侯の政治的なやりとりが
感覚が違いすぎて、複雑でわからなかった。
でも、大きな歴史の流れは理解できたと思う。
だからすごく難しい印象と、すごくわかりやすい印象、
両方を未だに持っているのだ。

あれから30数年、40半ばを過ぎた中年おばんになった今
再び司馬作品を手にしてみて、
どういう印象を持つだろうと、内容もさることながら
自分へちょっと興味があって楽しみなのだ。
いまのところ、数ページ読むと船をこいでいる有様だけれど(笑)


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