今年(3月末)になって昭和の香りがする数々の長寿番組(中高年の視聴率が高い番組)が終了となったね。
視聴率は悪くないのに番組打ち切りが続出したのはなぜ?
アマルもウィークエンドには長年見ていた「メレンゲの気持ち(日テレ)」「サワコの朝(フジ)」、日曜昼の情報番組「噂の!東京マガジン(4月からBS-TBSへ)」などが次々に姿を消し一抹の寂しさがあるなか、同時間帯の後番組を見て、あまりにも内容がなく(安く使える若手芸人やタレントを揃えてワイワイ騒いでる)視聴は時間のムダと即感じるものばかりでウンザリ。大人(中高年)が観て楽しめる番組ではまったくなくなった。
それもそのはず民放各局は4月から(スポンサー広告が視聴者の消費活動につながるべく)ファミリー層や若年層向けの番組編成でスタート。
TBSは消費意欲の強い男女4~49歳を重点ターゲット『新ファミリーコア』と名付けて番組づくりを。日テレは13~49歳を『コアターゲット』、フジが13~49歳を『キー特性』と呼んで重点ターゲットに設定。民放では最も高年齢層向けの番組が多いと言われているテレ朝ですら、お笑いネタ番組を増やすなど、ファミリー層や若年層に向けた番組づくりをしている。
なんで中高年層を切り捨て、ファミリー&若年層受けする番組編成にしたのかは、民放各局の厳しい経営環境によるところが大きい。
景気が悪くなると最初に削られるのが広告費。近年、テレビ局の収入はインターネット広告の伸びや若者のテレビ離れなどの影響で、番組の合間に流される「スポット収入」の下落傾向が著しい。
「2019年 日本の広告費(電通:2020年3月公表)」によると、日本の総広告費(2019年1~12月)の6兆9,381億円のうちインターネット広告費は2兆1,048億円で種類別広告費のトップとなった。それまでトップだったテレビメディア広告費も2019年には2位(1兆861億円)となり、テレビ広告を上回るネット広告の流れは現在さらに拡大している。
平成の世から多くのスポンサーの経済活動が停滞し広告費の見直し(削減)が常に行われてきたが、2020年のコロナショックでスポンサーの経営難はさらに悪化。
スポンサーによる広告費のよりシビアな選別(広告費はTVより広告表示ターゲットの絞り込みができて費用対効果が高いネットSNSへシフト)が始まった。
何しろアマルが長年観てきた番組に共通する主な視聴者層は60歳以上の男女(番組MCも還暦・古希越で一般的にはおじいちゃん・おばあちゃんと呼ばれていい世代の人たち)。
世帯視聴率はそこそこ良くても、それらの番組に提供される広告は消費意欲のある13~49歳のコア視聴者層向けのモノ。
視聴率は良くても、スポンサーが求める視聴者層はその番組にはいない。魚のいない海に餌をまいても漁はできない!漁場が違うのだ。餌の無駄遣い!
こんなミスマッチ、コスパの悪いテレビメディアに多くの広告を費やす余裕などスポンサーにはまったくない。その結果、スポンサーたちは視聴率ではなく視聴者層(=消費者層)とマッチングする番組なら広告費を支払おうとTV局を選別するようになった。
平成の世になってから年々削減されてきた番組制作費。
なんでテレビが面白くなくなってきたのか?どの局も同じような番組・パクリ番組が横行しているのか?原因を調べていくとうなずけるものがあった。
そもそもテレビ局の「広告収入」とは、広告を出したいスポンサーが広告代理店を通してテレビ局に支払うお金のことなんだけど、広告代理店が番組制作・編集などを直接行うわけじゃないので、テレビ局に広告主の意向を伝え、テレビ局は番組制作会社に具体的な番組制作を依頼する流れとなる。
スポンサーの支払う広告費の多くが番組制作費として使われるわけだはなく、広告代理店のマージン・営業活動費、テレビ局(放送事業者)の電波料(キー局や全国放送ならローカル局にも)・営業広報費などごっそり差し引かれ、末端(失礼)の番組制作会社に流れるのは当初広告費の半分以下になっちゃう所も少なくない。
でもって番組制作会社は限られた予算の中で番組づくりをするわけだけど、制作の付帯費用(制作費)が悩ましい。
制作費には俳優・タレントの出演料(プロダクション経費)、映像スタッフ(ディレクター・ADほか)の人件費、放送作家・脚本家・ナレーターのギャラ、編集(映像・音声・テロップ)の技術代、大道具・小道具・スタジオセット等の美術制作費、衣装リース代、現場への移動交通費(ロケバスほか)・通信費・出演者飲食(弁当代)ほか多くの経費がかかるから、テレビ局からの安価な予算で番組制作を安請け負いしたら会社が回らなくなる。
ちょっと話は古いけど、アマルもバブルがはじけて平成期に制作会社の社長・役員の人たちと交流する機会があって番組制作の苦しみ(当時、局からの予算では高価なCG機器導入しないと番組制作はできないなど苦しい台所事情)を直接聞いたことがある。
だからどの局でも制作費の厳しい予算枠のなかで、他局が少しでもまともな視聴率をあげた番組があれば、スポンサーへの忖度も相まってハズレ番組を回避するためこぞってパクリ類似番組を制作してしまう。
果たして内容のない安易なメニューで、テレビ離れが著しい若年層に目を向けてもらえるモノだろうか?
(つづく)
八神純子『雨の日のひとりごと』 1974年
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