クラシック音楽徒然草

ほぼ40年一貫してフルトヴェングラーとグレン・グールドが好き、だが楽譜もろくに読めない音楽素人が思ったことを綴る

バッハ インヴェンション第9番 へ短調 とブルックナー交響曲第7番

2018-12-27 09:04:37 | バッハ
この9番は誰もが認めるインヴェンション屈指の名曲。
7番ホ短調と似た雰囲気の嘆きの歌で始まる。
7番は歌と伴奏という感じがしたが、9番は両声部が2重唱のようにガッチリと組み合わされてスキがない。



この両主題が転調したり上下を入れ替えたりしながら楽曲はゆるぎなく進行するが、半ばすぎにまず左手に変ロ短調で次のような音型が出てくる。



この後、同じ音型が右手に変イ長調で現れる。



これは何だろう?
”ただの分散和音ですね~”と言えば、それまでだが、100数十年後この楽句はかように変ぼうする。



前曲に続きまたもブルックナー登場!今回は7番の冒頭。
これでわかった。
あの楽句は実は「天国への階段」だったのだ。
2回目の階段を昇った後、宗教的法悦とも思える激しい感情の高まりがある。



この後、嘆きの歌が戻ってくる。



が、今回の歌は冒頭とはちょっと違う。
単なる嘆きではなく、嘆きのむこうにある絶対的な幸福への確信のようなものが感じられるのだ。

わずか34小節のなかに、驚くべき振幅を持った心の軌跡が感じられるこの曲はやはり名曲。
そして、何よりすばらしいのは、わたくしのようなド素人でもかような名曲をとにかく弾ける、ということである。


バッハ インヴェンション第8番 へ長調 実は4声の協奏曲だった!

2018-12-24 15:20:50 | バッハ
この曲の主題は8分音符と16分音符の楽句でできている。



弾いているとこれらの楽句があっちこっちから飛び出してきて、たいへん賑やかな感じがする。
この賑やかさはどこから来るのだろう、と思っていたら、たまたま中村洋子氏のブログ「音楽の大福帳」の記事を見てなるほど~っと思った。

中村氏によると
「インヴェンション8番は”イタリア協奏曲”」であり、
一見、2声の曲に見えるが実は4声で、オーケストラ作品を鍵盤楽器で模倣している、
ということである。

その結果、この曲を弾いていると知らず知らずのうちにあっちこっちの声部を請け負っていることになる。
それで、複数人で合奏をしているような賑やかな感じがしてくるわけだ。

第4小節のこのあたり



高い方から順々に16分音符の楽句が入ってくるのだが、イメージとしてはこんな感じか



突然のブルックナー登場、第3番の最終楽章!
4声の声部が次々とかぶさってきて、壮大な世界が広がる。
(不動産屋のチラシ同様あくまでイメージです)

どなたか心得のある人が、本曲を2台のクラヴィーア曲にしたり、管弦楽曲に編曲したりすると面白いかもしれない。
8分音符のところはラッパに吹かせて、16分音符のところは笛もしくはヴァイオリンとか。
(ストコフスキーの「トッカータとフーガ」みたいなトンデモ編曲になりそうだ・・・)

バッハ インヴェンション第7番 ホ短調 音楽の巨大な分水嶺

2018-12-09 12:22:54 | バッハ
楽譜からの視覚情報を指の動きに伝達する、という基礎的訓練を全く欠いたわたくしのような者が、インヴェンションを弾くにはどうするか?
まず、試行錯誤の指使いで、右手だけ弾けるようにします。
同様に左手だけ弾けるようにします。
それから両手を使ってつっかえつっかえ繰り返し、楽譜を見て、というより指に覚え込ませて弾けるようにします。
今さらまともにピアノが弾けるようになろうとは思っておらず、弾きたい曲だけ弾ければ良いので、これで構わないのです。

そのようなやり方で7番の練習を始めて気づいたのは、この曲は基本的に右手だけで完結してしまう、ということだ。
左手も旋律を弾いているのだが、和声を添えるだけの伴奏にしても、それなりの曲になってしまう。
インヴェンションの大半の曲、たとえばすぐ前の6番などは、右と左の声部が分かちがたく結びついていて、片方だけでは曲にならないので、7番のこの流儀は異色だ。

またこの曲の上声は見慣れないソプラノ譜表で記譜されている。(通常のホがハになる)



(後記:実はこの筆写譜では他の曲もすべて上声がソプラノ譜表で書かれているので、これは特に本曲に限っての意味はなかった。
 ちなみに、バッハはライプツィヒ時代の初めまではドイツの伝統に従って鍵盤曲の右手声部をソプラノ記号で記譜している。
 一方、イギリス組曲は重要な写本がすべて右手をト音記号で記譜しており、これがイギリス組曲の作曲依頼者がイギリス人ではなかったか、という推論の一つの根拠になっているそうだ。(小学館バッハ全集第11巻の江端伸昭氏の解説による)) 

それに、どうもこの曲は鍵盤楽器向けでない、という感じがする。
たとえば、右手にも左手にも長く引っ張る音が出てくる。
まず右手で7から8小節にかけて



次は左手で15から17小節にかけてで、明らかにオルガンや弦楽器でやるオルゲルプンクトであろう。



鍵盤楽器では打鍵後に音が減衰してしまうから、当然このような長い音はだせない。実際にはトリルで弾くことが多いようだ。

以上のことから、この曲の正体がわかった!
それは、「ヴィオラ・ダ・ガンバ独奏伴奏つきソプラノのアリア」である。
適当な歌詞を付ければ、あっという間に受難曲やカンタータのなかの一曲に早変わり~、ということになる。
であるから、この曲を弾くには、右手はソプラノが歌うように思いっきりカンタービレを効かせて、左手は弦楽器の弓使いをイメージしたい。
それには、やはり世界で唯一鍵盤楽器でヴィブラートがかけられるクラヴィコードが最適である。
(もちろん、わたくしはそんな芸当は持ち合わせていない。)

本曲と前の6番を並べると、実に鋭い対照をなす。
すなわち
 6番 ホ長調: 対位法的、器楽的、主題が回帰する閉じた形式
 7番 ホ短調: 和声的、声楽的、主題が回帰しない開いた形式

いや、コトは音楽にとどまらない。
「客観」と「主観」、「抽象」と「具象」、「演繹」と「帰納」など
哲学、芸術すべてにわたる双対概念をこれら2曲に象徴させたのである!
さすが大バッハ先生と感服せざるを得ない。
(またも誇大妄想か)