angel stone

☆パワーストーンやスピリチュアルな出来事、森山直太朗さん、B'zの事など…自由気ままに綴ってます☆

生きるということ

2015年09月24日 | ☆命の尊さ☆



もう何十年も前から仲の良かった人達と久しぶりに集まりました。
集まるのも何年振りだろう?
本当に久しぶりの集まりでした。

友達の会社仲間の集まりに誘ってもらったのがきっかけで、
毎日のようにカラオケに行ったり、バーベキューしたり、旅行に行ったり、
暇さえあれば集まって、本当に仲が良かったんだけど、
会社を辞めてしまった人や、結婚した人、子供ができた人、
借金を作った人などなど。。。
それぞれに色んな事情があって、一人ずつ減っていってしまった。
いつの間にか人数も少なくなり、集まる回数も減っていって…。

男女混ざって仲良くっていうのは、
私自身は男女間でも友情はあると信じていたんだけど、
やっぱりなかなか難しいもので、
好きだとか嫌いだとか色んな問題があって、
ギクシャクした時期もありました。

最終的に7人残り、なんだかんだ問題がありながらも、
急に集まることになったり、結婚や出産のお祝いをしたり。

今回の集まりでも、当たり前のように7人集まると思ってた。
前日まで連絡の取れない人が居て、留守電に入れたりしてたんだけど、
私以外にも誰か連絡を取ってるはずだから、
当日行けばきっといるよね!と思っていました。

当日を迎え、私を含めた6人が待ち合わせの店の前に集まって、
居酒屋さんの個室に入り、一旦落ち着いてから、
「あれ?来てないの?私も昨日まで連絡取ろうと頑張ってみたんだけど、
 折り返しもなくて、留守電にも入れたの。連絡取れなかった?」

その私の問いに、向かいに座ってる2人が顔を見合わせて、
「・・・。
まあ、とりあえず、もう少ししてから話すわ!」

何も知らない私と他3人は「えっ?また何かあった?」
その後に聞く恐ろしい話など想像もしないで、
「何、何?」と、しつこいぐらいに問いただす。

向かいに座る2人は少し複雑な表情を浮かべ、
「まあ、とにかく、せっかく集まったから、まずは料理頼もっ!」

そうして、各々に飲み物、料理を頼み、
近況報告などしつつ、料理も飲み物もある程度並びだし、
少し落ち着いた頃、一人が話し始めた。

「しっかりと聞いてな!
 あいつな、仕事とか色々なことに悩んでて、かなり滅入ってたみたい。
 もう3年ぐらい前になるかな。自分で、自分でね…」

周りの空気が一瞬止まる。


3年前?…そんなにみんなで集まってなかったんだ。


その時、ハッ!と気付く。
一瞬血の気が引いた。

「ちょ、ちょっと待って!
 私、何日か前から携帯に連絡してたけど、ちゃんとコールしてたよ!
 昨日は留守電にもメッセージ残したし。
 だから、何かの間違いじゃない?絶対間違いだって!」

私以外にも電話した人が居て、
「実は俺もコールしてたよ」と言ったけど、

「・・・ じゃあ、今電話してみ!」と言われ、
慌てて電話をかけてみた。
けれど、受話器の向こうに聞こえてくるのは、
「お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません…」


・・・? 一体どういうこと?

「俺らも、直接身内の人から聞いたわけではないから、
 詳しい事情は知らない。
 お墓参りに行きたいけど、家が少しややこしくて、複雑らしい。
 恐らくまともな対応をしてもらえないだろう。
 電話がコールしたのは、恐らくみんなを集めるため。
 変な意味ではなく、みんなで集まってほしかったんじゃないかな。
 だから、ずっと思っててあげよう。」

以前から、そんな傾向はあった。
家が複雑だということは、本人の口から聞いていた。
家の屋根に上っては、ここから飛んだら気持ちいいかな?って何度も思った。
と彼は話していた。

