神奈川県川崎市のセレクトショップAmie(エイミー)の代表が綴る徒然日記です。

Amieの仕事のことや趣味、綿の栽培日記など多岐にわたり投稿しております。Instagram→amie_inc.2016

【祖母の現状】滲出液と腹痛および認知症の進行。

2024-10-12 15:30:00 | 日記
こんにちは。介護ブログと同じ内容を投稿します。



何から書いたらいいか、わからないほどの状況になっています。祖母の切断した右脚およびオムツで巻いている左脚の写真も載せるので、このブログをお読みになるかどうかはご自身でご判断ください。



まず、今週から祖母の左脚から滲出液(しんしゅつえき)が大量に出てくるようになりました。心臓が悪く、それまでかなり浮腫んでいました。むくみにむくんだ左脚は、ビニールのようにテカテカして、人間の脚はどこまで膨らむのか想像すらできないほどでした。


下に敷いているタオルやシーツが少し濡れるというのではなく、まるでペットボトルのお水をドボドボとこぼしたかのように濡れ始めて気がつきました。それでも最初はその液体が何か、わかりませんでした。飲み物をこぼしたのかな?尿が漏れているのかな?


でも、飲み物にしては色も臭いもなく、尿にしてはオムツが濡れていない。その透明の液体は粘土があり、生臭いと気がつき、滲出液だと確信しました。そして、その濡れた布団のシミは、黄褐色です。



このシミにも鼻を近づけてみると、体液の独特の臭いがしました。確信したところで、施設に連絡。医師とも連携をとってくれました。


看護師曰く、滲出液が出ることは、珍しいことではないそうです。特に10月6日(日)からラシックスという利尿剤を増やしたので、皮下組織に溜まっていたものが耐えられず外に出てきているのかもしれません。
*ここから脚の写真を載せますので、ご自身の判断でお願いします。










このように自然とできてしまった創傷(傷口)から透明のベトっとした粘度のある液体が出てきています。写真では分かりづらいのですが、左脚の様々なところから滲出液が見られます。



滲出液はオムツとパッドで吸水という形で対処します。現在は、どの塗り薬にするか、滲出液が出たことでどの程度むくみがりとれるか、など見極めている段階です。



オムツは1枚(Lサイズ)、パッドは3枚使用して、テープでやさしく巻いています。失った右脚に左脚はオムツ。本当は蒸れて不快だと思うのですが、この処置が妥当のようで、私も毎晩、このように処置しています。



それから、10月8日(火)から祖母は右下腹部を痛がっています。右の下腹部が波を打つように痙攣していたので、医師に診てもらいました。原因は不明。ただ、腹部を押しても痛がらないので急性腸炎ではなさそうとのこと。私が見ていると、咳をするとき、介護ベッドで背中を起こすときに痛がる気がします。こちらも様子見です。手を押さえているところが痛むようです。




不幸中の幸いは、本人が滲出液があるからといって痛がらないこと。オムツを巻いていることを気にしていないこと(正確には気がついていないかも)。また飲んだり、食べたりはできていること。認知症がだいぶ進み、自分の体のことを全くわかっていないことです。



【メモ】
・朝昼夜の概念がない
・季節もわからない
・交換したばかりのオムツを1分後に替えてという
・うんちと発する
・時計が読めなくなってきた(なった)
・トランプもできなくなった
・少し前までできた簡単な足し算や掛け算もできなくなった
・言語化することが難しく、その反動で暴力や暴言、機嫌の悪さが出る

など。


ちなみに、昨年8月に入院したときは認知症ではありませんでしたが、そのときも自分の病名を聞いてきませんでした。これは私にとっては、不思議なことでした。


そして、本日。祖母に髪を引っ張られ、爪を立てて引っかかれ、私の腕はまた傷が増えました。しかし、介護士さんの協力を得て、無事に日帰り入浴に送り出すことができました。


この状況で不運なことに、数日間、母がコロナの発症リスクが高いこともあり、2階で隔離しています。重度の間質性肺炎の祖母にコロナウイルスは最悪です。つまり、本当に私一人での介護。父は移乗くらいならできますが、この世の中の三連休、父は3日間とも出勤。


