はるのつぶやき

家族のこと、仕事のこと、いろいろです。
本業は税理士です。

おとうさん

2008年03月13日 23時11分00秒 | つぶやき
自覚してた以上の読書好きが発覚したところで、『本』にまつわる思いなどを、いくつか書いてみよう、という気分になった。
続くかどうかは…。


なぜ本が好きなのか。
そのルーツは今はなき『おとうさん』にあると思う。
『おとうさん』というのは、ややこしいコトに母方の祖父の呼称である。
『おじいちゃん』と呼ばれることを断固拒否し、祖母、母親兄弟、その旦那&嫁までは普通だが、その子供つまり孫達一同にまで『おとうさん』と呼ぶことを強要した、祖父のコト。
どこからどうみても、ミマゴウかたなき、おじいちゃんなのに。

話がそれた。
なぜおとうさん=本好きのルーツなのか、って話だ。

おとうさんは、酒は飲むしタバコも喫うし、妻である祖母には横柄だし、人格者かダメ親父かというと、一族からの評価はどちらかというと後者だったように思う。
『まったくしょうがないねぇ』的ポジションであった。

しかし別の顔もあった。
『おじいちゃん』になった後も、今でいう嘱託的立場なのか、仕事をしていた。
普段着のクレープ地の七分丈セットアップを、ネズミ色のスーツに着替えて職場へ出かけていく姿は、幼心に『おとうさんは、おじいちゃんなのにかっこいいなぁ。』と思ったものだ。(驚くほどすぐに帰ってくるのだけれど。)

その職場の方々からの人望はソコソコだったらしく、年賀の挨拶に訪れるひともいたし、贈り物もよく戴いていた。
もしかしたら、とても上品で人格者、尊敬すべき祖母の力かもしれない。

で何だっけ?あ、ルーツですよね。

その『おとうさん』、遊びにいくと帰りにきまってお小遣いをくれる。
金額もきまっていて、500円。
どんなに久しぶりの訪問でも500円。
小銭の手持ちがないときも、わざわざ崩してきてでも、きっかり500円。
こっそり数千円もくれる祖母とくらべて、『おとうさんはちょっとケチなんじゃないか?』と内心思っていたものだ。

そしてくれるときに必ず、
『本を買いなさい。』
と言うのである。
120%、絶対に、欠かさず、言うのである。
小学校にあがる頃には、帰り際おとうさんが黒革のくたびれた小銭入れを取り出すと(あ、やった、本買いなさいだ。)と思ったほど、確実だった。

子供の私にしてみれば、ややつまらない話だ。
本なんて、家にも、学校の教室のロッカーの上(『学級文庫』とか呼ばれてた)にも、図書室にも、くま文庫にも、読み切れないほどある。
それでも、『マンガでもいいの?』『小学3年生は?』『明星かったらダメ?』『おつりはスモモ買ってもいいの?』と、老人に対して『何時何分何秒地球が何回まわってから?』的質問を浴びせて指定用途の範囲を確認したあと、500円を受け取るのだった。
(ちなみに本は普段なら買い物帰りにタイミングよく母にねだれば、かってもらえるアイテムだった。)

忠実屋の1階にあった小さな本屋の中、用途指定とスモモの30円を心に一人ぐるぐる歩き回るのも、店員さんが手際良くカバーを掛ける様子も、買った本を入れてもらうペラペラでカシャカシャした手触りの袋も、ちょっと特別だった。

また話がそれたが、そんな風に『本を読むことは、大切なことなんだよ。』ということを教えてくれた祖父は、私を本を読める人間に成長させてくれた第一歩だと、いまさらながら、感謝しているんである。

もうおとうさんが他界してから7年(だったはず?)が経った今でも、スーパーの中に古めかしい本屋をみると、おとうさんの小銭入れを連想するときがある。

おとうさん、ありがとう。