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はるのつぶやき

家族のこと、仕事のこと、いろいろです。
本業は税理士です。

Bali Trip 2012 -Diving&Snorkeling-

2012年10月28日 08時14分31秒 | 旅のこと

危うく忘れるとこでした、ダイビングネタ。

今回はダイビングは6本のみ。
当初12本の予定だったんだけど、カードが使えないのと、スノーケリングで十分きれいな海にでられる(そして自由で楽しい!)ことに気付いたのとで、6本にしました。
そもそも、泳ぎたいメインだからね。

今回もカメラ持込みでたくさん撮ってきましたが、残念ながら自分の目で見たときの感動は映せていない。
スノーケリングで長時間潜っていられるようになったのは大進歩です。


Flash焚いてみればよかった。


Nyoman撮影。


ハウスリーフのお気に入りスポット


西田さんとのダイビング中、「待って撮る」を実践。


Cafe Indah前でみた怪しい生物。


Bali Trip 2012 -Yum yum-

2012年10月28日 07時56分31秒 | 旅のこと

バリのお食事編。

どこに行っても(注:アメリカ以外)地元料理を満喫してしまうワタクシですが、今回も大満足!
なんなら今までで一番食に満たされた旅だったのではないでしょうか(←ただの食いすぎ)。
Ubud & Seminyak編でご紹介済みのフルーツも含めて、今回のお食事大公開。

まずはDPSからAmedに向かう途中で立ち寄ったWayanおすすめのNasi Chample屋さん。
ソースが激辛で、インゲンもほんのりココナツカレー味。フィッシュサテも激ウマでした。
一人前200,000RP(200円)なり。

バイクの物売りから購入したおかゆ。ココナツミルクで米粉を練った感じでしょうか。
あまり得意ではない味で、めずらしく2口でギブアップでした(笑)。

やっぱりこれが一番絶品だったかな。Celemonyでふるまわれたごはん&サテ。
人生初の手食い。

Warun WayanのNasi Goreng(20,000RP)とサラダ(15,000RP)。



同じくWarun WayanのCoconut Ikanなんちゃら。(魚の練り物とココナツのフリッター)
付け合せのUrabが、絶品。

そして釣ってきた魚のグリル バリニーズソース添え。超新鮮です。

ここのごはん、何をとっても本当においしかった。しかも安い上に明朗会計、Nyomanを始め店員さんも感じよい。
実はIndahよりこっちがお気に入りでした。

Cafe IndahのPepes Ikan(40,000+Tax/Svcで多分45,000RPくらい)
まぁ普通に美味しい。付け合せのお野菜の方が美味しい。

テンペサテ(33,000RPぐらい)
テンペってもんを食べてみたかったので挑戦。結論:味はしない。

ゆでバナナ。
Nyomanのおやつをつまみ食い。なかなかイケル。

浜辺でLiamたちが焼いてたマカレルをつまみ食い。
朝10時から、飲んでますこの人たち。
こういうのがうまいのよね~

Nyomanが見つけて友達が捕まえたタコ。超新鮮。味は、普通のタコだけど、バリニーズソースが、うまい!!
(バリニーズソース:生唐辛子、ニンニク、玉ねぎ、レモン、オイルを混ぜる。塩分について言及はなかったが、少しは入れるんだろう)

その辺でもいできた若いマンゴー。野菜っぽくておいしい。(ちょいちょいその辺でもいで食べてました。ごめーん。)

こっちのホテル朝食の標準形?トースト+卵焼き+フルーツサラダ。
見たままの味ですが、卵サンドにABCのAsli(チリ)ソースをかけると格段に美味しくなります。(5本も買って帰ってきたわたし。)

ウブド名物バビグリン(Ibu Oka)
スペシャル(全部乗せ)で33,000RP。
手食いする気満々だったのですが、フォークとスプーンをキュッキュと拭いて使い始めた相席のジャカルタカップルの目の前で、日本人の私が手食いというのもわざとらしいので、敢無く断念。手食いの方が美味しいに違いないのに。

ウブドのNasi Padan屋さん。(30,000RP。一番高いけど美味しかった。)
Nyomanに連れて行ってもらって初のPadanに挑戦。
意外とシステムは簡単で、値段設定はいまだ不明だけど(多分雰囲気なんだと思う)、どんなに高くなってもたかが知れてる。
超気に入ってしまって、この後Padan尽くし。

SeminyakのNasi Padan。タクシーの運ちゃんのおすすめ。(18,000RP)
1人で乗り込んだけど、英語が喋れる店員さんで、おしゃべりも楽しかった。
周りもみんな手で食べてたので、ワタクシも堂々と手でいただきましたよ。
手で食べてるとよく、「バリ長いの?」と聞かれます。初めて来たし、たった2週間だけどね。

KutaのNasi Padan。Birmanの行きつけ。(15,000RP)
Javaでは手食い文化は薄れつつあるらしいけど、Birmanはママの影響で今でも手食い基本らしい。
二人で手食い(笑)。

★フルーツシリーズ★

特大パパイヤ半分 5,000RP
甘くて柔らかくて、もうずっと食べていたい。

マンゴー大2つ +ランブータン 35,000RP
初マーケットでちょっとぼられたけど、味は一番おいしかった!

こんなマンゴーが一個5,000-10,000RPで買えます。
食べ過ぎてしまうのも仕方ありますまい。

トマトこんなに詰めても3800RP

カットフルーツカップ(丼ぶり?) 10,000RP

カットフルーツチリソース添え 4,000RP

ドラゴンフルーツジュース 5000RP

番外編-KL LCCT-

フルーツピックルス盛り合わせ(100g2.9RMで、これは12RM )
アップルマンゴーとパパイヤペッパーが美味でした。

 Singaporian Nyonya Laksa (13.9RM)
KLでニョニャを食べられるところは本当に少なくて、おなか一杯ながら挑戦。
まずくないけど、期待はずれだった。

 そして恒例のAir AsiaのNasi Lemak(420円)

大量の唐辛子にも、水にも、カットフルーツにも一度もお腹を壊すことなく現地食満喫できました。
丈夫な胃腸に、感謝です(笑)。


Bali Trip 2012 -Ubud & Seminyak

2012年10月27日 13時33分00秒 | 旅のこと

初バリだし、メジャーどころも行っておこうと、日本人女性に人気のウブドに3泊、Kutaから近いけど少し治安のよいSeminyakに2泊よりました。
結論から言うと「Amedだけでよかった」、です(笑)。

一応それなりに見てきたのでちょろっとだけ。

■Ubud

<いきなり病院行き>
Amedを去る前日、最後だからと欲張って計5時間ぐらい海にはいってたのがたたり、到着早々に膀胱炎発症。
土曜日夜で、病院も空いてないし日曜も休診の可能性大。月曜まで待ったら重症化は決定的。
困っているところに、Ubudについてすぐ散歩に出たときに知り合ったドライバー兼ホテルセキュリティ兼観光ガイドのHediさんが、たまたま(かセールスか)で宿にやってきたので、ダメもとで聞いてみると、「24時間の病院がそこにあるから、いますぐ連れて行ってあげる。お代は君の気持次第でいいよ。」と。なんだかうますぎる気もするが、背に腹は代えられず、ホテルのフロントに一応これから連れて行ってもらう旨を報告してから、乗せて行ってもらうことにする。
意外やほんとにきちんとした病院に連れて行ってくれて、受付での通訳や、帰りの水やお茶の買出しまで付き合ってくれたHediさん。
病院では運よく英語の話せる女医さんにあたり、やはり膀胱炎の診断で抗生物質を処方してもらう。34万ルピー(3400円)もかかってしまったが、これで一安心。Hedi、疑ってごめん。感謝の気持ちもこめて、タクシー相場の2~3倍と思われる10万ルピーをお支払いしました。

