本日は1年ぶりにInstagramに投稿しました。その投稿の文章をこちらにも載せようと思います。Instagram(アカウント:amie_inc.2016)にはストーリーズという機能で動画でも私の心境を語っています。


祖母が他界してから、先月は香川県、そして今月は沖縄県に行きました。少しずつ気持ちの整理をつけながら、会社と共に私も成長できたらと思います。
以下、Instagramと同文
祖母が今年1月に永眠し、本日、四十九日を迎えました。14ヶ月の在宅介護でしたので、突然、介護がなくなってしまったとき、ものすごい寂しさと絶望に襲われました。介護中、祖母の容体が悪くなることが何度もありましたが、その度に這い上がってきてくれる祖母でした。だから「今回もまた」と思っていましたが、祖母の体は限界だったようです。
医療関係者からも、
これ以上、良くなることはない。
夏を越せないかもしれない。
厳しいかもしれない。
とずっと言われていました。それでも、何度も何度も奇跡を見せてくれる祖母でした。桜を見るために福祉車両を借りてドライブを楽しんだり、夏にはノンアルコールビールを飲んだり、私の8月の誕生日にはケーキを食べながらお祝いしてくれたり、祖母の12月の91歳の誕生日も迎えることができたりしました。祖母の得意な手芸も春頃まではしていて、秋頃まではトランプやオセロでも遊んでいました。
在宅介護というのは、病状が悪くなる姿を見つづけること、孤独を感じたり、追い込まれたような気持ちになったりすること、各所と折り合いをつけたりする精神面での大変さ、さらに睡眠不足や24時間体制での介護という体力的な過酷さがありました。祖母自身も重度の間質性肺炎で酸素吸入をしながら、認知症や薬の副作用によるせん妄で攻撃的になり、私に対しても液体の入ったコップを投げたり、噛んだり、爪を立てたり、髪の毛を引っ張ったり、大声で叫んだりして、私の知る祖母ではないと感じるときも多々ありました。でも、特に怖かったのは誤嚥性窒息でした。顔が真っ赤になるので、必死で吐き出させました。色々とあった介護生活でしたが、今は祖母と人生のなかでも一番といっていいほど、濃厚な時間を過ごせて良かったなと思っております。たくさん話して、たくさん笑いました。
一方で、身内の死に直面したあと、追いうちをかけるかのように辛かったのは、2箇所ある川崎市の火葬場が混んでいてしばらくの間、ドライアイスを使った保冷で狭い引き出しのような空間で保存されたことです。途中、葬儀屋さんを通して遺体安置所へ母と会いに行きました。母は、祖母が綺麗な姿のまま安置されていてホッとしたと言っていました。人口過密地帯(川崎市は全国的にも珍しく人口が増えている都市)において、火葬場が不足している問題を肌で感じた一幕でもありました。
身内のことなので、ここで伝えることではないのでは?とも思います。しかし、Instagramに時々、祖母のことをストーリーズであげていて、あたたかなDMもいただいていました。このような経緯があるので、本日は祖母が生きた証をここに記して、ご挨拶に代えさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
*鼻のカニューラが抜けてしまうのと祖母自身が抜けても気がつくことができなかったので、テープで留めざるを得ませんでした。
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#令和7年3月9日