昭和45年入学組通信

日本大学芸術学部演劇学科同期生の近況情報

五島列島・芝居小屋・中国演劇

2009-10-19 21:15:36 | 先輩後輩仲間
今年の同期会の席上、原一平君から一冊の本が紹介された。

松原剛先生がお書きになった私家版「五島列島・芝居小屋・中国演劇」だ。
 


松原先生に許可はもらっていないが、本の「序に代えて」をご紹介したい。

  「序に代えて」

 いきなり私情を吐露する失礼を、私家版に免じてご寛容いただきたい。
 本年4月、胃癌のの外科手術を受けた。当初は早期ガンとのことで、内視鏡カメラでポリープ摘出との話しであったが、あちこち精密検査の結果、四分の三を切除しての摘出、加えて数十年来抱えていた胆石の親指大も同時摘出するという、七時間に及ぶ大手術であった。ガンの出来所が胃体上部であったため、残された胃袋に食道の下から小腸につなぐ縫合も順当にすんだようだった。
 手術当初、退院は二週間後になるだろうとのことだった。ところが延長が重なり、入院生活は三十七日に及んだ。
 仰向けに、天井ばかりを見ていた病室で、古い昔のことばかりが思い浮かんだ。
 満十八歳になったのを機に、炭鉱労働者の世界に身を投じ、ふるさとの島を去って六十年の歳月を数える。点滴のみで排泄との闘いに呻吟しながら、もうここいらでいいか、と弱気になったり、周囲に励まされて、何クソ!、ガンに負けてたまるかと奮起したりの毎日であった。退院したら何をするか。そんなに延命を願うわけにはゆかない。黙って去るのも忍びがたい。どんな仕事をしてきたのか、知る人も少ない。多くの学生と接してきた。学外の多くの知人との交流も密であった。しかし私の仕事を充分に傳えてきたか、大変な疑問であった。ならば六十年の仕事の中からこれだけは傳えておきたいという気持ちの高まりが、この私家版発行の結論であった。

 私家版の小冊子ぐらいのものしか発行できないが、中味に何を選ぶかで迷いに迷った。
 定年後、多くの時間を費やしたのが、生まれ故郷の五島列島に関する諸事項であった。
 在京のあらゆる組織に参加し、その運営、事業に積極的な運動を展開したと自負する。先ず第一章にまとめた。
 次の選択は昭和四十年(1965年)に始まる、芝居小屋の調査研究である。これは四国金毘羅大芝居(旧金丸座)の解体、復原の作業をつぶさに見るうち、方向が決まったといえよう。後に全国芝居小屋連絡協議会の運営に参加し、現在を見るわけだが、やや具体的な運動推進の域が鮮明に見えない昨今、原点に返り、日本文化の一翼を背負っている気概を堅持して、過疎化の地方で活性化の起爆剤であってほしいとの願いである。
 第二章「甦れ芝居小屋」である。
 第三章は「日本芸能のルーツ・中国古典芸能」である。
 1979年12月28日、満五十歳を目の前にして、初めて中国に渡った。文化大革命が漸く収束して二年目、中国演劇界も壊滅の状態から立ち上がろうという矢先であった。
 爾来三十年、六十回にも及ぶ渡航は、ワタシの意志をどう捉えたのか。中国に魅了されちまったのは何故だったのか。今もシカと解答は出ていない。事ある毎に中国との交流となれば一度の敬遠もなしに、関わりあった三十年ではあった。全記録をまとめることができたら、何故中国と、の問いにもおのづから解答がでてくるだろう。その解答にはもう少し時間が必要だろう。その一端でも知ってもらいたいのが、第三部である。
 各部のはじめに筆者の言い訳を記載したので、先づご理解いただきたい。
 時間がないので、と言い逃れるわけではないが、退院後も胃癌患者の日常は、本人にしかわからない忍従の日が続く。結果として、過去発表した小論の記載に多くのの紙数を費やし、多くの資料からの転記や、友人の筆も借りることになり、慙愧と感謝の念が交錯する。
 私の身近の人にのみお読み願いたい気持ちで、この小冊子をお届けしたい。

                               平成二十一年九月  松原 剛





お読みになりたい方は、演劇学科(03-5995-8260)原一平君に電話でお願いしてください。頒価は1000円です。
尚、電話では「一平ちゃん居ますう?」なんてくれぐれも言わないように。
「原先生」ですからね、老婆心ながら一つよろしく。


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