彼はとても孤独だったらしい。
家が複雑・・・私も詳しい事情は知らないけれど、
両親がとても変わってる方だと聞いたことがある。
お兄さんがいたはず。
その人が良く出来た人でよく比較されたと言っていた。

鬱になってしまったので、ずっと薬が欠かせなかった。
コーヒーが飲めないんだって言っていた。

みんなで楽しそうにはしゃいでる時もあれば、
一人で寂しそうにふさぎ込んでる時もあった。

尾崎豊がとても好きだった。
いつも尾崎を聴き、そして気持ちを込めながら歌っていた。
そんな姿が今でも目に焼き付いている。


みんな呆然としていた。
まるで時間が止まってしまったかのように静寂に包まれた。
言葉を発してはいけないような気さえしていた。
でも誰も泣いてなかった。泣けなかった。
信じたくない!うそだ!悪い冗談なんだと思いたかった。
だから泣けなかったし、何も言えなかった。
きっと誰もがそうだったんだと思う。

しばし沈黙が続いた。
各々に色々な思いが駆け巡っていたに違いない。

私はふと、私が昨日かけた電話は、彼に届いたのかな?
留守電は聞いてくれたのかな?
なぜか、そんなことを思っていた。

どれぐらいの時間が経ったのか?
ふと1人が他愛のない話を始めた。
それをきっかけに、みんなも他愛のない話をし始めた。
それからは彼の話を口にするものは1人もなく、
いつも通り賑やかにお酒を飲んだ。
そしてみんな笑顔で帰路へ。

私は今もまだ信じられずに居ます。
「彼の分まで一生懸命生きるね」なんて、軽々しくは言えない。

私たちは彼を救うことができなかった。
彼が抱えてた闇は深く、ただ一緒に居るだけでは癒せない、重く暗い闇。
元気を!笑顔を!と私たちなりにいつも思ってはいたけれど、
それはとても難しかった。
闇を光に変えることは、簡単なことではなかった。

人は1人では生きられないとは思う。
でも、どんなに周りに励まされても、慰められても、
どうしようもない時があり、考えを変えられないこともある。
もちろん時と場合があって、励まされて勇気をもらうことだってあるし、
慰められて元気をもらうことだってあるのだから、
結局は自分自身の考え方ひとつで、闇にもなるし、光にもなるということ。


「生きる」ということ、それは決して簡単なことではない。
たくさんの別れや出逢いを繰り返し、どんなに悲しくてもつらくても、
生きている限り、乗り越えていかなければいけないわけで、
何度も何度も壁にぶち当たっては、光を求めて歩き続ける。
でも光を見つけた時の喜びは何物にも代えがたい。
そうして人は生きていくんですね。


外に出ると、大好きな金木犀の香りがどこからともなく漂ってきます。
どこか懐かしくて、あたたかい香り。
とてもやさしい気持ちになります。

何事もないように時が過ぎていく。
澄んだ空を見上げたとき、ゆっくりと動く雲を見たとき、
飛行機雲を見つけたとき、不思議な形の雲を見つけたとき、
可愛い花を見つけたとき、蝶々がひらひらと舞ってるのを見たとき、
金木犀の香りがふわっとしてきたとき、大好きな曲を聴いてるとき、
秋の風を感じたとき・・・
いつになっても変わらない自然の風景に、とてもしあわせを感じます。
小さなしあわせ。それが私の宝物。
それを感じられるということが、生きてるということ。

