クラシック音楽徒然草

ほぼ40年一貫してフルトヴェングラーとグレン・グールドが好き、だが楽譜もろくに読めない音楽素人が思ったことを綴る

渡邊順生 チェンバロ・フォルテピアノ (2) ベートーヴェンのピアノ

2015-07-28 10:01:17 | 図書・映像・その他
エラールのピアノ



ベートーヴェンは1803年にフランスのエラールよりピアノを贈られた。
このピアノで大いに創作意欲を刺激されたベートーヴェンはエラールの音域を生かして「ヴァルトシュタイン」「熱情」などいわゆる中期の傑作を作曲、などとモノの本には書いてあったりするが、本書によるとだいぶ実情は違う。
たしかにピアノを贈られたベートーヴェンは感謝感激、おおいに創作意欲を高めたらしい。が、それははるばるパリから苦労してピアノを運んで贈呈してくれた、という行為に感激したためで、エラールのピアノそのものにはけっして満足できなかった、ということである。
仁義を重んじる男ベートーヴェンはけっしてエラールのピアノをあからさまに批判することはなかったが、知り合いのピアノ工房シュトライヒャー(モーツァルトとの関わりで有名なシュタインの娘の旦那)に何ども改修を頼んだらしい。シュトライヒャーが手紙でその件に言及しているし、現存するエラールのピアノにはシュトライヒャーの空しい試みの痕が残っている、というからこれは確かである。
つまり、それまでベートーヴェンは親しんでいたウィーン式の軽いアクションに比べエラールのイギリス式アクションは何とも重たくどうしようもなかった。
それでもせっかく贈ってくれたのだから、低音の音量が豊か、とかエラールの良いところを生かそう、と悪戦苦闘した結果が中期のソナタ、というわけである。
そういう事情を知ると「熱情」のこのあたり



フォルテッシモのところなぞ、意のままにならぬ重たいアクションに業を煮やしたベートーヴェンがブチ切れてピアノを叩いているようだ。
グールドは”中期のベートーヴェンはピアニスティックになろうとして失敗した”みたいなことをどこかで言っていたが、ベートーヴェンが聞いたら”エラールに義理立てしてガンバっているオレの苦労がオマエなんぞにわかってたまるか!”と寅さんにかみつくタコ社長みたいになるかもしれない。

これに関連して、著者は”ピアノ作品を見る限り、ベートーヴェンは「弱音の作曲家」である。”と指摘されている。エラールのピアノ入手以前のソナタ20曲の開始は2曲を除いて全て弱音。fの部分は全体の25%以下で、最初の4曲の交響曲では50%近くがfであるのと対照的。ウィーン・アクションの繊細なピアノこそこの時期のベートーヴェンが好んでいたものというのは、なるほど、と思わせる。

ブロードウッドのピアノ



1818年、今度はイギリスのブロードウッドからピアノを贈られた。
仁義の男ベートーヴェンはまたも感謝感激、ピアノが着いてもいないのに、早速礼状をしたためる。「友でありいとも卑しい召使からの最大の尊敬をお納めください」と、リヒノフスキーと喧嘩して屋敷を飛び出してしまうような楽聖にしては異様にへりくだっている。まあ、それだけ嬉しかったということでしょう。
今回のはエラールと異なりピアノそのものがベートーヴェンの創作意欲を刺激した。ちょうどソナタ29番「ハンマークラヴィーア」の第3楽章作曲中に楽器が届いたらしく、さっそく第4楽章はブロードウッドに合わせて作曲。そのためにこのソナタは第3楽章までと第4楽章とで音域が異なるということになってしまった。
ロンドンからウィーンまでどうやってピアノを運んだかというと、船便でトリエステまで運びそこから陸路でウィーンまで持ってきたそうである。さすが、海洋大国イギリス、陸路を延々とくるより合理的だ。ウィーン体制でトリエステはハプスブルグ領内になっていたし。もっともトリエステからのアルプス越えという難所ではさぞかし苦労したことでしょう。


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