このところ、オムツ交換や清拭、着替えなど母と二人でやっていました。それは、祖母の体位を動かすときに祖母自身に力がなくなり、とても大変だから。さらに傷口に薬を塗る際も倒れてこないように支えたり、便が患部につかないように配慮したり。脚を上げている間にタオルを潜りこませたり、清拭の際に傷口の手当てをしたり。


私一人でなんとかやるしかありません。母を隔離することになった理由(詳細は控えます)が私には理解できないことで、昨夜から今朝にかけて母vs娘は、文字による修羅場でした。ただ、母は自分の母(私にとっての祖母)が人様に向かって暴れたり、叫んだり姿に心を傷めているようです。私は私で「人間の体はどこまでいったら、どこまで苦しんだら・・・。」と、思うと絶望を感じます。それぞれ介護する側の心が追いつかないことも多々あるのが現状です。


先日メインブログに書いた記事

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手術から一年。

2024-10-04 23:58:00 | 日記
こんばんは。日付が変わる前に今日はどうしても更新したいので、投稿します。
それは今日が10月4日だから。


昨年の10月4日に祖母は、右脚の下肢切断手術を受けました。原因は急性下肢動脈閉塞症により、右大腿部に血栓ができたからです。


その日から一年。祖母は今日もがんばって生きています。祖母は、ここ数日、精神的に不安定で大きな声でよく叫びます。処方されている頓服を服用させて、祖母がなるべく辛くないように様子を見ています。認知症の影響もあり、母や私の名前が出てこない時もあります。


今日は、入浴とデイサービス利用の予定でした。しかし、夜、深夜、早朝と不穏な状態で祖母自身も疲れていたのか、お迎えの1時間前の時点で熟睡していました。寝ている間はきっと起きている時より苦痛が和らいでいると信じ、睡眠優先で施設にはキャンセルの電話を入れました。


最近は、このような感じのことが多くなってきました。その日、その瞬間で判断して祖母にとっての最善を尽くす。母と私は予定を変更することも多いのですが、祖母の全身状態(特に肺と心臓)の悪さを考えたら、自然とそうなります。


ところで、昨年の10月4日は、肌寒い日でした。祖母の手術を待っている間に両親と入った院内のレストランでラーメンが売り切れていたことも覚えています。急に冷えると、温かいものが余計に恋しくなるのですよね。


それから、病院から貸し出されていたPHSが鳴り、ICUのあるフロアに行きました。看護師から説明があるとのことで待っていると、葬儀屋さんが祖母の脚を段ボールのような箱で持っていくのに出くわしてしまいました。それは私にとって予想していなかったことで、ショックを受けました。


手術が無事に終わり、執刀医からおおよその説明を受けた後、人数制限があったので母と私のみICUに入りました。祖母の状態で全身麻酔はできなかったので、ブロック注射での手術でした。ICUのベッドで、祖母は既に起きていて、私の手を取って「わぁ!あみちゃんだ!」「ありがとう」と言っていました。この時、祖母は手術を受けたことも、右脚の大部分を失ったことにも気がついていませんでした。その点に違和感を覚えました。


すべてのことをまだ生々しく覚えています。でも、昨年の私に、もし何か言えるのなら、「来年の10月4日もおばあちゃんは生きているよ。バニラバーのアイスも食べるし、ノンアル(祖母はビールだと思って飲んでいる)も飲むし、あんぱんも食べられるよ。それから、孫の手をお守りのように握りしめて、私をよくつついては、ケラケラと笑っているよ。」と伝えたいです。



画像:2024年10月4日(金)の祖母👵🍨
ビデオをスクリーンショットして編集したものです。


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介護で大事だと感じること。祖母の状態。

2024-09-28 18:44:00 | 日記
こんにちは。今日は、祖母がデイサービスの日でした。その後、祖母のシーツや枕カバーなどを洗濯後、母と二人で出かけました。


自炊重視の私たちですが、今日は外でハンバーグを食べ、温泉にも浸かり、祖母が帰宅するまでの6時間、ゆったりとすることができました。息抜きは在宅介護をするにあたって、とても重要だと思います。