時々足を止めて、しあわせを目や鼻、耳、身体で感じてみよう。
今、自然を肌で感じながら、とても強く思います。
そんな風にしてこれからも、生きていこうって。

命の大切さ☆ ①

2008年07月25日 | ☆命の尊さ☆
最近、「命」について、色々と考えさせられることが多い気がします。

ずっと前の日記で綴ったことがあるんだけど。。
私が中学生の頃、体操部の一つ上の先輩が自殺してしまいました。
その人はずっと苛められていて、いつも〝死んでやる!〟って言ってたそうです。
そしてある日、苛める側が言いました。
〝死んでやる死んでやるって、死ぬ勇気もないくせに、それなら一度死んでみろよ!〟
それを聞いた先輩は、その場を走り去り、10F建てビルから飛び降りて亡くなったのです。
私はその事件から30分後、その現場を通りました。
大声で泣き叫ぶ人達・・・
一体何が起こったんだろう??とても異様な光景で・・・。
その事件を知ったのは、次の日の朝礼だったのですが・・・
あまりにも哀しい事件です。

誰も助けてあげられなかったんだろうか??
死ぬ事しか残されてなかったんだろうか??
他に道はなかったんだろうか??
死んでしまったら何もかも終わりなのに・・・って、
なんとも言えない想いがこみあげました。
〝死んでみろよ!〟って言ってしまった人も、かなり後悔したそうですが、
後悔??そんなの、言ってしまった言葉は二度と戻らないし、先輩は帰ってこない。
そう思うと、言葉って恐ろしいなって思う。
何気なく言った言葉が、相手をものすごく傷つけてしまってるかも知れないんだから・・・。
ましてそのひと言で相手が死んでしまったとしたら、もう取り返しがつかないんだから。

楽になりたいから、死にたい・・・
それは一瞬で簡単な事なのかも知れない・・・
けれど、何も楽になんてならないし、何も残りはしない。

今、私達はこの世に存在していて、今を生きている。
日々色々な事が身に振りかかり、泣いたり笑ったり、苦しんだり・・・
何もかもが嫌になって、もうどうなってもいい!と、
すべてのことから逃げ出してしまいたくなることだってある。
でも、今、私達は確かにここにこうして存在している。
時に〝死にたい!〟って思う事だってあるでしょう。
けれど、〝死〟って言葉を簡単に口に出してはいけないし、
“死”で解決することなんて何一つないはず!

命ある限り、どんな事があっても逃げてちゃいけないし、負けちゃダメなんだなって思う。
それは、もちろん簡単なことではないのだけれど、
与えられた命があるのに、自ら命を絶ってしまうなんて・・・そんなの・・・

私は今、〝生きることの大切さ〟〝命の尊さ〟そして〝愛の深さ〟〝愛するということ〟
命の大切さ、生きることの意味を、今とても深く感じます。

私思うんだけど、〝Happy〟って感じた瞬間って、とても大切だと思う。
そう思える一瞬があるだけでも、私達はとても幸せなんじゃないかって。
そんな一瞬一瞬を、大切に心に留めておきたいな~って思う。
私達にとっての〝たからもの〟が、きっと誰にだってあるはずだから、
そのたからものをずっと守って欲しいし、大切にしてほしいな~って。

私は私一人しか居ないし、あなたはあなた一人しかいない。
代わりなんて決していないのだから、一人一人がたからもの。
愛する事、命の大切さ、そして生きる意味を。。


命の大切さ☆ ②

2008年07月24日 | ☆命の尊さ☆
直ちゃんの新曲の歌詞について、なんだか賛否両論とかで、
その歌詞について「ああだこうだ」と書き込みしてるのを見かけたけど、
人それぞれ感じ方や捉え方は違うし、
どんな物事にも意見が分かれるのは今に始まったことじゃないし、
直ちゃんを親の七光りだとか、人の痛みを分からない人と言ってる人を見かけたけど、
そんな風に頭から否定してる人に、どうして?分かって!と無理に言ってもそれはきっと難しい。
聴きたくない人には無理に聴いてほしくないかな。
直ちゃんの良さを分かって、直ちゃんの歌を好きな人なら、
歌詞の意味の深さが分かるはずだから、分かってる人がいる限り、
それで良いんじゃないかなって私は思うんだけど。