<ザ・観光地>
ちっちゃなアクセサリー屋さんや洋服屋さんがたくさん並んでいるのだが、まさにお土産屋さんの様相。
清水寺の参道の方がまだ面白いってくらい画一的で、しかもモノがいちいち高い。シルバーアクセなんて、日本の方が安いぐらい。
その高い値段も、いちいち交渉しないと聞き出せない。

ここのBargainingは、少しづつ歩み寄る形式。
例えばいいとこ1000円のピアスがあったとする。
まず向こうは3000円とか言ってくるが、ここで1000円と言ったら負けでなんである。
そこで300円といって、向こうが2500円、こっちが500円、向こうが2000円、こっちが700円、といった具合である。
面倒くさいことこの上ない。
ちなみにその日いちばんのお客さんがGoodluckなのはここでも同じらしく、少し強気で行っても負けてくれたりする。
ピアス90,000RPを2点と、サロン3枚120,000RPはまあまぁな買い物だと思ったけど、まだ高いんだろうな。

そして道端にはいたるところにおっさんがたむろして、10mおきに「Taxi、Transport」と声をかけられる。
正直、うっとうしい。必要なときは呼びますから、ほっておいてください。

<フルーツ三昧>
市場の他にスーパーもあって、好きなものを買えるのはAmedにはなかった楽しみ!
ここぞとばかり、フルーツを食べまくりました。
マンゴー、ランブータン、マンゴスチンにパッションフルーツ、スイカにパパイヤ、辛いタレを付けて食べるカットフルーツにも挑戦。(このたれでキュウリを食べたら普通においしかったけど、フルーツにかける必要は全くない。)

<道が最悪>
側溝にふたをしたところが、一応歩道になっているのだけど、まー足場のわるいこと!
30センチぐらいの穴は日常茶飯事、たまにジャンプしないと越えられないようなGapもある。
現地の人は、朝のお祈りセットの残骸を含む種々のゴミを、この穴にじゃんじゃん掃きいれてしまう。
詰まったりしないんだろうか。

バリじゅうどこへいっても、道端に1Lのウォッカの瓶がならべられた棚がある。
なんだろう?と思って観察していたらこれ、ガソリンなんです。危険すぎる。
日本の様にいたるところにガソリンスタントがあるわけでないのと、タンクの小さいバイクが多いからなんでしょうね。
何かあったら、ちょっとした爆発騒ぎですよ。

<伝統芸能>
毎日どこかの寺で演奏やダンスが行われている。
昼間の宮殿では子供たちが練習しています。
なんだか完全に商業化されていて、どうしても見に行く気になれず、今回はパス。

近所でやってた結婚式の方がずっと興味深かった。

<バリの女性>
ここでも女性がはたらく、はたらく。

このがれきの山。当然ユンボが来ると思うじゃないですか?

どっこい、人力で籠にいれて、頭にのせて運ぶんです。
しかも、女性が。

イスラム教と違ってあまり問題として取り上げられることもなく、ワタクシ全く知りませんでしたが。
ヒンドゥ教のバリでも、やはり女性の立場は非常に弱いものだそうです。
学校に行かせてもらえる女の子はほとんどいません。少し裕福な家でも、学校に行かせてもらえるのはせいぜい2人目の男の子まで。学校が無料だとしても、通うためのガソリン代や給食費が払えないんだそうです。
また一夫多妻が認められていて、さらに2人目以上の妻を娶る際の収入制限や祭司の許可制度のようなものもありません。(マレーシアでは厳しく定められており、十分に養えるだけの妻しか娶ることはできません。)
一方離婚をしたら、親権は当然のごとく男性に属し、女性は慰謝料の請求権すらありません。
男性の家に嫁いだ後、女性が実家の両親の面倒を見ることは許されません。
また長男がすべてを継ぐという家長制度も、今なお健在です。
現地で出会った心優しく純粋な男の子たちとはなんだか一致しませんが、それが現実だそうです。

■Seminak
ちょっと静かなところを選んだつもりが、近くのバーで夜ごと大音量で音楽を垂れ流し。最悪な環境でした。

到着してすぐ、恒例の街歩き。Kutaまで往復3時間ほど歩いてみました。

ここもザ・ビーチ観光地。
バカ高い土産物屋や、劣悪な品質の洋服を売る店。
観光客にブレスレットを買ってくれとせがむ子供や、売春まがいの女の子。
なんだかPatayaを彷彿とさせる場所でした。

ブレスレット売りの子供たちの中で1人、際立ってきれいな英語を話す女の子がいました。
ネシア語と英語ができれば、通訳としての仕事を得られるでしょう。
自立できるまで何とか無事に切り抜けて、幸せになってね。

朝のSeminyakのビーチは静か。
ジョギングをする欧米人や、散歩にでてきた地元の方々がそれぞれに朝のビーチを楽しんでいます。

中日にKutaまで遠征して予定通りサーフィンに挑戦。
Oddessayという大手のサーフスクールを予定していたのですが、朝9時に行ったら、「朝は7時がラスト。次の回の1時までクラスはない。」とのこと。
しかもグループレッスン2時間300,000RPだと思っていたところが450,000RP(4500円)と判明。湘南とかわらないじゃん。
あきらめて近くで客引きをしていたビーチボーイのBirman君にお願いすることにする。
90分で150,000RPだというし、もしダメダメだったらその後あらためてOddessayのスクールにいってもいいや、ぐらいの気分で。
他に客もないから個人レッスン、少々英語はつたないが、誠心誠意教えてくれる。あっという間に立てるようになって、ほんと楽しい!
Birmanの友達もなんだか知らんが盛り上げてくれるし、サーフィン後もなんやかんやおしゃべりしたりしてお昼過ぎまで長居してしまう。
物売りもやってはくるものの、Birmanたちのグループにすっかり溶け込んでるのと、Birmanが「この人はいいから。」という調子で断ってくれるおかげで、無理やり売りつけられることもなく、いろんな人と話して楽しく過ごした。
日本語ができるけど英語ができない子と、英語できるけど日本語全然わからない子とがいて、日本語&ネシア語&英語の会話が不思議と成り立ってるのも面白かった。

この時期観光客は少なく、ビジネス的には厳しいようだ。
Herman(写真左)が日本語で「お客さんナイネ~今日なに食べるね~」と歌うのが妙にリアル。
自給自足でも食べるのには困らないAmedと違って、Kutaでは現金収入がなければ食事に事欠く。
しかもJavaから出稼ぎに来ているこの子達にとって、収入がなければ滞在費がかさむだけでマイナスなのだ。
もう突き抜けて明るくするほかないのだろう。

Birmanがホテルまで送ってくれるというお言葉に甘えて、代わりにお昼をご馳走する。
Nasi Pandan屋さんで1人15,000RP(150円)という質素なものだけど、「ありがとうございます。」とかしこまってお礼をいうBirman。
「サーフィン本当に楽しかった!Birmanに教えてもらえてホントよかった。ありがとう!」とお礼を言うと、「私も仕事をもらって、本当にありがとうございます。」とまたかしこまる。

