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はるのつぶやき

家族のこと、仕事のこと、いろいろです。
本業は税理士です。

坂上みきさんのインタビュー

2016年11月26日 20時37分15秒 | 赤ちゃんのこと

何かのリンクからたまたまたどり着いた記事がこちら。

http://www.sankei.com/entertainments/news/160807/ent1608070001-n1.html

「子供が欲しい気持ちに抗えなかった」という坂上みきさん(って、この方知らなかったけど。)
なんと53歳で無事出産。あっぱれ。

インタビューの中での、「長生きしなくてはと思う反面、いつ死んでもいいという気持ちが併存している」とコメントに、とても共感した。

--出産して、気持ちの変化は?

 「幸せを感じる瞬間が圧倒的に多くなったということと、53歳で産んだから100歳以上生きる、と言うのが完全な目標です(笑)。ただ、長生きしなくてはと思う反面、矛盾するけれども、次の世代がいると、もういつ死んでもいいや、と思える、相反する2つの思いが常にあります。それは面白い変化ですね」

この間、旦那様と外食をした時。
「はるの夢って、なに?」って聞かれたんです。

考えるより先に、「もう大体全部かなっちゃったな。」っていう思いが口からでてました。

家族の支えと強運に恵まれて、やりたいことを気持ちと直感の赴くままにやってきたここまでの40年間。常に満足に近い状態で生きたけど、「子供が欲しい。(出来れば結婚もしたい。)」という、中学生のころからの夢がずっと後回しになったままのこっていた
30年来思い続けてはいたけれど、「あれもしたかった、ここもいきたかったのに、子供がいたからできなかった。」って思うことが許せなくて、あれもこれもやってからと、とうとう生物的にギリギリなところまできてしまった。

このブログにも書いたけど、「一人でやりたいことは、もうやりつくしたな。」って思えたのが4年前(37歳)。
さ~て、そろそろ子どもが欲しいぞ!と思ったものの、そう簡単にできるものでもない。相手の調達から始めないといけないからタチが悪い。
「この男の子供がほしい!」と思える相手にそうそう出会えるものでもなく、歳を重ねて目ばかりが肥えてくれば、なおさら。

そうこうするうちに、沖縄赴任になってまた新しい楽しみをみつけてしまったりもして、あっという間に3年が経過。
40歳になって、「さすがに最後のチャンスだ!」と結婚相談所に入会したとたん、全く別の場所で今の旦那様と出会った。

「この歳で、こんなに人のこと好きになるもの!?」と自分でもひいちゃうぐらい、愛しくてたまらない、どうしてもこの人の子供が欲しいと思った。

そして出会って8か月後、新しい命を授かった。

彼とは結婚の話をしていたわけでもなく(それどころかちゃんと付き合ってもいなかった。「彼女にしてほしい」っていうお願いも断られたからね。)、彼に妊娠の話をするかどうか迷った。彼からそっと離れて、一人で産むことも、十分可能性のある選択肢のひとつだった。
彼の子供を産み育てたい気持ちと、彼のそばに居たい気持ちと、どちらかを選べなくて、結局彼に話をした。
一度は「堕ろせっていったら堕ろしきれるか?」って言われたり、紆余曲折いろいろあったけど。結局その彼と入籍をして、妊娠発覚から3か月経った今、二人と子供の将来の話もできる。結構いい夫婦になった私たち。

…って話が大分遠回りしちゃったけど。

無事に元気な子供を産んで、この手にその子を抱けた時、「もういつ死んでもいいな。」って思う気がするんである。
もちろん実際は、この子供のために、1日も長く頑張って働かなきゃなんだけどね><


トリプルマーカーテストから羊水穿刺、その結果。

2016年11月26日 19時45分38秒 | 赤ちゃんのこと

マーカーテストの結果を聞かされてから2週間余り、ようやく羊水穿刺の結果が出ました。
そもそもマーカーテストの結果をどうとらえていいのか判断材料になる情報が限られていてただただ不安にあおられる中、経験者の方のブログを見ることで、とても参考になったし、励まされました。私も誰かのお役に立てればと、マーカーテスト~羊水穿刺、その結果が出るまでの経緯などを記しておきたいと思います。
もし書ききれていないことがあれば、可能な範囲でお答えしますので、お気軽にコメントください。

妊婦(私)について
40歳11か月で初めての妊娠(自然妊娠)、出産時年齢は41歳。
授かった赤ちゃんは1人(のちにエコーで女の子と判明)

