Minstrel

流離が人生

The castle of the ogre

2010-06-08 23:41:12 | Weblog
私が住んでいる地域の近くの山に「鬼ヶ城山(おにがじょうざん)」というのがあります。

小学生の頃、学校の先生が教えてくれました。その時、無学な私は
「桃太郎があの山に来たんじゃぁ」
と思っておりましたが、年を重ねていくとなんとなく
「縄文時代か弥生時代にあの山に砦かなにかがあって、責め滅ぼされたんかのぉ?」
くらいに想像しておりました。

偉い学者さんの研究対象になるような山ではないので、いまだにはっきりした文献を見ることはできませんが、最近気になって自分で調べてみることにしました。


文献が無いのでそれに代わるものとして「地図」を見ることにします。
面白いことがわかりました。

山の山頂から南西の方角に「院内」という地域を確認できました。
院内とは「お寺の敷地内」と言う意味になりますが、最近ではあまりよい言葉では使われていませんよね^^;;  (院内感染とか…)

昔読んだことがある本で「院内」は別の意味があることが書いてあったのを覚えていたので、別の興味がわいてきます。


先々代の偉い人が「踏襲」を「ふしゅう」と読み間違えたのをご記憶の方もいらっしゃると思いますが、この間違えた方の「ふしゅう」とは漢字で「俘囚」と書きます。大昔の話(千年とか二千年とか前)、戦争で負けた土地の人を勝ったほうが労働力や技術取得のために無理やりつれてきた人々を俘囚と呼び、その人々を住まわせた場所を俘囚郷といったりしました。ひどい場所では戦前まで差別の対象になっていた土地もあるそうです。
ただ、すべてを「俘囚」と呼んでいたわけではなく、いろんな呼び名があるそうで、その中の一つに「いんない(院内・印内)」があるそうです。

この「いんない」には「封じ込める」と言う意味(印は押さえつける意、内は…わかりますよね)もあり、いつの時代かわかりませんが、ここに封じ込められた方々は(勝者から見ると)恐ろしい人たちだったんですね。ご丁寧に魔よけまで施しています。

その魔よけが「鬼ヶ城山」です。この集落の東北方向に鬼ヶ城山の山頂があります。東北方向とは「鬼門」の方角。通常では鬼門の方角に寺などを建立して魔よけにするんですが(東京の方にわかりやすく言うと、江戸城の鬼門には寛永寺がありますよね)、魔よけが「鬼」だなんて…よっぽど怖かったんですかね。(な~んてね。偶然かもしれませんね~)

ちなみに皆さんご存知の方も多いと思いますが、「鬼」のイメージ(鬼が実在じゃないとしての話)はどこから来たと思いますか?
などと久々にクイズを出している Amon です。




答えは「干支」

わかりやすくいうと、皆さん時計の文字盤を見てください。12時を「子(ね)」から順に干支を当てはめて、その12時を北に合わせてください。
鬼門の東北はどの干支になるでしょうか?

答えは「丑(うし)と寅(とら)の間」になります。
「鬼」のイメージは…丑のような角を生やし、寅の腰巻をしている。そんなイメージじゃないですか?(何故金棒を持っているかは知りません><)

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