帰ってきてからFriend申請したBirmanのFacebookに、「明日は仕事があるのだろうか。不安で眠れない。」というPostがたくさんあって、せつなくなる。20歳そこそこでたった一人出稼ぎに出て、そんな深刻な状況に置かれるなんて。
日本から飛行機でほんの数時間の国に、こんな現実があるのです。
毎日仕事があって、毎月きちんと暮らしていくに十分すぎるぐらいのお給料がいただける。
日本では当たり前のことだけど、そのありがたみを忘れてはいけないなと。
今の日本に生まれた私たちは、本当に幸運です。

一方、どう考えてもBirman以下の仕事しかしていないAmedの青年たちは、不安になるどころか、一向に気にしていないのか、気にしているけどそれを出さないだけなのか・・・。
そういえば、ひょうきんなお調子者のRomiに、「将来なにになりたいの?」と聞いたら、「ボスになりたい。」と言っていた。
ホテルでもレストランでもいいから、「ボス」になりたいんだと。
「そっか、自分でビジネスをやりたいんだね~。じゃあ投資が必要だからお金貯めなきゃね!」と何の気なしにいったら、黙ってしまった。
そんなまとまったお金を手にするチャンスは、ゼロだということなんだろうか。
ごめんね、Romi。
日本人女性を捕まえようとする男の子が多いのは、将来の生活の糧にできるようなビジネスを始めるためのまとまったお金を手にできる方法が、それ以外にないからなんだろうか。
そんなに仕事をしたいようにも見えないんだけどな(笑)。


Bali Trip 2012 -Wedding Celemony-

2012年10月27日 12時01分07秒 | 旅のこと

ある日Nyomanが、「友達のWedding Celemonyがあるから一緒に行こう!」って誘ってくれた。

結婚式って、日本では他人が軽々しくでていいもんじゃないけど。
どうもバリでは、だれが出てもいいみたい。
(結局、本番の結婚式は月末で、今回のはその前に新郎の実家で開くBachelor partyみたいな会だったんですけどね。)

新郎の実家はLipahからバイクで山道を40分ぐらい行ったところにあるSerayaという村です。
Lipahにいる彼の友達がこぞって集まるので、近づくにつれて暴走族状態になります(笑)。
まだバイクに慣れない私はかなり必死でしたが、途中壮大な景色が何度も見られて、得した気分。
道で会う人もかなり知り合いが多いらしく、すれ違うたびにビッとクラクション。
そのたび物珍しげに見られてちょっと恥ずかしい。(多分服装のせい。)

その服装というのがコレ。
一応正装ってことで、Nyomanのお姉ちゃんのクバヤを借りたんです。

ふざけて仮装しているみたいにみえますが、本人真剣ですから。
そして色のコーディネートがめちゃくちゃなのは、Nyomanのセンスですから。

それにしても頭の巻物(ウドゥンというらしい)をしたバリの男性、セクシーです。
(と誰かに言ったら、「Naomi, Naka~~(Naughtyという意味)!!」と激照れされた。一般論だったのに。)


日の高いうち(4時半ごろ)から酒盛りが始まります。
家の縁側だけでは全然たりず、庭にも茣蓙やらビニールシートやら、元ビニールシートをしいてそこで飲み食い。
当然手食いです。(これがえらい美味しくて、以降手食いにはまってます。)
ちなみに中央のポリタンクは、ヤシワインが入っています。臭すぎて、私は飲めませんでした。

ちなみに、ごはんと魚の生ふりかけ、サテーが大皿でふるまわれそこからみんな手食いなのですが、「どうしてこぼさずに食べられるのだろう?」と観察してみたところ。

みんな盛大にこぼしてるんです。
なんなら各々目の前に、こぼしたごはんの山ができています。
このままではみんなが歩くたびにべちょべちょになるじゃーん!!と思っていたら。
ひとしきり食べたところで、手伝いのおじさんが出てきて箒でシートの下に掃きいれて、”OK”となります。
明日にわとりちゃんたちがきれいにしてくれるんでしょう。

ちなみに「トイレって、あるの?」って聞いてみたところ。
「ない。」
ガンガン飲みだす前に聞いておいてよかった。

リアルうるるんです。


中央が新郎。なぜか一番カジュアル。

自然にケチャが始まったりします。(超カッコイイんだこれが!動画だから載せられないのが惜しい)

天才シンガーも参加(お店どうしたの?)

ポリタンのヤシワインは、バケツに注がれ、

さらに手桶でコップに注がれ、次々に手渡されます。
Nyomanも私も飲めないのでArrakばっかりでしたが、飲んでる人はカポカポ飲みまくってます。
ちなみに量を少なくしても一気飲みするのが流儀です。(私にはいつも2ミリぐらいにしてくれてました。ありがとう。)

新郎とツーショット

女の子も参加してます。でもなぜか輪に入らない。

リアムとエド(あほ2人)

踊り始まったりします。

子供たちも、飲まないけど参加。
お酒を注いでくれたりします。

男同士で手つないだり、抱き合ったり、腰に手を回したり、結構ガッツリ行くので一瞬引きましたが、ゲイ的なことではないそうです(笑)。

そして12時ごろお開きとなって一段帰路につきます。

そこでですが、憶えてます?
みんな、バイクです。
さんっざん、飲んでます。

でもバイクでギューンと帰りましたよ。
Nyomanは最後の1時間ぐらいは水だけ飲んでましたが、その前にかなり飲んでたし。
中には歩くのもおぼつかないようなヤツもいるのに。
タクシーも運転代行もないので、バイクで帰る他ありません。(こえー)

さらに酔っぱらいすぎてライトをつけ忘れたまま走ってるのが一台。(街灯なんかゼロ、明かりナッシングですよ。)
NyomanとKomanで交代で照らしながら走って、何とか無事にLipahまで帰りましたが。
Liamが転んで肘擦りむいたらしいけど、死人が出なかったのが奇跡です(TT)。
もうこんな無茶は、やめてねみんな。

帰りはちょっぴり恐怖だったけど、楽しい体験でした。
このパーティでLipahのほとんどの若者と知り合いになれて、次の日からすっかり地元民気分(笑)。


Bali Trip 2012 -Lives in Amed-

2012年10月27日 11時12分07秒 | 旅のこと

Amedの産業は、観光と漁業。

■漁師さん

漁師さんたちは朝5時ごろ、Jukunと呼ばれる細長~いアウトリガーボートで漁にでて、7時半ごろに戻ってきます。
特に港があるわけではなく、砂浜に駐車(?)してある船を担いで海にでて、帰ってきたら波の勢いで砂浜に打ち上げるか、また担いで駐車させます。

釣ってきたバケツ一杯ぐらいの魚は、特に市場などがあるわけではなく、買い付けに来たブローカーに卸しているようです。

船を担いで駐車させる手伝いや、魚の積み下ろしの作業だけをするだけに浜に出てくる男どもや女性もいます。

いくらで売っているのかわからないけど、この人たち、これで暮らしていけるのかな?