そう言えば、2005年のツアー「君は五番目の季節」で、
直ちゃんが〝トニーマイフレンド〟という曲を歌ってくれたんだけど、
それは、直ちゃんがとても大切に想ってる友人が亡くなったしまったとのことで、
この曲が今とても歌いたくなった!と言って、
とても優しい声で歌ってた直ちゃんの姿がとても印象的だったのを思い出しました。
とても大切な方だったんだろうな~~って、
直ちゃん全体から伝わってくるその方に向けての想いが、
ひしひしと伝わってきたのを、今でもハッキリと覚えています。

私は少し霊媒体質なので、天井あたりでチカチカッとなにかが光っていて、
その時の会場に何かを感じていました。
最後のアンコール曲は"生きとし生ける物へ"
途中で直ちゃんが声を詰まらせて、涙が溢れて、声にならなくなってしまいました。
直ちゃん自身、きっと、その方のぬくもりを感じてたように思います。

きっと、一曲一曲、色々な思いが込められていて、
そのどれもがとても大切なんだろうって思う。

私の大切な友人の話になるけど、
その友人たちがとても大切に思ってる人達もつい最近、旅立ってしまいました。

昨日までは当たり前のようにそばで笑ってたのに。。
いつも笑顔で迎えてくれたのに。。
目の前から突然大切な人が居なくなってしまう。
これほどつらいことってないですよね。

私もこれまで、様々な体験をしてきました。
阪神大震災の時もたくさんのものを失いました。
いつも遊びに行っていた友人の家は全壊し、同級生も何人か亡くなりました。
家が無くなってしまった人、今だに連絡が取れない人、
家族を失った人・・・今も尚、傷が深いままです。

大好きな桜の木やお気に入りの喫茶店も全部全部無くなってしまいました。
大好きな神戸の街が埃っぽくて、灰色に見えたあの頃、今も目に焼き付いています。
何もかもが一瞬で消えてしまうということがどうことなのか、
神戸の街が物語っていました。

悲しくて悲しくて、
何も食べられなくなって病院に運ばれたこともあった。
大好きな音楽さえ聴けなくなってしまったあの頃、
眠れなくて月を見上げてた夜もあった。

私は、何年経っても地震の時の思いが消えなくて、
夜になると不安で何度も自然と涙が出てきて止めることが出来なかった。
何年かして、直ちゃんの“さくら”を街中で聴いた時、
“さくら”の歌詞があまりに自分の思いとピタリと合って、
自分の中で何かが変わる気がして、涙が止まらなかったことを覚えています。
“さくら”と出逢えたことで、一歩進むことが出来たのだと思う。
音楽が心に響くということを改めて知ったんですよね。

大切な人や大切なものを失くしてしまった哀しみはそう簡単に癒えるものではないけど、
私達は今確かにここに存在していて、確実に時を刻み、今を生きなくちゃいけない。
これからも、この先もずっとずっと、その大切な人を思ってる限り、
その人はずっと傍に居続けてくれるはずだし、
ずっと傍で暖かく見守ってくれてるはずだから☆

がんばる必要なんてないの。
自分のペースでゆっくりいけばいい。
“がんばれ”って言葉が実は残酷な言葉だということを私は知ってるから。
大好きな音楽たちに助けられながら、一歩ずつゆっくり歩んでいこう。
いつも笑顔を忘れないで居たいって思う。
そして、いつも朗らかに☆

今の願い☆

2008年07月23日 | ☆命の尊さ☆
ずいぶんご無沙汰の日記になっちゃいました。

実は、ここ最近、色々なことがありました。
一番大きな出来事と言えば、5月に田舎のおばあちゃんが亡くなったことかな。

祖母は少しわがままな人だったから、私の母ともよく衝突してたし、
土地が少しあるということから財産の問題なども昔から色々とあった。
祖母は長崎に住んでたから、母もなかなか田舎に帰ることは出来なかったんだけど、
たま~~に帰ったときだって、たびたび喧嘩する始末。
祖母のことで母がよく泣いてたことも知ってたし、
親子なのにどうしてなんだろう?なんて思ったこともあった。

