台湾には寺院が多い。その場所に昔からあったのだろうが、周辺が開発されたあと次々とビルが建っていった。
その結果、結構 派手な色彩装飾の寺院はコンクリートハコモノにかこまれてしまい相互の調和はあまりない。
しかし、騒然とした都会にあって人々の信仰心は厚い。ご飯や果物、雑貨などのお供え物(付近の出店で調達)を携え、早朝からお寺詣りの列は途切れない。
50cmほどの長い線香を両手で額にかざして経文を読み唱え、ひたすら祈る。年寄りも若い人も男も女も。
台湾は、オランダによる植民地時代、清国、日本軍の統治を経て中国の強い影響下、政経分離の今日まで、いくつかの民族を内包しながら必ずしも平たんではない歴史を経験してきている。
その情勢は今も続く。大国の動向を気にして、その影響を否応なく常に受けながらも、自らを失うまいとするひたむきさがある。
(国民感情は親日である。日本人はやさしい、礼儀正しい、統治時代も侵略的でなく台湾の復興、建設に尽力してくれた等、中国との比較でよく話される)
さて、国情がどうであろうと 日常の国民生活は継続していかなければならないことは、古今東西いずこも同じであるが、「まつりごと」が定まらないとき、民は、自ら自治能力を発揮するしかない。
ときにその役割を寺院は負うこともあった、のだろう。
それらは、たんに個人の精神の安定、信仰にとどまらず、争いごとの裁定、地域振興など、人が存在するから発生するもろもろ全てを 円滑にコントロールする機能まで備えたに違いない。
冠婚葬祭を取り仕切る程度だとしたら、毎日、これだけ多数の集中心が発揮されることはないだろうから。
なお、お祈りは、どこのダレ、をはっきり名乗り、例えば、金○○円欲しい!、と明確に祈念しなければいけない、そうだ。
以上、見たり 聞いたり、勝手に推測したり・・・(続く)
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