ある朝、この漁に同行させてもらいました。(2人で25,000RPとられたけどね。)
朝5時、まだ真っ暗な中を出港、途中で日の出が見られます。(びしょびしょになるので通常のカメラは危険)

まったり釣り糸を垂らすつもりでいったのですが、どうも毛バリの仕掛けがたくさんついた一本の糸を流す手釣りタイプの釣りで、知らないうちに漁師さんがつっちゃってました(笑)。

海の男、カッコイイ。(船上では男前度3割増し)

この日は大漁、マカレルと呼ばれるカツオの小さいのが50~60匹ぐらいつれてました。


一生懸命に釣りに勧誘してくれたまだ高校生のNyomanくん。
後から聞いた話では、勧誘者は5%の報酬がもらえるそうです。
(125円のために、朝ごはんが終わるまでの時間も含めて、4時間も付き合ってくれたのね。チップあげればよかった。)

早朝たまにこうやって小遣いを稼ぎ、午前中Warun(食堂)を手伝って、午後は学校。そして夜また食堂というハードスケジュール。
「疲れないの?」って聞いたら、「これが普通だよ。釣り来てくれてありがとう!」って。
このまま健全に育っておくれ。

釣ってきた中から3匹をもらって焼き魚にしてもらいます。(えーそれだけ~?と思ったけど、十分すぎました。)

釣りたて新鮮の焼き魚、バリニーズソースでいただきます。


ペコペコのお腹に、ごはんも進んじゃいました。(別料金5000RPなり)

■ビーチボーイズ
浜辺に行くと、パラソルやスノーケルセットのレンタルをしているビーチボーイズがそこらじゅうにいます。
正直、旅行者の数より多くないか?ってくらいいます(笑)。
そしてだいたい、寝てたり食っちゃべってるので、仕事してる感はゼロ。
後で行ったKutaのビーチでは、ビーチボーイズの他タトゥーやマニュキュアのおばちゃんがいて押し売り感満載でしたが、ここではそんなこともありません。だってやる気ないもん(笑)。

■よろず屋
浜辺にたむろしていない若者も、日中から結構うろうろしています。
この人たちは旅行者からの要望があれば、バイクや車でのTransportation Service、snorkelingやTrekkingのガイドなど、よろずサービスに出動するべく、遊びながら待機しています。

ビーチボーイズもよろず屋組も、不思議なくらい押し売り感がありません。
なぜかと聞いてみたら、やる気がないからだけではなく、全部を仕切っている元締め(Organization)があって、みんなに平等に仕事が回るようにコントロールしているとのこと。
そのおかげで、我先にという押し売りに観光客が辟易することも、価格破壊が起きて利益スレスレの操業をすることもなく、うまく回っているのですね。
ちなみにこの元締め、月に2回、地元の女性を雇ってビーチクリーンアップもしているそうです。
すばらしいコミュニティの知恵です。これが機能している限り、細々とでも観光客に愛されるAmedが守られるでしょう。

■ナイトライフ
昼間寝てる時間が長いせいか、夜もみんな元気です。
だいたい所属のお店にたむろしてお客の酒を飲みながら歌うたったり、ライブ演奏のあるバー(クラブ?)に行ったりします。


Adelとか歌う。これがまた、うまい!


この人はお店の人。フランス語を歌いこなす。


毎晩飲んでたARRAKというお酒。焼酎みたいな感じ。


クラブ(HarleyとPacha BarとWawa Weweで回ってる感じ)

■闘鶏
地元の男どもの楽しみの一つ、闘鶏に連れて行ってもらいました。


鶏は蹴りあって闘うのですが、そのかかとの部分に5センチほどのナイフをひもでくくりつけ、殺し合いをさせます。(ヒョエェ~~~)
見ての通り、地元の猛者だらけ。旅行者も私だけなら、女性も私ひとり。
連れて行ってくれたNyomanはバリ版ルーレット?に夢中で私のことなんてほったらかし。

初めかなり好奇の目にさらされてちぢみあがったけど、闘いの合間に現地語であいさつしたり、簡単な話をしてみたり(「パパイヤ、美味しい?」とか(笑))するうちに、みんなが身振り手振りで「こっちの方がよく見えるよ。」「ここすわりなよ。」と話しかけてくれて居心地改善。しまいには現地人価格でパパイヤ&お水を売ってもらえちゃった(計30円。お店の5分の1くらい。)
微々たる金額だけど、なんだか認められた気がしてウレシい。
ほんの少しだけど、現地語覚えててよかったわん。

この卵、生のまま飲むんです。
Nyomanも4つも飲んでました。おえぇぇぇぇーーー

鶏専用バッグ(小窓付き)

■バリ人の名前

なんと4つしかありません。
第一子から、Wayan, Made, Nyoman, Katut、第五子はまたWayanに戻ります。
だからそこらじゅう、Wayanだらけだし、Madeだらけだし、Nyomanだらけです。
2人Nyomanがいたらどう呼び分けるのか?ー雰囲気です。苗字はほとんど呼びません。
「私Nyomanのいとこなのよ。」
「え、どっちの?」
「あっちのよ。ふふふ」
ふふふっつわれても、どっちのNyomanなのか全然わかんないんですけど。
これをマスターするには、かなり修行が必要です。

次は、Amed(からちょっといったSerayaというところ・・・だと思う)であったWedding Ceremonyのお話です。


Bali Trip 2012 -Amed, Bali-

2012年10月27日 09時59分19秒 | 旅のこと

今回の旅の最大の目的地はAmed。
Baliに行くことになって、ダイビングができる場所を探したらAmed&Tulambenが候補にあがり、近い方を選んだわけですが。
地球の歩き方でもほんの数ページ、「バリ島東部」の一部として紹介されているのみ。
アメリカを始め他の国のメジャーなガイドブックでも同様らしく、ダイバー以外の旅行者はほとんど来ないところです。(例外として、フランス人だけはなぜかたくさんいます。)


この地図で右端のダイバーマークのあるところです。

デンパサールの空港から車で3時間ほどこんな山道を超えて行きます。


美しいライステラス

たまたま宿をとったところが、Amedのなかでも外れにあるLipahという村なのですが。


こんなのっぱらが広がっています。

そこには牛や、

シカ?や

ヤギがいたりします。

鶏を飼ってる率が異常に高く(多分ペット兼食料)

野良鶏もそこらじゅうにいます。

 

こんなビーチ沿いの村ではプチ市場があったり、

子供があそんでいたり、

離れたところに住んでいる人用にバイクの物売りがいたりします。

どれも一つ1000RP(10円)という雑駁な値付け。

長いインゲン豆(Urab)をよく食べます。
テイクアウトの食料は、大体紙に包まれています。
この中身はおかゆなのですが、それでも紙につつんじゃいます。

お店はこれが最高レベルです。

つまり、ド田舎です(笑)。
観光地嫌いの私にはうってつけ。
旅のDestinationを選ぶ嗅覚の鋭さには、我ながら毎度感心してしまいます。

息をのむような朝焼けや

まぶしい朝日

裾野が長く広がるアグン山の背後に沈む夕日が見られます。

Scubaを背負わなくても、少し沖まで泳げばこんな景色に囲まれる、素敵な海に恵まれています。

本当に自然がいっぱいの、素敵なところです。

次はここの人々の生活についてご紹介。


Bali Trip 2012 -旅程&費用-

2012年10月27日 08時32分54秒 | 旅のこと

8月にTiomanに行ったばかりですが、もいっちょ旅しちゃいました。
今回のDestinationはBali!
当初Jと一緒に行こうと、沖縄旅行の予定をキャンセルして企てたわけですが、結局Jは来ず。
その代わり途中で会社の友達が一部Joinしてくれたり、現地の人々とガッツリ交流深められたり、盛りだくさんの楽しい旅になりました。

