「仁-JIN-」見てます?花魁ほか時代考証づくりに興味あり

2009-11-01 22:22:29 | レビュー
今日は第四回目でしたね。
現代では植物人間状態となってしまった仁の恋人・未来(中谷美紀)と生き写しの花魁・野風(中谷美紀・2役)と出逢うお話でした。

このドラマは過去にタイムスリップしてしまうという荒唐無稽なお話なのですが、それをどうツジツマあわせをするのか、時代考証をちゃんとどこまでするのか(できるのか)、などが放送前から興味をもっていました。

特に現代的な顔立ちの中谷美紀が吉原最高峰の花魁をどう演じるか(所作・言葉遣い含め)も大きな関心どころでした。



今日の放送を見て、失望感はなく。お客さまには花魁は横顔を主に見せ座るポーズや、何箇所かで見せた横目でハスミするしぐさなどが気に入り「なかなかいいじゃん」、逆にこのドラマの時代考証や演技指導を誰がしているのかに興味がわいてしまいました。

そこでドラマのHPを見てみると「お江戸マメ知識」というコーナーがあり、まるで本当に江戸を見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる。時代考証の山田順子先生という方がドラマの中のシーンについて語られていました。
中には貴重な解説(時代研究)もあり、アマルのブログでも太夫や花魁についてカキコした経緯もあり、山田さんの特に花魁がらみの解説はここに取り上げ残してみたいと思います。(そこに若干アマルのこだわりも入れちゃいますが)

それ以外にも初回放送時には、当時の武家の奥様(麻生裕未)方の慣わしだった鉄漿(おはぐろ)や眉毛の処理、電気のない時代の家屋の灯り(行灯・百目蝋燭など)がしっかり登場し「へぇ~ッ」と思っちゃいました。
このブログに立ち寄られた若い人は「何を感心しているのか?」わからないでしょうね。
若い人でも時代劇マニア(東映などのですよ)ならわかるかな?

以下、「JIN-仁-」より山田先生の解説

●花魁:この世のものとは思われぬような気高さと美しさ。野風、その美しくも冷めた微笑を浮かべ
美の概念って、その時代によって異なるものよね。例えば現代でいうと、目がぱっちりとしていて、鼻が高くて、歯が白くて…。そんな女性が一般的に美しいと思われているのではないかしら。ところが江戸時代では、細くて切れ長の目、鼻立ちはスッとして、口が小さいことが美人の条件だったの。今回、最高級の花魁・野風を演じていらっしゃる中谷美紀さんにご提案させていただいたのは、花魁らしく見えるメイクね。中谷さんは大変現代的な美人さんでいらっしゃるけれど、少しだけ昔に好まれたエッセンスを取り入れることで、より花魁っぽくみせることが出来ると思ったの。
具体的にいうと、目とお口が大きなポイント。花魁は、お客様と正面に向かい合って座ることはまずないの。横並びに座って接客をするから、花魁にとって「横顔を美しく見せる」ことはかなり重要なことなのよ。実際にはしらふだけれど、目尻にはすこし紅をさして、ほんのりお酒に酔ったように上気したような“色っぽい表情”を引き出す工夫をしていたの。また、口元もお客様の注目度の高いパーツ。当時の美の基準では、小さければ小さいほうがよいと考えられていて、小さな口をさらに小さく見せるために、口紅を中央部分にしか塗らなかったそうよ。当時の紅は、大変貴重で高価なもの。…塗る面積が少ないほうが、経済的にもよかったのでしょうね(笑)。