それでも母は、祖母のことをいつも心配していたし、
なかなか田舎に帰ることが出来ないからと、
しょっちゅう祖母に服や小物などを送り続けてた。
それだけ思ってたってことなんだよね。
祖母の思い、母の思い、離れてるからこそ、
心の奥底でそれぞれの深い思いがあって、ちゃんと互いに通じてる☆

祖父が先に旅立ってしまってからは、少し気弱にはなってたけれど、
母とも相変わらず電話口で喧嘩したり大声で笑ったり、
今すぐどうこうってことはなかったはずだった。

でも、突然、あっさりと旅立ってしまった。
しかも誰も帰らない時間に一人ぼっちで、あまりにもあっけなく・・。

あまりにも突然のことだったから、
長崎で祖母の顔を見るまでは信じることが出来なくて、
まるで人ごとのように新幹線に乗っていた。
タクシーで家に向かう途中、徐々に懐かしい風景を目にすると、
色々なことが頭に浮かんできた。

大好きだった祖父の可愛い笑顔とか、祖母の豪快な笑い顔、
神戸に遊びに来た時の祖父母の笑顔とか、とにかく笑い顔ばかりが頭に浮かんできた。
今日も田舎の家に行ったら、遠くからよ~来たねぇ~!って、
笑って迎えてくれそうな、そんな気がした。

家に着くとたくさんの車が周りに停まっていて、ざわついた感じ。
喪服を着た人たちが出たり入ったりしている。
一体何事だろう?!その時はまだそんな感じ。
家に入ってすぐに「ばあちゃんの顔をみたってくれんね。」って言われた。
・・・。

お祖母ちゃんの部屋に行くと、左の肩が急に重くなった。
誰かが重くのしかかった感じ。
おばあちゃんは今もここに居るんだな~って私の体を通して実感した。
あまりにも突然のことだったから、きっとまだ理解してないんだろうって。
「よ~~来たね~」って傍で笑って言ってくれてるような気がした。

そう言えば、私が産まれたとき、おばあちゃんが神戸に来てくれて、
とてもよくしてくれて、私の面倒を見てくれたって聞いた。
その当時の記憶はもちろんないんだけど、
おばあちゃんの腕の温かみが今も残ってるような気がします。

私は結局、最後まで祖母の顔をじっと見ることが出来なかった。
やっぱり信じたくなかったのだと思う。
この前逢ったのはいつのことだっただろう?
大好きだった祖父が旅立った時は、私は体調を崩して、長崎に行くことが出来なかった。
でもそのおかげなのか分からないけれど、
私がいつも思い出すおじいちゃんの顔と言えば、可愛い笑顔なのです。
おばあちゃんの顔は?!
ん~~…今はまだなぜだか分からないけれど、ちゃんと浮かんできません。
でも、今度自然に思いだす日が来たら、豪快に笑うおばあちゃんの顔じゃないかなって思う。

四十九日も無事に過ぎ、おばあちゃんは今の状況をちゃんと受け止めただろうか?
おばあちゃん、まだあの部屋に居るってことないよね?!
先日、母の夢にやっとおばあちゃんが出てきたらしい。
穏やかな顔だったらしいから、きっともう大丈夫だろう!と母が言った。
母の思い、みんなの思いがどうか届いて、
そして、ちゃんと良い場所へと旅立ってほしい。
それが今のみんなの願いだから☆

忘れてしまいたい…。忘れてしまえたら…。

2005年01月17日 | ☆命の尊さ☆
2005年1月17日(雨のち晴れ)空は晴れてるのに、冷たい雨が降る日です。

1月17日午前5時46分。今日で阪神・淡路大震災から10年目になります。
三宮の『東遊園地』では、朝から小雨の降る中、追悼式が行なわれています。
モニュメント「希望の灯(あかり)」6433本の灯が点灯され、
暗闇の中に「1・17」の文字が浮かび上がりました。