11月1日 15W4D トリプルマーカーテスト用の採血
まぎれもなく高齢出産だし、一応受けておくか、というほどの心構えで受けました。費用は1万5千円(自費)。
「もし結果に問題があった場合には、1週間ぐらいで電話連絡します。」とのこと。

11月7日 16W3D 産院より電話

後1日で1週間がすぎるというタイミングで、かかってきてほしくない電話がかかってきてしまった。
産院の先生から、「マーカーテストの結果、心配な数値が出ている。希望であれば紹介状を書くので、大学病院で羊水検査を受けてはどうか?」とのこと。地元の口コミで選んだこの産院、人気ではあるけど、先生おひとりでやっている小さな医院。羊水検査を即断、紹介状をお願いすると、その日のうちに書いてくれた。その先のスケジュール(羊水検査の予約、結果の待ち時間、結果如何によって行う処置は22週までというリミット)を考えると、2日後の外来診察日には行った方がいいとのこと。時間的余裕があまりないことを認識する。

翌日、紹介状をうけとりにいくと、マーカーテストの検査報告書を一緒に渡される。
そこに印刷されていた、わたしの「年齢とトリプルマーカーで算出したダウン症児妊娠の確立」は1/49。併記されている「年齢だけで見た場合のダウン症児妊娠の確立」は1/67。そもそも41歳の時点でカットオフ値(この報告書では1/299となっていた。1/295という記載も見たことがある。羊水穿刺による流産のリスク 1/300 より高い場合を「陽性」と判断するモノらしい。)を超えているので、カットオフ値との比較は意味がないが、年齢平均よりも高い値が出ているのが気になる。出産年齢20歳だとこれが1177の1、35歳でも299分の1という数字であることを考えると、やはり看過できる数字ではない気がする。

11月9日 16W5D 大学病院に受診

紹介状を持って、主人と一緒にいった。
まずエコーでの外観チェック(奇形の兆候をみた?)と内診(早産傾向の確認だと思います)。
特に異常なし。大学病院の先生=研究者のイメージだったのですが、エコーを見ながら説明してくれる言葉が赤ちゃんへの愛情にあふれていて、すごくほっとする。
羊水穿刺の手順やリスク、目的、結果報告の時期などについて説明を受けたで、意思確認。
その際に、1/49という数字は決して低くないこと、また実際同じ結果の人49人に1人だけがダウン症という意味ではないということを先生に確認して、やはりシビアな状況だということを認識して、逆に冷静になりました。最後に一週間後の検査の予約をして、その日は終了。

ちなみに結果報告のスケジュールは、「1週間後に途中経過、約3週間後に最終報告だが、途中経過報告の結果が覆ることはまずほとんどない。」という説明であった。後からいろいろ調べ、FISH法の結果が1週間、G-Band法が3週間後ということと理解。

もし異常が見つかったら…
私は、妊娠の継続は諦めると決めていました。
私と赤ちゃんの生計は私が稼がなくてはいけない事情があります。(主人の名誉のために行っておくと、主人は毎日休みなく働いています。)障害があって保育園に預けられず、復職できない場合、主人の夢も巻き込んでの共倒れになることが目に見えているためです。
きっと不愉快に思われる方もいらっしゃると思いますが、ここはうちの個別事情とご理解ください。

それから一週間、どうしても最悪の事態が思い浮かんで、不安定になる日々が続いた。
もし赤ちゃんとバイバイしなければならないことになったら…
「もしそうなら残り少ない赤ちゃんとの時間を大切にしよう、めいっぱいかわいがらなくちゃ」って、頭では考えつつも、赤ちゃんに申し訳ない気持ちと、実際何が起こるかという恐怖で、涙が止まらなくなることが幾度もあった。

11月16日 羊水穿刺前日~や~ぐまい準備~

検査が原因で赤ちゃんがダメになることは、絶対に避けたかった。だから、48時間は「食事とトイレ以外は寝ている」スーパー安静モードを保てるように、検査前日は、買い物、掃除、洗濯、ご飯の作り置きなどの安静態勢の準備。
ちなみに安静を保つべき時間は、情報源によってさまざま。数時間後からフツウに生活していたという話もあれば、翌日から出勤、またコンサバなところでは丸2日は安静を保つように指示されたという記載も見られた。
私の場合、主人が当日生放送があってどうしても立ち会えず、往復自力で運転しなければならなかったため、「その日の帰宅は自分で運転しても問題ないですか?」と確認したのだが、「運転に問題がありそうな状況であればそのまま入院してもらいます。」という中途半端な回答(笑)。早産や張りの兆候がなければ運転ぐらいは問題ないけれど、逆に運転が気兼ねされるような状態であれば入院投薬が必要、つまりやってみての様子を見ないとわからない、ということなんだと思われる。