自宅でゆったりするのもいいかもしれませんが、私にはあまり向きません。自宅にいると結局、終わりのない家事や在宅ワークに手をつけてしまい、休んだ感覚にならないと気が付きました。


祖母の状態は、この一週間で水分の摂取が激減しました。メイバランスについては、自分でストローのビニール袋を取り出せなくなりました。1日に以前は何本でも飲める勢いでしたが、今は1〜2本程度。オロナミンCは飲まなくなりました。ノンアルコールのビールテイスト飲料も1日に1本飲むかどうかになりました。


つい最近までおいしそうに飲んでいたのに、、、何もかも突然です。それは酸素の濃度を上げていくときもそうでした。食は飲む量が減るよりも前から減りました。今は、スプーンで柔らかなケーキを口に入れてあげたり、パンを手でちぎって入れてあげたりして、固形物は本日の朝食で100kcal摂れたかどうかです。大事なのは、食事を口に運んであげることです。


パンや麺類は入院時は誤嚥を防ぐためにNGでした。しかし、最近はお米を食べなくなり、パンの方がまだ食べます。祖母は桃アレルギーがあります。夏の間、桃ならみずみずしくて柔らかくて良いのですが、食べさせることができないので、スイカや皮を剥いた種なし巨峰を食べさせていました。食事の際は必ず母か私が横について、口の中を水分摂取で湿らせてから食べさせるようにしています。


それでも、薬ですら誤嚥します。ドラッグストアでとろみ粉を買いましたが、祖母には違和感があるようで飲みません。本人が納得しないと飲んでくれないので、今のところサラサラのお水です。誤嚥すると、窒息で顔が真っ赤になるので、上体を前のめりにして出させます。これは今でも慣れません。とても怖い時間です。


昨日は、お尻の痛みと背中のかゆみを強く訴えていたので、訪問看護をお願いして処置していただきました。祖母の力が無くなってきたので横に向けたり、支えたりするのも力仕事です。母も私も介護を始めた当初より疲れが溜まっているので、以前より力が出なくなりました。要介護5かつ認知症、そして祖母は暴れるタイプ。なかなか難しい介護だと感じます。


秋の夜長になってきましたね。この長く、暑すぎた夏は終わりました。祖母は、よく耐えたなと思います。しかし、水分を摂れなくなると、死期が近いようです。あとどれくらい一緒にいられるか、わかりません。予想もしません。とにかく一日一日を大事にするだけです。

〜〜〜

祖母の在宅介護というのは、死をもって終焉を迎えます。最期の時間を祖母と共に過ごせる反面、弱る姿を見つづけることでもあります。これは、とてつもなく辛い道のりです。介護する側の母や私の肉体が悲鳴を上げる日もあれば、孤独や不安に苛まれる日もあります。鋼のメンタルを発動させないとやっていられません。下記の介護ブログは、疲れた日につぶやいたことです。

介護の本当の怖さ。 - 要介護5の祖母の在宅介護記録。

介護の本当の怖さ。 - 要介護5の祖母の在宅介護記録。

介護をするうえで、大変なこと、辛いこと、耐えること、多い。でも、もしかしたら、本当の怖さは思考停止に陥ることかもしれない。今、これに近い感じ。疲れが抜けない。私...

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美容仲間の祖母と祖父の7回忌。

2024-09-15 16:16:00 | コスメ・美容
こんにちは。介護生活で祖母が寝ている静かな時に、化粧品のサンプルを整理しました。昨日、載せた写真☟と同じです。


スキンケアだけでも☟これだけあります。私は肌があまり強くないので、自分が使えそうにないものは、母に渡します。しかし、母は「サンプルは、字が小さくて何かわからないし、一つひとつ開封するのが面倒くさい。」と喜びません。なので、私が母の顔に塗って効果をみることもあります。それは喜んでいるので、良しとしましょう(笑)


そんな母とは対照的に、祖母と私は美容仲間でした。祖母と一緒にサンプルを使ってみたり、祖母にメイクしたりと時々、遊んでいました。今では、認知症の影響で祖母は「化粧水を一度も塗ったことがない。」と忘れてしまっています。