10年が経ち、完全に復活したかのように見える神戸ですが、
神戸の街を歩いてみると、まだまだ至る所に震災の爪痕が、今も尚、生々しく残っています。
↓の写真は、東遊園地にある時計なのですが、震災時に横倒しになり、時計が止まったままです。
『東遊園地』は、私の職場から近い為、郵便局等に行く際に、ほぼ毎日通るので、
あの日のまま止まってしまったこの時計を見る度、あの日の事を思い出します。

今日、神戸市役所前では、学生達のライブなどが行なわれており、色々な活動が見受けられます。
〝東遊園地〟には、たくさんの人々が行き交っています。
ハンカチを手に、真っ赤に目を腫らす人々・・・心が痛みます。
時間が止まったままの時計のモニュメントの前にも、今日はたくさんの人だかり。
私はいつものように、郵便局に向かう途中、東遊園地の傍を通りました。
けれど、東遊園地内に足を踏み入れようとしたけれど…今日は足が向きませんでした。
ただ涙が溢れ、止められなかったから、足早に通り過ぎました。
私より、もっともっと哀しい方々が多くおられると言うのに・・・。

どうしても思い出すんです。
高校時代に同じクラスだった友人の笑顔や、そのご家族、よく遊んだ親友の家や、
よく通った街角の可愛い喫茶店、お気に入りだったお店も、綺麗だった桜並木も、
見慣れた古い駅もマンションも、そして大好きだった公園のブランコも…。
楽しくて仕方がなかった仕事(旅行代理店)も、震災のせいで潰れてしまった。
大好きだったお客様達の笑顔を奪い、仲良くして下さった大勢のお客様達の命を奪った。
もう二度と見る事のない笑顔や神戸の風景を・・・。

でもね、私なんかよりもっともっと身近で、とても大切なものや人を失った人々が
多くおられます。今もずっと苦しんでいて・・・。
何もかも一瞬の内に消えてしまった。失うものがあまりにも多すぎて・・・。
『忘れてしまいたい!何もかも…いっそ忘れてしまえたら・・・。』
きっと私以上に、深く、そして強くそう思う方々がおられるでしょう。
でも・・・決して忘れてはいけない事なんです。忘れたいけど忘れられない日・・・。
当時の風景や爽やかな笑顔を、私達は胸に刻み込み、決して忘れてはいけないんですよね。
とてもつらい事だけど…。
大切なあの人達にもう一度逢いたい!って気持ちは、去年の今日、ここで断ち切りました。
そして今年は、そういう大切な気持ちとあの日を決して忘れてはいけない!
私達が覚えておかなければ!って思うから、だから、〝忘れない!〟と心に強く誓いたいと思います。

大好きだった神戸の風景、そして大好きだった笑顔とたくさんの気持ち…。素敵な想い出。
目の前に確かに存在していた、あのあたたかいぬくもりをいつまでもこの胸に残して・・・。
決して忘れない・・・。

阪神・淡路大震災『希望の灯り』

2005年01月16日 | ☆命の尊さ☆
神戸、三宮の〝東遊園地〟内に、『希望の灯り』が燃え続ける場所が有ります。
その地下には震災で亡くなった大勢の方々のお名前が刻みこまれたプレートがあります。
私はまだ、その場所に足を踏み入れた事はありません。

『希望の灯り』←この碑には、次のように刻まれています。

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1.17 希望の灯り

1995年1月17日午前5時46分
阪神大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

…たった一秒先が
予知できない人間の限界…

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
私達の思いを
むすびつなぐ

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私は、震災が残してくれた物なんて何もないと思っていたけれど、
確かに〝人の優しさ〟や〝人と人との繋がり〟〝絆〟
そういう〝大切なこと〟を人々の心に気付かせてくれたような気がします。
そしてこれからも大切にしていかなければいけないと言う気持ちも・・・。


震災から明日で10年。