angel stone

☆パワーストーンやスピリチュアルな出来事、森山直太朗さん、B'zの事など…自由気ままに綴ってます☆

命の大切さ☆ ①

2008年07月25日 | ☆命の尊さ☆
最近、「命」について、色々と考えさせられることが多い気がします。

ずっと前の日記で綴ったことがあるんだけど。。
私が中学生の頃、体操部の一つ上の先輩が自殺してしまいました。
その人はずっと苛められていて、いつも〝死んでやる!〟って言ってたそうです。
そしてある日、苛める側が言いました。
〝死んでやる死んでやるって、死ぬ勇気もないくせに、それなら一度死んでみろよ!〟
それを聞いた先輩は、その場を走り去り、10F建てビルから飛び降りて亡くなったのです。
私はその事件から30分後、その現場を通りました。
大声で泣き叫ぶ人達・・・
一体何が起こったんだろう??とても異様な光景で・・・。
その事件を知ったのは、次の日の朝礼だったのですが・・・
あまりにも哀しい事件です。

誰も助けてあげられなかったんだろうか??
死ぬ事しか残されてなかったんだろうか??
他に道はなかったんだろうか??
死んでしまったら何もかも終わりなのに・・・って、
なんとも言えない想いがこみあげました。
〝死んでみろよ!〟って言ってしまった人も、かなり後悔したそうですが、
後悔??そんなの、言ってしまった言葉は二度と戻らないし、先輩は帰ってこない。
そう思うと、言葉って恐ろしいなって思う。
何気なく言った言葉が、相手をものすごく傷つけてしまってるかも知れないんだから・・・。
ましてそのひと言で相手が死んでしまったとしたら、もう取り返しがつかないんだから。

楽になりたいから、死にたい・・・
それは一瞬で簡単な事なのかも知れない・・・
けれど、何も楽になんてならないし、何も残りはしない。

今、私達はこの世に存在していて、今を生きている。
日々色々な事が身に振りかかり、泣いたり笑ったり、苦しんだり・・・
何もかもが嫌になって、もうどうなってもいい!と、
すべてのことから逃げ出してしまいたくなることだってある。
でも、今、私達は確かにここにこうして存在している。
時に〝死にたい!〟って思う事だってあるでしょう。
けれど、〝死〟って言葉を簡単に口に出してはいけないし、
“死”で解決することなんて何一つないはず!

命ある限り、どんな事があっても逃げてちゃいけないし、負けちゃダメなんだなって思う。
それは、もちろん簡単なことではないのだけれど、
与えられた命があるのに、自ら命を絶ってしまうなんて・・・そんなの・・・

私は今、〝生きることの大切さ〟〝命の尊さ〟そして〝愛の深さ〟〝愛するということ〟
命の大切さ、生きることの意味を、今とても深く感じます。

私思うんだけど、〝Happy〟って感じた瞬間って、とても大切だと思う。
そう思える一瞬があるだけでも、私達はとても幸せなんじゃないかって。
そんな一瞬一瞬を、大切に心に留めておきたいな~って思う。
私達にとっての〝たからもの〟が、きっと誰にだってあるはずだから、
そのたからものをずっと守って欲しいし、大切にしてほしいな~って。

私は私一人しか居ないし、あなたはあなた一人しかいない。
代わりなんて決していないのだから、一人一人がたからもの。
愛する事、命の大切さ、そして生きる意味を。。


命の大切さ☆ ②

2008年07月24日 | ☆命の尊さ☆
直ちゃんの新曲の歌詞について、なんだか賛否両論とかで、
その歌詞について「ああだこうだ」と書き込みしてるのを見かけたけど、
人それぞれ感じ方や捉え方は違うし、
どんな物事にも意見が分かれるのは今に始まったことじゃないし、
直ちゃんを親の七光りだとか、人の痛みを分からない人と言ってる人を見かけたけど、
そんな風に頭から否定してる人に、どうして?分かって!と無理に言ってもそれはきっと難しい。
聴きたくない人には無理に聴いてほしくないかな。
直ちゃんの良さを分かって、直ちゃんの歌を好きな人なら、
歌詞の意味の深さが分かるはずだから、分かってる人がいる限り、
それで良いんじゃないかなって私は思うんだけど。