●張見世の中に居並ぶ熱帯魚のような遊女たち
(張見世の中で居並ぶ遊女の衣装は熱帯魚と同様カラフルなのでそうしたのかもしれないが、できればここは熱帯魚ではなく日本情緒的に“金魚”と表現してほしかったなぁ。吉原の遊女は江戸時代に大流行した日本人最初のペットといわれる金魚によく昔から例えられていた。一生水槽の中で赤いべべ着て見世物として生きるしかすべがない金魚が、遊女の生き様によく似ていたからなんだ)
遊女が吉原にやってくるパターンは2つ。ひとつは野風のように、貧しい家が生活のため幼い子供を売るというもので、相場は文化年間(1804~1818)で3~5両(約24万~40万)。この子供は禿(かむろ)と呼ばれ、花魁の部屋子として身の回りの雑用などをしながら読み書きを習ったり、遊女になる教育を受けていくわ。もうひとつは、娘に成長してから売られてくるパターンで、すぐに客がとれるということから10両(約80万円)の値で売買されていたの。これが人間一人の値段だと思うと、ゾッとするわよね。
禿として入ってきた子供は、13~14歳になると「新造(しんぞう)」と呼ばれる遊女になり、客をとるように。その中から客に人気があり、稼ぎのいい者だけが「花魁」と呼ばれる遊女の最高位につくことができるのよ。新造になってから10年経つか、年齢が27歳になると“年季が明けて”自由の身になれるはずなんだけど・・・現実には遊女時代の借金が返済できず、自動延長ということが多かったようね。
遊女として人気を得るには豪華な衣装がいるし、妹格の禿が新造になる祝いの費用も花魁の負担。病気を患ったらその治療費も実費だし、遊女たちの借金はどんどんかさむ一方・・・。たとえ無事に年季が明けたとしても、彼女たちのほとんどは性病におかされて身体が弱く、結婚したとしても家事などやったことがないので嫁として務まらず・・・。なかなか幸福にはなれなかったんじゃないかしら。

吉原遊郭・張見世風景(明治時代)

by Wikipedia
吉原遊郭

by Wikipedia

●江戸の女性たちは着物の帯を後ろにしていますが、花魁だけが帯を前にしているのは何か訳があるのでしょうか
「“前帯”は花魁独特の風習なのかしら?」と感じた方も多かったみたいだけど、これはそういった理由ではありません。意外かもしれないけれど、帯というものは本来、“前締め”が基本だったの。特に、江戸の初期は“細い帯”が主流だったから、前で結んでも邪魔になることはなかったし、「自分で結びやすい」ということを考えても、これは自然なことなのよ。ところが江戸の後期になってくると、ファッション的観点から“太い帯”が主流になってきて、女性たちはわざと帯を目立たせるような着こなしを好むようになったのね。着物の幅と長さは幕府によって決められていたけれど、帯は好き好きでOKだったから、みんなだんだんと派手なものを纏うようになっていったってわけ。ただ、いくら流行りとはいえ、女中さんや畑仕事をする人、台所に立ったり楽器を演奏する人たちにとって、大きな帯の結び目はただ邪魔なものでしかないでしょう?だから、働く人たちを中心に、帯はどんどんと後ろで結ぶものに変化を遂げていったの。咲さんのような未婚女性も同じ。若くて活発に動きたい盛りだから、後ろに結ぶのが普通だったのよ。
そんな中、後ろに締める理由がなく、前帯を貫いていたのが花魁や大名夫人といった人々。彼女たちは金持ちの象徴である打掛も着るし、帯を後ろに回してしまうとせっかくの豪華な帯が隠れちゃう。それに、身の回りのことをしてくれる禿や女中がいるから、別に前に帯があったってなーんにも困らないのよ。前帯をしているのは裕福さの象徴。そういった意味で、この作品では野風をはじめとする花魁だけに、前帯をさせているのよ。



MISIA - 逢いたくていま (Official PV) TBS系ドラマ日曜劇場「JIN-仁-」主題歌


明治時代の吉原遊郭風景

by 歴史的な古写真(わがらがHP)

のれんが掛かってないので開店前の写真撮りだね(大きな店構えだ)
わがらがさんのHPには海外の出版物に載っていたものとのことで貴重な一枚だ。

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