旅程はこんな感じ。

10/12 23:55 羽田発
10/13  6:35 KL着
      9:25 KL発
     12:30 DPS着
     16:00 Wayanの車でAmed着
10/20 14:00 Wayanの車でAmed発
     17:00 Ubud着
10/23 12:30 バスでUbud発
     15:30 Seminyak着
10/25  6:00  DPS発
      9:00 KL着
     14:30 KL発
     22:30 羽田着

■交通費
羽田-DPS     27,800 円
DPS-Amed   350,000 RP
Amed-Ubud  150,000 RP
Ubud-Kuta    60,000 RP
Kuta-Seminyak 75,000 RP(タクシーでぼられたけどおしっこモレそうだったので言い値の半額で妥協)
Seminyak-kuta 30,000 RP(サーフィンしに行きました。帰りはビーチボーイがバイクで送ってくれた)
Seminyak-DPS 51,000 RP
DPS-羽田     19,998 円
VISA代        2,100 円
出国税       150,000 RP
合計         57,174 円(1円=119RPで両替&換算)

■宿泊費
Amed 7泊     18,916円 (予約一回ミスしたキャンセル料 2,303円含む)
Ubud 3泊      6,702円
Seminyak 2泊   5,875円
合計          31,493円 (←これは直接予約したらかなり節約できたところ。次から努力する。)

■おこづかい
ダイビング、食事&マッサージ、お土産代
全部で42,000円両替してちょうど使い切ってきたので、現地交通費(上記)を引くと正味35,000円。
内訳は
ダイビング 1,895,490 RP (6 dives 16,000円@ 2650円)
マッサージ  825,000 RP (6回。Ubudが高かったけどAmedのWayanがイチバンだった。@115,000RP)
病院      340,000 RP
サーフィン   150,000 RP (1.5H)
釣り       125,000 RP (焼き魚の朝食含む)
食事&お土産1,512,410RP (12,700円=一日あたり1,060円!これでもツーリストプライスなんだろうけど、十分やすい。)

■プラス
KL空港で待ち時間に150RMぐらいつかっちゃった。(4500円)
タバコ購入(3CTN) 7000円くらい (インドネシアはDFじゃなくても160円くらいだけど。)
合計 11,500円

締めて 135,167円なり。
12日なので@11,300円。Bagus!


Tioman Trip 2012 -J‐

2012年10月01日 06時54分08秒 | 旅のこと

最後に、ちょっと切ない思い出話。
これこそ誰も興味ないけど、気にしません。(キッパリ)

この島旅で、超久しぶりに恋に落ちました。
正確には、島で落ちたわけではなくて、島から帰ってくる途中に、スットーン、と。

到着した日、通りがかりのレストランでハンバーガーを焼いて売ってるかわいらしい男の子に、「どこから来たの?名前は?バーガーおごってあげるよ!(つーかそれ、売りモンじゃないのか?)」と声をかけられた。
前述のとおり、島で女子一人歩いていたらみんな普通に声をかけてくれるから、変に意識もせず自己紹介し合ってバイバイ。

夜ごはんを食べていたら、目をキラキラさせた彼が「ねね、もう少しで仕事終わるからまってて!おしゃべりしようよ。」って。(ちなみに、かなりBrokenだけど、気合で通じさせるタイプの英語。(笑))
まだインド人家族が来る前で一人ぼっちだった私、なんだかほっとする。

(気合の英語で)話し始めたら、実はけっこう大人で(28歳)、しかも妻&2人の子持ちだったことが判明。おっとビックリ。レプトスピラ症っていう大病で生死の境をさまよった後、人生をやり直すために家族を家に残して、リゾートを経営している叔母さんを頼ってここティオマンにやってきたんだそうだ。

初めは、”なんちゅう身勝手な男じゃ。”とあきれたものの。
命を取り留めた後に書いた日記を読ませてもらい、その時考えたこと、これからしたい生き方を熱っぽく語る彼に、「なんだ結構しっかりしてるじゃん。」(←完全オバサン目線。だって10コも年下ですもの。)

同じ病にかかった人が周りで7人も亡くなって、自分だけが生き延びた。
だからこれは神がくれた2回目の人生。
お金第一に、愛のない結婚の中よい夫を7年も演じてきた人生に区切りをつけ、自分の生きるべき人生を生きたくて、ティオマンにやってきた。

病の床でアラーの訓えを理解したという彼の結論は、超シンプル。

Your heart must be good. Thanks God.

毎日朝ごはん、昼ごはん、夜ごはん時のお仕事の合間&仕事が終わった後に、「トントン・・・おしゃべりしよう。」って部屋にやってくる。朝マレー料理のルンダンっていうカレー(これ激ウマだった~!)を持って起こしに来てくれたり、夜「鍵開いてるよ!あぶない!!」とか教えてくれたり(笑)。
おしゃべりって大して話すこともないはずなのに、そして英語のボキャブラリーも限られているのに、不思議と話題がつきない。

部屋に入らずにバルコニーでおしゃべりしようとするのは、きっとイスラム的に「女性と個室に二人になってはならない」っていうやつなんだと思う。(結局入ったか入らなかったかでいえば、入ったんだけど(笑)。)

そんな風にとりとめない4日間を一緒に過ごして、最後の日。
帰る日の朝、「後で読んで。」といって手紙をくれた。
そして、ものすごい戸惑いながら、Jettyでキスをしてくれた。(これはモスリム的にはかなりあるまじき行為)

別れのまさにその時突然現れた巨大クラゲ。リアルに座布団サイズ。おぇ~~~~

KLに向かう飛行機の中でその手紙を開く。
気合英語は、手紙だとさらに意味が分かりにくくなるけど、それでも気持ちはすごく伝わってくる。
手作りの便箋にも気持ちがにじんでる。

こんなに大切に思ってくれる人、最近いなかった。
自分でさえ、思っていなかった。

5 years ago,
I decided to leave Yamanashi and Harukaze after that hardest break-up.
Since then, I've been trying to come back to life, but could seldom feel alive.
My heart was completely broken, and needed time to heal.
I just wait for the time. For the chance to go back alive.

After waiting too long,
It came to seem impossible to me, and it felt like living a "left over" life.
No passion, No dream, No desire.
Just meaningless passtime.
'n from some point, came to think I could give up this life anytime.
But luckly, I was too tired to end it myself,
and got my family there, only ties I can truly rely on and only reason I live for.
So I was just watching it flow, doing those meaningless passtime.

Then I met him.
I'm feeling alive first time in these 5 years.
I'm feeling love first time in these 5 years.
I'm feeling worth of my life first time in these 5 years.
I'm feeling passion first time in these 5 years.
I'm feeling prayer first time in my life.

We have millions of barriers to get over.
But it's worth to try, and I have faith we can.

ただ一つお願いを言えるとしたら。

英語の時制だけは、使い分けていただきたい。

(注:マレー語には時制の語形変化がありません。)
 

 

Oct.27,2012 追記
その後2か月ぐらい、Facebookと電話で連絡を取りあい、一時期本気でMY移住を考えたものの。
一緒に行こうといって計画した旅行にJが来れなくなったあたりから、言葉の行き違いなのかメンタリティの違いなのか、コミュニケーションのすれ違い感に堪えられなくなり。
またそのころ日本で出会いがあったこともあって、JとのRelationshipにはピリオドを打ちました。
彼に会えたことは、今でも感謝しています。
彼と会えていなかったら、今でもヒッキーな生活を送ってたんじゃないかな。


Tioman Trip 2012 -ダイビング‐

2012年09月21日 07時28分04秒 | 旅のこと

もちろん今回のメイン、ダイビングもきっちりやってきましたよ。
でも人のダイビングの記録って、面白くないんだよね、全然。(ないよね?)