そう言えば、2005年のツアー「君は五番目の季節」で、
直ちゃんが〝トニーマイフレンド〟という曲を歌ってくれたんだけど、
それは、直ちゃんがとても大切に想ってる友人が亡くなったしまったとのことで、
この曲が今とても歌いたくなった!と言って、
とても優しい声で歌ってた直ちゃんの姿がとても印象的だったのを思い出しました。
とても大切な方だったんだろうな~~って、
直ちゃん全体から伝わってくるその方に向けての想いが、
ひしひしと伝わってきたのを、今でもハッキリと覚えています。

私は少し霊媒体質なので、天井あたりでチカチカッとなにかが光っていて、
その時の会場に何かを感じていました。
最後のアンコール曲は"生きとし生ける物へ"
途中で直ちゃんが声を詰まらせて、涙が溢れて、声にならなくなってしまいました。
直ちゃん自身、きっと、その方のぬくもりを感じてたように思います。

きっと、一曲一曲、色々な思いが込められていて、
そのどれもがとても大切なんだろうって思う。

私の大切な友人の話になるけど、
その友人たちがとても大切に思ってる人達もつい最近、旅立ってしまいました。

昨日までは当たり前のようにそばで笑ってたのに。。
いつも笑顔で迎えてくれたのに。。
目の前から突然大切な人が居なくなってしまう。
これほどつらいことってないですよね。

私もこれまで、様々な体験をしてきました。
阪神大震災の時もたくさんのものを失いました。
いつも遊びに行っていた友人の家は全壊し、同級生も何人か亡くなりました。
家が無くなってしまった人、今だに連絡が取れない人、
家族を失った人・・・今も尚、傷が深いままです。

大好きな桜の木やお気に入りの喫茶店も全部全部無くなってしまいました。
大好きな神戸の街が埃っぽくて、灰色に見えたあの頃、今も目に焼き付いています。
何もかもが一瞬で消えてしまうということがどうことなのか、
神戸の街が物語っていました。

悲しくて悲しくて、
何も食べられなくなって病院に運ばれたこともあった。
大好きな音楽さえ聴けなくなってしまったあの頃、
眠れなくて月を見上げてた夜もあった。

私は、何年経っても地震の時の思いが消えなくて、
夜になると不安で何度も自然と涙が出てきて止めることが出来なかった。
何年かして、直ちゃんの“さくら”を街中で聴いた時、
“さくら”の歌詞があまりに自分の思いとピタリと合って、
自分の中で何かが変わる気がして、涙が止まらなかったことを覚えています。
“さくら”と出逢えたことで、一歩進むことが出来たのだと思う。
音楽が心に響くということを改めて知ったんですよね。

大切な人や大切なものを失くしてしまった哀しみはそう簡単に癒えるものではないけど、
私達は今確かにここに存在していて、確実に時を刻み、今を生きなくちゃいけない。
これからも、この先もずっとずっと、その大切な人を思ってる限り、
その人はずっと傍に居続けてくれるはずだし、
ずっと傍で暖かく見守ってくれてるはずだから☆

がんばる必要なんてないの。
自分のペースでゆっくりいけばいい。
“がんばれ”って言葉が実は残酷な言葉だということを私は知ってるから。
大好きな音楽たちに助けられながら、一歩ずつゆっくり歩んでいこう。
いつも笑顔を忘れないで居たいって思う。
そして、いつも朗らかに☆

