Minstrel

流離が人生

The Last Samurai

2009-12-27 01:08:13 | Weblog
今、チャットをしながらこれを書いてます。
obe の皆さんお元気そうで、何よりです。
ようやく再会できた感じがしますw

昨晩、テレビで「ラストサムライ」の終わり部分をちょこっと見ました。
一度見ていたはずなのでストーリはわかっていましたが、あんまり好きじゃないんですよね…この映画。
そもそも「武士道」って言葉自体が好きじゃなくて…

その割には Guild は? って突っ込みは無しということにして頂きたい Amon ですw




皆さんが「武士道」と聞いて思い浮かぶものは…
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
だったりしません?
この映画もそれを大いに反映しています。

それが気に入らなかったりするんですが…この「武士道とは死ぬこと…」は江戸時代前期から中期に入るくらいのときに書かれた「葉隠」という書物に出てくる言葉です。

全巻読んだことはないのであまり詳しいことはいえませんが、鍋島藩のある方がしゃべったことを書物にしたものらしいですが、時代が江戸時代前期の反乱なども終わったころの方が語った
「昔はよかった」
の部類なので、どうしても馴染めなかったんだと思います。

平和な時代になり、武士が堕落しているとその方の目には映ったんだと思います。前時代(戦国時代)の武士はよかった。あのころはこうだった…的なことみたいですが、疑問が残ります。

果たして戦国時代の武士が「武士道とは死ぬことと見つけたり」と思っていたのでしょうか?
それよりは「武士とは如何に生き残るか」だったように思います。

私の拙い知識ですが…
戦国時代の武士は「如何に有望な主君に仕えるか」「如何に優秀な部下を雇うか」だったはずです。逆に言えば、優秀でないと判断した主君からは簡単に離れていくのが常だったことのようです。現代に近い形だったのかもしれません。主従の関係は「契約」によって成り立っていた。部下は如何に武功をたてるか。主君は如何に褒美(土地)を与えられるか。にかかっていたはずです。

残念ながら戦国時代を表した書物はほとんど江戸時代に書かれたものです。
江戸幕府は戦国気風を無くすために儒教を基本とした朱子学なるものを武士の基本としたため、主従関係は絶対、裏切りは悪となり、主君を殺害したり、味方を裏切ったりしたものはよく書かれていません。代表的なのが関が原での小早川さんですよね。

彼はこの関が原での寝返りで精神的に病んだとか、発狂したとか言われています。時代劇でも彼は弱い人間として表現されていますが、秀吉の時代には勇猛さで知られた武将でした。

横にそれましたが…江戸時代、文化は花開きましが、武士道とは無くなった時代だと思います。逆に「武士は食わねど高楊枝」などと儒教に基づいた「商業は悪」的な考え方が武士の間で広まり何もできない武士を量産した時代、それが江戸時代なんだと思います。


アメリカでもこの「武士道とは死ぬことと見つけたり」が賛美されているそうですが、騙されてはいけません。映画「ラストサムライ」の最後。死を望んでいた主人公がどう描かれているか。それがアメリカ人の解釈です。

私もそれには賛成です。


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