初めに申し上げますと、祖母は生きております。
こんばんは。久しぶりに更新します。介護や祖母に関して何を書いたらいいのか、どのような表現で伝えたらいいのか、わからなくなりました。
認知症の祖母をみていると、言葉で表現するのが難しいと感じます。特に大変な時は、医師に相談する際に伝わりやすいようにと動画を録っています。その動画を言語化しようとすると、倫理観や道徳心からできなくなりました。
このようなときは多くを語らず、沈黙を保つ方が私の性格には合っています。オブラートに包むとリアルではなくなり、ありのままをさらけ出すと良心の呵責に苛まれる、そんな感じです。
ところで、タイトルに記した8月17日という日付。これは昨年の8月17日、祖母が救急搬送された日です。その時のこと、鮮明に覚えています。運ばれた病院で間質性肺炎と診断され、入院生活が始まりました。その後、退院を経て再び入院。急性下肢動脈閉塞症による下肢切断の手術、膣漏、退院、寝たきりの生活、幻肢痛、認知症など祖母の体に様々なことが起こりました。
母と私には要介護5になった祖母の介護が12月から加わりました。認知症の進行と共に介護は過酷になり、私はもう二度と在宅介護はできないと思っています。そのため、辛い時は「これが最初で最後の介護」と自分に言い聞かせて、なんとか踏ん張っています。
いつの日か、私は医師から「夏を越せそうにない」と言われていると書きました。しかし、最近の祖母は全身状態が悪いものの、医師や施設のスタッフから「元気ですよね」「目がしっかりしている」と言われるほど、秋が見えてきました。私は祖母から奇跡や生命の神秘を感じています。
今月に入ったころから、祖母は「ビールをください」と言うようになりました。毎日、缶のノンアルコールで誤魔化していたら、ある日、ノンアルコールの文字を見て祖母に「本物のビールではない」と指摘されました。私は隠し通せると思っていたので、いい意味で驚きました。ただし、翌日にはそのことを忘れているので、変わらずノンアルコールビールを出しています。
なお、攻撃的なせん妄がひどく出るため、睡眠導入剤や興奮を抑える薬の服用を中止しました。そこから筋弛緩作用も解け、ベッドの柵を握る力も戻りました。因果関係は定かではありませんが、症候性けいれんも無くなりました。声もまだまだ大きいため、叫んだり怒ったりするときは私がビクッと驚きます。
認知症による感情の起伏が激しく、その点に関しては苦労していますが、祖母の尊厳は大切に守りたいと思います。
祖母の写真:2024年8月某日
缶のタブは私が開けますが、そのあとはしっかりとグラスに注いで飲んでいます。夕方に帰宅して夜中までに350mlの缶を4本飲み干すこともあり、びっくりします。
こぼさず、しっかりとグラスに注げます。鼻のテープはカニューラが太くて固く、たくさん貼らないと鼻から抜けてしまうため、このような形で貼っています。祖母がたまに「顔にベタベタと貼られて」と独り言で呟いています。その度に「おばあちゃん、ごめん。でも命のためなんやわ」と心で思っています。
この日は朝だったような気がします。明るいうちからノンアルコールビールと枝豆を堪能。嬉しそうでした!
追記
8月19日
・朝から右胸が痛いとのこと。
☞湿布と痛み止めで痛みが和らいでいる模様
・食欲はなく、夜ごはんにようやくお米を少し食べた。
・水を誤嚥したことで水を飲むのが怖いと言い始めた。
☞ドラッグストアでとろみ粉を購入したので、おいおいとろみをつけてみる予定。