今の願い☆

2008年07月23日 | ☆命の尊さ☆
ずいぶんご無沙汰の日記になっちゃいました。

実は、ここ最近、色々なことがありました。
一番大きな出来事と言えば、5月に田舎のおばあちゃんが亡くなったことかな。

祖母は少しわがままな人だったから、私の母ともよく衝突してたし、
土地が少しあるということから財産の問題なども昔から色々とあった。
祖母は長崎に住んでたから、母もなかなか田舎に帰ることは出来なかったんだけど、
たま~~に帰ったときだって、たびたび喧嘩する始末。
祖母のことで母がよく泣いてたことも知ってたし、
親子なのにどうしてなんだろう?なんて思ったこともあった。

それでも母は、祖母のことをいつも心配していたし、
なかなか田舎に帰ることが出来ないからと、
しょっちゅう祖母に服や小物などを送り続けてた。
それだけ思ってたってことなんだよね。
祖母の思い、母の思い、離れてるからこそ、
心の奥底でそれぞれの深い思いがあって、ちゃんと互いに通じてる☆

祖父が先に旅立ってしまってからは、少し気弱にはなってたけれど、
母とも相変わらず電話口で喧嘩したり大声で笑ったり、
今すぐどうこうってことはなかったはずだった。

でも、突然、あっさりと旅立ってしまった。
しかも誰も帰らない時間に一人ぼっちで、あまりにもあっけなく・・。

あまりにも突然のことだったから、
長崎で祖母の顔を見るまでは信じることが出来なくて、
まるで人ごとのように新幹線に乗っていた。
タクシーで家に向かう途中、徐々に懐かしい風景を目にすると、
色々なことが頭に浮かんできた。

大好きだった祖父の可愛い笑顔とか、祖母の豪快な笑い顔、
神戸に遊びに来た時の祖父母の笑顔とか、とにかく笑い顔ばかりが頭に浮かんできた。
今日も田舎の家に行ったら、遠くからよ~来たねぇ~!って、
笑って迎えてくれそうな、そんな気がした。

家に着くとたくさんの車が周りに停まっていて、ざわついた感じ。
喪服を着た人たちが出たり入ったりしている。
一体何事だろう?!その時はまだそんな感じ。
家に入ってすぐに「ばあちゃんの顔をみたってくれんね。」って言われた。
・・・。

お祖母ちゃんの部屋に行くと、左の肩が急に重くなった。
誰かが重くのしかかった感じ。
おばあちゃんは今もここに居るんだな~って私の体を通して実感した。
あまりにも突然のことだったから、きっとまだ理解してないんだろうって。
「よ~~来たね~」って傍で笑って言ってくれてるような気がした。

そう言えば、私が産まれたとき、おばあちゃんが神戸に来てくれて、
とてもよくしてくれて、私の面倒を見てくれたって聞いた。
その当時の記憶はもちろんないんだけど、
おばあちゃんの腕の温かみが今も残ってるような気がします。

私は結局、最後まで祖母の顔をじっと見ることが出来なかった。
やっぱり信じたくなかったのだと思う。
この前逢ったのはいつのことだっただろう?
大好きだった祖父が旅立った時は、私は体調を崩して、長崎に行くことが出来なかった。
でもそのおかげなのか分からないけれど、
私がいつも思い出すおじいちゃんの顔と言えば、可愛い笑顔なのです。
おばあちゃんの顔は?!
ん~~…今はまだなぜだか分からないけれど、ちゃんと浮かんできません。
でも、今度自然に思いだす日が来たら、豪快に笑うおばあちゃんの顔じゃないかなって思う。

四十九日も無事に過ぎ、おばあちゃんは今の状況をちゃんと受け止めただろうか?
おばあちゃん、まだあの部屋に居るってことないよね?!
先日、母の夢にやっとおばあちゃんが出てきたらしい。
穏やかな顔だったらしいから、きっともう大丈夫だろう!と母が言った。
母の思い、みんなの思いがどうか届いて、
そして、ちゃんと良い場所へと旅立ってほしい。
それが今のみんなの願いだから☆