お棺のなかの柿田さんは、目を閉じていて、でも、なんだかこれから話し出しそうなお顔だった。
「柿田さん、起きて」と言えば、目がパチッと明いて、キョロッとこっちを見て、「あっ…、僕…、今、寝てました?」と言いそうなくらいだ。
「すみません、ちょっと昨日遅くまで原稿書いてて…、でもちゃんと話は聞いてましたよ」なんて、言い訳しそう。
起きて、言い訳してほしい。
荻野先生がお花と一緒に入れてある胸元の帽子を見て、「ね、これ、柿田さんの…」とおっしゃった。
涙があふれる。
不思議な感じ。
柿田さん、なんで目を明けてくれないんだろ。
お通夜が終わり、会場から外に出たけど、みんな立ち去り難い。
日本学のメンバーも、まだみんな帰らない。
日本学じゃない別のグループの、どなたかが、ぽそっと「やりきれないよな」と言ったのを聞いた。
柿田さんと同じくらいの年齢の人だ。
柿田さん、地元っ子だから、お友達かなぁ。
「やりきれないよな」
やりきれない。
本当にやりきれないよな。
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柿田さんについて何か書きたいのですが、わたしは柿田さんと同じ講座だったにもかかわらず、彼の研究のことはあまりよく知りません。
柿田さんご自身はいろんな分野に明るくて、わたしも、資料や研究会についていろいろ教えていただきました。
戦時下生活の調査をしているときに、彼の手持ちの『婦人の生活』を教えてくださったけど、わたしはいまだにあの資料を活用できていなくて、申し訳ない。
たぶん、日本学の多くの学生は、柿田さんに方法論ゼミで司会をしてもらったり、コメントもらったり、普段のおしゃべりのなかでも教えていただくことがたくさんあったのではないでしょうか。
彼のそんな優しいところは、本当に講座にとって貴重でした。
日本学の学生は大まかに言って(本当は性別でこんな風にわけてはいけないとも思うけど…)、女性陣は(いい意味で)気が強く、男性陣はどこかシャイで言葉少な目(控え目な表現)。
そのなかで、柿田さんの柔和で紳士的な“お節介焼き”は、講座の雰囲気にちょっと嬉しいものだったのではないかと思うのです。
柿田さんがいないなんて、子どもっぽい表現かもしれませんが、本当にさみしい気持ちです。