だけどブログ=載せたいことを載せたいよーに載せちゃうところ、のっけちゃうもんね。

ダイビングって、一応ライセンスがあるわけなんだけど。
ノーライセンスとCカード(一番下のライセンス。PADIだとオープンウォーターってやつ)の違いは大きいものの、そのあとのアドバンス(限定解除みたいなやつ)を持っているか否かは、実はダイビングを楽しむ上でほぼ関係ない。
一応Cカードでは18m以上(以下か?)潜っちゃいけないことになってるけど、そんなの気にしてるショップに出会ったことはない。
ただPADIという管理団体への上納金を積むだけ・・・とわかっちゃいたけど。

4日間のダイビング、これといった目的なく最後まで充実させられる自信がなかったので(笑)、アドバンストオープンウォータ(AOW)のライセンスを取ってきました。
10コぐらいあるスペシャリティの中から、必修2つ+選択3つを履修するのですが、Deep Dive、Peak Performance Boyancyの必修に、PhotographyとNavigation Dive、Wreck(沈船)をチョイス。本当はNight Diveを一番やりたかったんだけど、ショップの都合で受けられず(涙)。(←一日目から3回も延期が続いた!B&J、コラ!名前公表したったぜ。・・・誰も読んでないけどさっ。)

Deep Diveはただ深いだけなのでどーっつーことなし。

Peak Performance Boyancyは、結論「要は慣れ」なので何とも言えないですが(笑)。
学科は非常に勉強になりました。
ちなみに勉強前は”Perk Performance Boyancy”=”浮力MAX"と勝手に解釈しておりまして(恥)。
「そんなもんBCブーっと膨らませたらおわりじゃん。」なんて危険な勘違い。

Wreck Diveも、ただ沈んでる船の周りをまわったり、ちょっぴり侵入してみたりするだけなので、どーっつーことなし。(実はWreck Diveって気が進まないんだよね。だって沈没したってことは、戦争がらみだったり、どちらさまかが亡くなったりしている可能性も十分あるわけで。。。)

Photography、ハウジング購入一本目は、やっぱり誰かの指導の下潜りたかったのが動機。
これがいいインストラクターに当たって、カメラのセッティングから撮り方のコツなんかも効率よく&わかりやすく教えてもらえて大収穫!ご本人もPhoto Maniaなので、Dive中もPhotographer(もう一人のPhoto Diverのインド人とバディになりました。)中心にガイドしてくれたので、大満喫。もう一本追加で潜っちゃいました。(一緒に潜ったカップルさん、ごめんね。)

何が笑えたって、Navigation Dive!
今回、シンガポーリアンのフーフー(なんちゅうヒワイな名前)とフランス人のオシアナという女子2名と4日間ともに学んだのですが。
女子=方向音痴は、万国共通!!
私も大概ですが、フーフーが無敵の方向音痴!
コンパスの方向とキックの回数で30m四方の正方形に泳いでイントラのもとに戻るという課題。
オシアナと組んで、私がナビゲーション、彼女がキックカウントというコンビは奇跡的にうまく行ったものの、
フーフーナビの私キックカウントのコンビはもう最強!3回トライして3回とも迷子に。
最初の回はフーフーのエアが0Barでちょっと焦ったものの、3回ともきちんと安全停止をしてきっちり浮上しましたよ(笑)。
各自にダイコンを貸与してくれたおかげ。ダイコンの重要性をひしひしと感じましたです。

ちなみにWreck Diveの時にも、「ダイコンスゲー」と思いました。無減圧Diveのリミットをちょっぴりオーバーしてみんなのダイコンがピーピー言いだしちゃったんですが、そんな時もダイコンくんは落ち着いてそれぞれに必要な安全停止の時間もちゃんと教えてくれます。イントラのダイコンはリミット内だったようで(多分生徒たちはいろいろ見たくて深め深めにいたせいだと思う)、もしイントラしか持っていなかったら5m/3分で上がっちゃうところでした。(ちなみに私のダイコンは5m/8分を主張してました。)

手動で計算できるということになっている「ダイブテーブル(無減圧ダイブの算出表)」もあるのですが。
計算方法をきちんとマスターした上で(してないし)、深度計を常にウォッチ&記憶してないと(してるわけないし)役に立たない。
だいたいMulti Levelに対応してんのか?(←文句は計算方法をマスターした上で言うべし。)
やっぱりダイコンは必須ですなー。(←他力本願。)

…とまあこんなわけで。
後はそのPhotography Diveでとってまいった写真をお楽しみくだされ~(だから人の写真なんてつまんないってば~~~)

シャコガイ。生き物っぽくないカラー。(これはスノーケリングの時)

同じくスノーケリング写真。サンゴがわんさか。

フラッシュをたくと赤色が出てきます。

卵を守る・・・魚。(魚の大きさと大量の卵のバランスが謎)

クマノミ。透き通ってて、美味しそう。

フラッシュなしだとこんな色。
ライトほしいなぁ~。

ウミウシって、きれい。

海中カリフラワー

この赤い木の枝みたいなの、デカくてかっこいい!

ニモって結構、警戒心が強い気がする。

これはフラッシュたいても青いまま。

ザブトン大なんです、コイツ!
びっくりしたなぁもう。

ハリセンボン
ご近所のロシア人妻、”He's smiling!!”と大ウケ

ウミウシ(ちっさい!!)

このコーラル、砂糖菓子みたいできれいなんです。
ちょっとサボテンぽくもある。

カメキタ~~~~~

興奮のあまり30mぐらい追っかけて、「カンカンカン!!!」
・・・先生に叱られました。

ウミウシ夫婦。(マージャン牌っぽい)

作り物みたいな鮮やかなエンジ色。

セーフティストップのまったり感、結構好きです。(浮力コントロールがうまくいってるときはね)
ちなみに右上のロープ、ガッツリつかむと1時間ぐらいヒリヒリカユカユになります。(←なった人)


Tioman Trip 2012 -ラマダンからハリラヤのティオマン島5日間-

2012年09月15日 12時20分46秒 | 旅のこと

私は島が大好きだ。
といっても、ハワイ、ボルネオ、マンタナニ、サイパン、テニアン、そして今回行ったティオマンしかしらないけど。
小さければ小さいほど、開発されていなければいないほど、好きだ。
好きな順に並べれば、マンタナニ、テニアン、ボルネオ、サイパン、ハワイ、だいたい小さい順。


サラン村のメインストリート。(というか唯一のストリート)

私は「こうありたい。こうあるはずなのに。」という自分への要求が強く、ぬぐえない。。
なのにそれに伴う努力をしないものだから理想からどんどん離れていき、離れれば離れるほど人と会いたくなくて引きこもり、引きこもれば引きこもるほどさらに理想から離れていく。
そんな悪循環が続いて、ここ2年ですっかり緩み切ってしまった。
非リア充が続くと、精神面でも閉じてしまう。

