このブログに、初めて自分の写真載せる気がしていますが汗
モザイク入れたら意外とヘンな感じになっちゃったから、ええい載せちゃう。
小学校に上がる前から、オルガンを習っていた。
おそらく自分から「やりたい」って母にお願いして、始めたのだと思うのだけど。
物心ついたころにはもう、毎日の練習がイヤでイヤで。
で、練習していないから週一のレッスンも、もっとイヤで。
それでも「もう辞めなさい!」って言われると、なんだか期待を裏切るような気がして(←とっくに裏切っているんだけど)、どうしても「うん、辞める。」って言えず、ダラダラ続けていた。
それでも得意意識(っていう言葉はないけど、苦手意識の逆ね)のせいか、なんだかんだ音楽は好きで。
小学校では合唱部と合唱団にまで入ってたし、小中と吹奏楽部でフルート吹いて、部長やら指揮者やらも進んでやってた。
平日は毎日朝練・午後練、夏休みはほぼ毎日、凍らせた紙パックのジュースをもって練習しに学校行って。
なんかすごく、青春だった。
そんなピアノも中学3年に上がる少し前に、「とりあえず、受験が終わるまでお休み」というタテマエで、やっと辞めた。
月謝はだいたい月5000円だったから、10年だったとして60万円。アップライトだけどちゃんとしたピアノも買ってもらって、だいぶお金がかかったと思うのだけど、結局何かの役に立つこともなく。今でも時々弾いて楽しめるレベル…ですらも、全然なく。
「お休み」してから約30年。
高校に入って、大学に行って、資格とったり、会社に入ったり、その会社を辞めて馬の調教師を目指したり、はたまた社会に戻ってみたり、副業でダイビングのインストラクターをしたり。
振り返ると、自分でも笑えるぐらい本当にいろんなことをしてきたけど、ピアノを弾くことは、結局一度もなかった。
それが、予定外の転職で入った会社で、予想外に沖縄赴任になり。
そこで全く想定していなかった、民謡歌手のひとと結婚することになり。
なんと30年ぶりに、まさかの人前でピアノを弾くことになりました。ついでにフルートも。
「楽譜があってもなかなか上手に弾けないのに、楽譜がないのに自分でアレンジして伴奏するだなんて、絶対無理なんですけど。」
‥‥と抗議したものの、「大丈夫、できるよ!」って押し切られ、どうにかこうにかやりました。
もう考えすぎて、練習しすぎて、いいのかわるいのかもよくわからないけど。
二人であーでもないこーでもないいいながら、時に頭を抱えながらも、形にできたことは、すごくうれしい。
しかもそれがCDになったから、一生、、、いや、私たちが死んだ後も残る。
「アンマーありがとう」(太郎三線さんが動画で工工四を公開してくださっています~)
でも正直、出来としては、仲村渠真嘉戸のフルートの方がイケてる…と思っていることは内緒にしておく。(この動画の5分00秒ぐらいからです。)
CD情報はこちら↓↓↓よろしかったらご覧くださいmm
http://kazuakikouchi.neiroya.okinawa/discography-cd情報/