激! 穴欣歌劇団!!!!

 あぁ、ついにやってしまった・・・。穴欣って・・。
姉さんこんなのでどすか?

7月最後の更新

2010-07-31 20:02:44 | Weblog
 すげぇ!3連続更新だ。夏真っ盛りなのですが

ワシは例によって冬が恋しくて仕方がありません。

まぁ、夏は暑いから夏なんでこれで良いんでしょうがね。


 一応旅日記。



ミッドウェーの食堂の展示。大学の学生食堂の様だ。



 こんな狭い通路を歩いて移動する。



 甲板にでると飛行機が展示してある。



 甲板ではジャンバーを着た退役軍人のボランティアがガイドしてくれる。

船内の展示に関しては入場した時に係の人に頼めば携帯ラジオガイド(日本語チャン

ネル有り)を借りられるので問題無しなのだが甲板での細かい説明はボランティアの

おぢさん達に頼んだほうが良いよ。飛行機のカタパルトの構造から航空機の飛び立つ

際の手順まで詳しく語ってくれる。ちなみにミッドウェーのカタパルトは動力がス

チームだったらしいのだが、最新の空母とは仕組みが異なるらしい。ただ、現在

でも飛行機の発進時は6~7人のチームで飛ばしているらしくそこは変わらない

そうだ。機械化できない所はいつでも人が頼り。



 遠くでよく判らないが最新艦ロナルドレーガンだとボランティアのおぢさんが言ってた。



 艦の先っぽ。誰かがタイタニックごっこをするだろうと暫く待ちかま

えていたら、ホントに2組ほどのカポーがやった。してやったりだった。



 艦橋。あのアンテナが色々とゆんゆんよんよんやんやんしてたの

だろう。写真撮影後暫くして艦橋ツアーに参加して中に入る事となる。



 艦橋ツアーは定時に始まるみたいでジャンバーを着たボランティアガイドが

エスコートして色々説明してくれる。ラジオガイドは勿論無しだ。



 ヘリが小さく見える。デジカメに慣れないので窓ガラスにピント

をあわせてしまう。艦内での写真撮影はワシには大変な事だった。



 皆楽しそうだ。提督しか座れない椅子とかもあって皆こぞって座ってた。



 今はGPSがあって航海も楽らしいが、昔は現在地を確認しながらの航海で大変だった

との事。ちなみにミッドウェーは就航が第二次大戦後なので太平洋戦争には参加して

いないのだが、日本海軍の攻撃を想定して艦橋も含めてフルメタル装甲になっている

ようで、これは当時のアメリカ海軍において初めての事だったらしい。何故艦橋もフル

メタルにしたの?って誰かが質問したら、神風攻撃に対抗するためだったとの答えだった。

一瞬ワシの周りに嫌な空気が漂った。



 艦橋ツアーはともかく、ミッドウェーは横須賀が母港だったこともあり、館内の展示

は比較的親日的だと思う。甲板に下りると夕暮れだった。





 ミッドウェーを出てから暫く港を散歩。





 この船はスターオブインディア。だったと思う。



 港にはオサレなレストランがいくつかあった。






 なんとも綺麗な港だなとオモタ。朝はメキシコにいたのに不思議な気分

だった。

音楽のような風 / EPO(1985)
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