なぜやぶからぼうにこんな暗いカミングアウトをするかというと。
島に行くと、そんな自分基準値がリセットされて、「私はこんなもん、いいじゃんそれで。」という気持ちになれるのだ。
現状の自分を肯定していいんだ、と思える。
ポッコリお腹にも臆さず水着で遊びまわるし、気持ちが素直になっていろんな人たちと仲良くなれる。
そんな風に思わせてくれる島が、大好きなのだ。

ただ海外じゃなく、なぜ「島」なのか。
そこはよくわからないけど、地元の人もほとんどの旅行者も、島にいる人たちは他人との垣根が低いように思う。運命共同意識なんだろうか。不思議とお互いに肯定しあう雰囲気の中で交流するから、安心できるし、表面的な会話の空っぽ感を感じない。
またできること、いける場所が限られているせいか、それとも陸よりちょっぴり怠惰な島民のメンタリティが乗り移るのか、気持ちがゆったりする。なにが起きても、「まあしょうがない。」って思える心の余裕がうまれて、そんな自分になれることに大きな感謝。

そんな島の力に身を任せて過ごす時間は、まさに至福の時なのだ。

(*なお、電気の供給も夜間限定だったマンタナニ島のイメージで、すべての通信機器をKLのLuggage Serviceに預けていったのだが。あけてビックリティオマン島、あちこちにWifi Receptionが。。。。超都会。)

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ティオマン島のリアルラマダン

今年のハリラヤ・プアサは8月19日。
なので到着して2日間はまだラマダン中(日の出から日没までは食事をしてはならない、イスラム教の断食の月)。
去年マレーシアに来たのもラマダン中だったが、KLやKKでは中華系・インド系のお店は全然関係なく営業していたし、マンタナニなんかモスリム達すらラマダンなんて無視だったのだが(*サバ州はモスリム率が低く、またイスラムの習慣もゆるやか)。
今回はモスリム文化をもろ体感することになった。

到着した日の午後、きれいな海にテンションあがっていきなりスノーケルをして、おなかペコペコ。
これならビールも美味かろう!とノリノリで通りがかりの食堂に入ったのが午後6時半。
メニューを持ってきた女の子がひとなつこい笑顔で、さりげなーく言いました。
「7時45分までは食事を出せないけど待てる?」

は?

まだ1時間もありますが?

なんというトラップ。
開店している=食べられると思ったら大間違い。
働くのはいいけど、食べ物はNG、ということでこんなちぐはぐな状況になっているのだ。

さらに、アルコール類を一切置いていないという、まさかの事態。
ただ持込みはOKだというので、空港で買ってきたGinを部屋から持ってくる。
コップがなかったので貸してくれるか聞いてみると、「そのコップでアルコールを飲むのか?」と確認するやスタッフ間でもめはじめた。
どうもお店の食器を使ってアルコールを飲まれることが、モスリム的に問題あるっぽい雰囲気。
「ああ、もういいよ、気にしないで。部屋で飲むから。」って言いかけたとき、問題解決したらしくコップが出てきました。

カールスバーグのビールジョッキが。
どーゆーことやねん!

ちなみに右側の添えられたお花は、道で会った地元の子供たちがくれたもの。(道端に咲いてるのをその場でちぎってくれるだけなんだけどね。次々に「もらって、もらって。」と言ってくるのがかわいかった。)

まさに開店休業中のレストラン、キッチンスタッフはテレビに夢中(笑)。

ここのごはん、どれも10RM(280円)前後でお手頃、どのメニューもおいしかった!
これを夕日を見ながら食べられたらサイコーなんだけどな~(笑)。


イカのブラックペッパー炒め

空芯菜?炒め


ビーフルンダン(カレー餅?ショウガやスパイスが効いてて、うまい!!


ナシレマッ。ここのナシレマッをいただいてから、すっかり大好物。

明けてハリラヤ

モスリム色が濃厚な分、ハリラヤの祝いっぷりも盛大だ。
朝早くお祈り音楽が鳴り響き、昨日までノーメーク&スーパーカジュアルだった村人たちがみな、男性はサンピン、女性はバジュケバヤ、バジュクロンと呼ばれる正装に身を包み、メイクもばっちりいそいそと歩いている。
いろんな村のモスクにお祈りに行ったあと、各家のオープンハウスを行脚するわけだから、大忙し。こんなに速足の島民を見たのは、後にも先にもこの時かぎり。

この日ばかりはツーリストは完全に脇役です。
私がダイビング講習を受けたダイブセンターは完全に欧米系&スタッフ全員西洋人なので、ハリラヤの雰囲気はなかろう~と思いつつ集合時刻の9時に行ってみると、一緒に潜るオシアナ以外、ダレモイナイ。
10時ごろようやくスタッフが一人チャリンチャリンと現れ、
「今日はハリラヤでローカルのボートが出ないので、11時半出発になるよ。よろしく~」
キャプテンがローカルだったか・・・。盲点だった。
そりゃ~出ないわな。

そんなもん事前にわかりきってるのに伝えてくれなかった(しかも集合時刻にもきやしない)ショップには少々改善の余地ありだけど、まあいっか。11時半に出してくれるだけでも御の字です。

そして夜になってもお祭りムードは続きます。
そこここで花火が上がり、あちらこちらで宴会が。
レストランは日の入りまえから営業してるものの、「ハリラヤ特別メニュー」はファーストフードレベルの超簡易バージョン。
やる気なさすぎ(笑)。

夜12時ごろ、星を見みようと桟橋まで歩いてみた。残念ながら桟橋の電燈が明るくてみえなかったけど。
まだ村のレストランやバーでは、地元の人のハリラヤ宴会(注:本来酒禁止です。)とツーリストのただの宴会で盛り上がっています。
そんな中一人で歩く帰りみち、さっきまで花火をあげていた地元のおっちゃん4人組が、「一杯飲んでけ!」と声をかけてくれたので、参加してみました。話すうちに、この島では観光がほぼ唯一の産業で、それを守るためにも、遊びに来た人にはティオマンを好きになって帰ってもらいたいんだ~、というみんなの強~い思いが伝わってきました。
いろいろ話をしている横で、おっちゃんらの友達が2人加わり、友達の知り合いが5人加わり、場所を移動して常連のお客さんが3人加わり、しまいにはオッチャンの上司たちまで加わって・・・気づいたら地元半分、ツーリスト半分の30人ぐらいの大所帯になってました。(時すでに3時近く。)

こういう感じ、よくない?

島のクソガキ

マレーシアのどこに行っても思うのは、子供が子供らしい。
興味のままに行動するし、人に対する警戒心や媚びがない。
親の方も良くも悪くも寛容。日本だったら、「そっちに行っちゃダメ!」とか「そんなことしたら迷惑でしょう!」と叱りそうな場面でも、相当アブナイ状況じゃない限り、ほっぽらかしである。(他人の方が心配になるぞ。)

ティオマンでも、たくさんの子供たちと触れ合った。(男は寄ってこないが、子供はやたら寄ってくるのだ。。。なぜだ。)

地元の子供たち
到着日、ハリラヤの前祝いなのか、やたら爆竹を鳴らす子供が多かった。
それも「みて、みて。」と目の前でやって見せようとするもんだから、うるさくてしょうがない。(しかもなんか破片が飛んできてアブナイ!)
「おい!びっくりするやんけ!!」と言ったら、「ごめーん」といいつつ、ちょっとうれしそう。
超クソガキ(笑)。
その子たちが夜、ごはんに向かう道端でお花を摘んでくれた。詫びの印か?