11月17日 17W6D 羊水穿刺当日

日帰り入院で、問題がなければ当日3時ごろには退院の予定。
9時半~手続き、10時過ぎに病棟に入って着替え、体重測定等を済ませて待機。
11時ごろに分娩室に入り、エコーと機械をつけてのお腹の張りチェック(そもそも私まだ胎動がなく、お腹がはる感覚もわからない)。
赤ちゃんはちょっと眠そうで動きが緩慢だけど、今日も元気です。
立ち会う数人の先生達で、エコー画像を見ながら針を刺す位置等の打ち合わせ。
…が済んだと思ったら、そのまま11時半過ぎぐらいから処置開始。
局部麻酔をして、数十秒後にはもう「いきますよ~」って注射。痛みは、「ん?ちょっとイタイかな?」ぐらいで、全然大したことなかったけど、赤ちゃんが心配で心配で、でも目を開けていられず(注射が非常に苦手なのです)。
穿刺は一発成功、ものの1分ほどで終わり、お腹にバンドエイドをペタリ。

終わったと聞いて、すぐ目を開けてエコーの画面を見たけど、赤ちゃんの様子がよくわからない。先生に「赤ちゃん大丈夫でしたか?」って尋ねたら、「さしてるあいだ、離れてこうしてじっと待ってましたよ。」って、赤ちゃんがよけて縮こまってるマネをして見せてくれた。
さすが我が子。よく頑張ってくれた。本当にありがとう。そして、ごめんね。
採取した羊水を見せてもらうと、薄い黄色の透明な液体だった。「濁りもなくて、きれいですよ。」って。こんなに黄ばんでるのに?

施術後、途中トイレに寄りつつ歩いて病室に戻り、まず主人に無事終了の連絡をしてから、お昼ごはん。
体感的には、超フツウ。予防接種の後の方がまだ痛いぐらい。退屈だけどボランタリー絶対安静のため、ジーっとしておく。目の前に体温計があったので測ってみたら7度ちょっとある。微熱。一応看護婦さんに報告しておくが、あまり気にせずそのまま爆睡。

3時ごろ起こされて、再度エコーとお腹の張りのチェック。
エコーは問題なく(どんな状況でもエコーで赤ちゃんを見れるのはウレシイ)、お腹の緊張を図る針もピクリとも動かなかったので、あっけなく退院許可。

張りチェック中に、放送を終えた主人が駆けつけてくれた。主人の顔をみてとてもほっとして、涙が出てきた。
「無事終わったよ。赤ちゃん、ちゃんとこうやってよけてじっとしてたって。」と報告する。
「よく頑張ったね。」って。自分が褒められたようでまた涙がこみ上げたけど、頑張ったのは、赤ちゃんと先生だ。

お会計窓口での請求金額は、14万円ちょっと。
ざっくり検査料・作業料が10万円+入院費用が4万円。
説明で聞いた10万円より大分高くてびっくりしたけど、入院費用は別だった模様。

検査後…

翌日から丸48時間、主人にも協力してもらって「ご飯・トイレ・2日目のシャワー」以外、ず~っと寝て過ごした。
3日目の朝も何事もなく迎えられた。感謝。

11月24日(木)18W6D FISH法の結果報告

1週間が経ち、Fish法の結果の報告日。朝から肌身離さず電話を持ちあるいてたが、時をすぎてもかかって来ず。
「言いにくい結果だったから、電話を躊躇しているのかも・・・」などと、不吉な考えが頭をかすめる。

夕方勇気を出して電話をしたら、すぐ担当医からかけなおすといわれ、さらに待つこと1時間。
生きた心地がしなかったが、結果は「途中経過としては異常なしでした。」とのこと。
「まだ最終結果まで時間があるけど、この結果が覆ることはまずないと考えていいですよ。」と。

先生にお礼を言って電話を切り、主人と産院に連絡をしたあと、一人になって、泣きました。

最終結果がでたら、また続きを書かせていただきます。

12月7日 G-band法の最終結果報告

病院にいって、改めて最終結果を聞きました。

結果はFISH法と変わらず、異状なしでした。
何に対してといえない感謝の気持ちでいっぱいになりました。

遺伝子の図?絵?のようなものをいただいて帰りました。