祖母と私は、家族6人で旅行に出かけ、ツインの部屋を3つとったとしたら、一緒の部屋でした。私にとって、祖母との相部屋が一番楽しくて、気が楽でした。ホテルでは乾燥対策で保湿ケアを施したり、フェイスパックをしたり。私がドリップコーヒーを淹れて、祖母とお菓子を嗜んだり、夜になると祖母は巨人の野球観戦、私はベッドでゴロゴロしたりしていました。この写真は、祖父の納骨時に香川県に行った際、ホテルでの写真です。


朝、祖母が全身小豆色の服を着ていたので、私が「お豆さん🫘❤️」と呼んで、2人で笑いました。この頃、祖母は元気だったなと、感傷に浸ってしまう・・・。


祖母は長年、メナード化粧品を使っていました。深緑色のボトルの高級な化粧水を子どもの頃の私は、祖母のドレッサーから取ってつけてみたこともあります。日本舞踊をしていた祖母が持っていた真っ赤な口紅を勝手につけて、キッチンにいる祖母に「わーーー👧💋👅💄」と驚かして楽しんでいたこともありました。



このようなことを思い出しながら、整理整頓しました。資生堂系列のものはクレドポーボーテの紙袋に、花王系列のものはエストに、KOSE系列のものはコスメデコルテに。その他外資系のものはDior、メイクアップのサンプルはルナソルに入れました。普段、使っているものを中心にサンプルを消費しています。


そして、本日9月15日。香川県の祖父の7回忌です。朝、祖母に筆談でそのことを伝えました。さらに、祖母にまだ生きていてほしい私は「今日、おじいちゃんが迎えに来ても、追い返してね。」と伝えました。

今は祖父の香川県のお墓に手を合わせに行くことができないので、せめて自宅に飾ってある祖父にお供えをして、祖父に思いを馳せたいと思います。

おじいちゃん、天国で元気ですか?日本酒、ほろよい、飲んでいますか?おばあちゃんのことは、約束通り、しっかりとみているから安心してね。でも、まだおばあちゃんを連れて行かないでね。     あみより
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介護生活において自分を支える引き出し。

2024-09-13 19:21:00 | 日記
こんばんは。介護をしていると、どうしても気持ちが沈んでしまう日があります。それは、介護だけではないですね。仕事でも家事でも、私はしたことがありませんが、育児でもきっと同じような感情になることがあると思います。

生きていれば、そういう日もありますよね。私の場合、今日がそんな日。このようなとき、少しでも自分が楽しくなる引き出し、希望を見出せる何か、があればあるほどいいなと思います。

在宅介護の日は気軽に外に行けないので、

【自宅編】
・推している方の動画を見る
・クラシックバレエ関連の動画を見る
・音楽を聴く
・ビジネスクラスやファーストクラスの動画を見る
・スキンケアやメイクアップ用品の整理をする
*相変わらず目元の不調が治らず、それは気持ちが塞がります
・フェイスパックやヘアトリートメントなど自宅でできる美容を施す
・サンプルの整理をする 

などです。

写真:サンプルや雑誌の付録を整理しようとテーブルの上に並べた時。



もし外出が可能なら、
【外出】
・プールで泳ぐ 
・カフェに行く

です。


今日は、祖母が朝から37.5度の微熱があり、呼吸も苦しそうでした。残暑が厳しいのに加え、下肢切断後から自律神経が崩れ、体温調節が難しくなりました。すぐにアイスノンや冷えピタ、体位交換で背中にも冷気をあてる、太い動脈があるところを冷やす、水分を摂取させるなど様々な対処はしました。冷房はきちんと私がつけて管理しているので、部屋の温度は適温を保っています。


昨日は、ターミナルケアについての話し合いが行われました。現段階は、様子見ということになりました。しかし、この先、もっと呼吸が辛くなるそうで、それは見ているのも辛いそうです。他にも色々と話しました。


とりあえず、私はあまり先のことを考えると、自分が崩れそうなので、目の前にいる祖母とその日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

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