一日中外で遊ぶ子供たち。
たくましく育つわけだ。

旅行者の子供たち
クアラルンプールから割と安価で来れるためか、それほど裕福じゃなさそうな旅行者が結構多い。
レストランで毎日一緒になったインド人の一族もその手合い。
大人たちは盛大に飲み食い、宴会をしている脇で、退屈した子供たちがいろいろ悪さを始める。

エリオンとエリシャ兄妹といとこのクリス。
毎晩、エリオンが「日本語教えて!」と来ては私の旅日記帳、ダイビングのテキストにまで、ゴリゴリといろいろ書いてくれた(苦笑)。
フリクションボールを使っていたら、目ざとく「そのペン消えるの?!」と大興奮。(終いには「おれにくれ」と言い出した。)
デジカメにも興味津々で、「ボク撮って」「見せて?」を繰り返す。そのうち勝手に撮影をはじめた。


子供は直感だけで、何でも使いこなす(脱帽)。


エリオン撮影

ヤスミン
レストランオーナーの娘さん。ものすごくかわいらしい。
お母さんが仕事終わるまで、端っこのテーブルで座って手遊びをして待っている。
テイクアウトを待つ間一緒に座ってお話をしようとして、びっくり。
英語がほとんど通じない。
私はマレー語が全く分からないので、会話にならないんだけど。
折り紙をして見せたり(これは思った以上にウケなかった)、絵を描いたりして遊んでいると。
"my nama iz Yasmi..."
とゆっくりゆっくり書いて、「見てくれ。」と差し出してきた。
まずは「えらいねぇ~!英語お勉強してるんだね~!」と褒めてから、正しいスペルを下に書いてあげると、真剣な面持ちでそれをまねて何度も書いている。
子供って、ほんとは学びたいもんなんだよね~。いいね~素直で。
ヤスミンはそこそこ裕福なおうちの子だから、きっとちゃんと学校に行っていると思うけど。
他のクソガキ達はどうなんだろう…と、思いをはせた一瞬でした。

水のありがたみを痛感

4泊中3日目の午後から水圧がグングン下がって、夜には部屋の水が全くでなくなった!
お風呂もシンクも、トイレの水もウンともスンとも言わない。
今回泊まったバンガローでは山の沢から取水しているので、乾季には時々起るらしいのだ。特に私の泊まった部屋は海にせり出した、一番沢から遠い場所だったので、水が来るのは一番最後。結局チェックアウトまで復活せず(涙)。
シャワーはダイブショップの前のホースですまし、そこからペットボトル4本分の水を部屋までヘイコラ運んでトイレのタンクにためるハメに。
月並みだけど、水道ひねれば水がジャー、というのは、本当にありがたいもんです。
この辺も「まあ島だから仕方ない。」だけど。一泊135RMもするんだから、もう少し本気で水確保の努力をしてもらいたいもんだ。せめてポリタンかなんかで運んでくれるとかさー。
・・・まぁみんなお祭り気分で、日ごろにまして仕事なんかしたくないもんね。しょうがないか。


部屋の前のベランダ。
景色は最高。水の出は最低。

イスラム教とニャンコとワンコ

泊まったバンガローはテラスハウスタイプ?で、2つのユニットが一つの建物に入っている。

真ん中の緑のバンガロー、向って左側が私のUnit、AC25.

4泊したうち後半2日、お隣になったのはイラン人とロシア人のご夫婦(KL在住…どんだけインターナショナルなんだ・・・)。二人の間はめちゃめちゃラブラブなんだけど、お隣の私にもすごくフレンドリーで、「ごはん行くけど一緒にどう?」「スノーケリング一緒にいかない?」と、なにかと誘ってくれる。そんな無粋はするべからず、感謝して辞退したけど。(どうもマレーシアでは、女性が一人旅をするというのはかなり特異なことらしく、いろんなところでビックリされたり、尊敬されたり、憐れまれちゃったりする。こっちはフツウなんだけどな~。)このご夫婦が連れてきていたワンコ(スパニエル)がまた、人懐こくて、元気でかわいい!
…だが、これがこの後問題の種になろうとは・・・。

ティオマン最後の夜、ベランダで黄昏ながら写真の整理をしていると、隣の旦那さんが、「なんでそんなとこで一人ぼっちでいるの!今ワインとフルーツを買ってくるから、ここで一緒に飲もうじゃないか!」とまた誘ってくれる。お言葉に甘えて、少しだけご一緒させてもらうことに。
少しだけのつもりが、おしゃべり上手&聞き上手な奥さんのトークに、すっかり長話。旦那さんがとにかくケガっぽくて、いつもどんだけ肝を冷やしているかを熱弁してくれるんだけど、その話しぶりに愛しさが詰まっていて、聞いているだけで幸せな気持ちになりました。(実際その前日も酔っぱらって側溝に落ちたらしく、右目の周りに手のひら大のアオタンが…。)
その間ワンコは脇に座っていい子にしています。

とその時。
仲良くなったリゾートのオーナーの親戚Jくんがおしゃべりしにやってきた。
そして、ワンコをみつけて顔面氷結、ご夫婦もその状況にフリーズ。
なんとモスリム的には犬は不浄のもの、禁忌なのだそうで。(旦那さんもモスリムなんだが。。。)

お互い大人的自己紹介をしあっているものの、なんだか険悪。
「イラン人とロシア人のカップル」というところに妙な反応をしたらしいJ。
そこに「いい年してバーガー焼いてて、どういう展望があるの?」とロシア人妻反撃。
「いいじゃないか、彼は彼の考えがあってバーガーを焼いているんだ。」とイラン人旦那の仲裁。
(考えはかなり浅そうだけど、この人何にでも肯定的なのだ。結構いい性格。)
いや~~~ん、なーかーよーくー!!

犬NGルールを知らなかったとはいえ、このご対面の一番の責任者ワタクシはその時・・・。
さんざんワインを飲んだ上に(3人で2本空いてました)、旦那さん常用のイケナイ葉っぱを一口いただいてしまった後。どっちが原因かわからんケド、冷静な判断はおろかまともな受け応えもできないテイタラク。
とにかくこのキンチョウを打破しなければ!!とメロンの皮を片づけてみたり…したあたりまでしか記憶がございましぇん。

翌朝は意外なほどにお目覚めさわやか!
早めにチェックアウトの準備をしていると、旦那様が起きだしてきた。

さりげなく触れない方が大人かなとも思ったものの。
気にかかって仕方ないので思い切って、「昨日私はすっかりWastedで詳しくは覚えてないんだけど。友達のJが奥さんの気に障るようなことを言ってしまった気がする。本当に申し訳ない。奥さんにも私に代わって謝っておいてくれる?」と話したら、「そんなことは気にすることないよ。大丈夫。でも言ってくれてありがとう。」と言ってくれる。やっぱりいい人だ。浅いけど。
ご夫婦のせっかくの旅行、いやな記憶になっていないといいな。


ティオマンに限らず、マレーシアにはネコがおおい。


お昼寝中。


かわいがられているから、人懐こい。
レストランですぐ人のひざに乗ってくる。
怒る人もいるらしく、「大丈夫ですか???」とスタッフが飛んでくる(笑)。

 仏教の国タイでは、そこらじゅうに汚いノラ犬がいた。
確かにあれは「不浄」だと、私も思う(笑)。
マレーシアではまず見ない。
ところ変われば、宗教変われば。