日本のむかしの夏は8月で終わり、9月に入ると、鮮やかな夏が遠のくことに 少し寂しい思いをしたものだ。かまびすしいセミの声が いつしかムシの鳴き声に代わり、日中の日射しに汗ばむほどの日があったとしても、太陽の傾きに 風のおとに 空気の感触に 秋の気配を感じた。
季節は律儀であった。
それがどうだい、昨今の四季は!遠慮もなければメリハリもない!律儀なんざぁどこぞに置きっぱなしだ。大きなカオで、好き勝手にやりたい放題、残暑、ザンショ、猛暑、モーショ
夜になっても気温30度がさがらず、湿度もたか~い、昨日も今日も明日も 熱帯夜かよ、これでは身体が発酵してしまう。
酒を造ってるんじゃないんだから、まったく・・・・ブツブツブツ・・
たまに東京などへ行くと、耐えられない。騒音、排ガス、ビルや舗装道の照り返し、熱風。
そして驚くべきことに、その環境下、背広 ネクタイ姿で歩くサラリーマンの群れ、、
サイボーグか?
個人の思わくや事情は詮索しないが、ともかくこの状況はどう考えても、不自然だ。
極度に人造化した大都市は いずれ大転換せざるを得ないところまで行き着いてしまったのではないだろうか?
この頃は夏の電力不足を云わなくなった。
世界が原子力発電の見直しやら縮小傾向のなかで、日本は有数の原発立国になった。原発のおかげで電力も充足したのだろうか、それとも原発推進のために「電力不足」のアドバルーンをあげていたにすぎなかったのだろうか?
我が国は、いろんな面で実験場にされることがあるから 真相はわからない。
いずれにせよ 都会には、もう自分が住めるところは無い、住みたいとも思わない、だから用事を済ますと直ちに退~散。
かんわきゅうだい・・
雑草とサツマイモはみごとに共存した。ヤーコンやサトイモは背が高いから雑草が繁茂しても悪い影響は受けないが、地面を這うサツマイモは雑草に負けてしまう懸念があったのだ。しかし、旺盛なエノコログサやメヒシバとともにツルを伸ばしたサツマイモの葉は大きい。
雑草を茂らすことで畑は自然界の一部となり、テントウムシや蜘蛛が、アブラムシなどの害虫(と勝手に人間が定義している)を食べる自然のサイクルが形成されるので、農薬は不用になる。
(転載’10、09、01記事)