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メキシコ古代遺跡とカリブ海リゾート・カンクンの旅【Ⅰ】・・・

2016年03月24日 | 旅行
メキシコ古代遺跡とカリブ海リゾート・カンクンの旅【Ⅰ】・・・
世界遺産メキシコシティ歴史地区


アエロメヒコ航空直行便で12時間。マヤ・アステカなど古代文明の遺跡の旅へ・・・
標高約2240mに位置するメキシコシティは11~5月は乾期にあたり
日中は温暖だが、朝晩は冷え込むという・・・
着いたときは、先週の大寒波の余波も去って天候が回復とのこと、幸運でした~

到着後、世界遺産メキシコシティ歴史地区観光
バロック様式のカテドラル、メキシコ独立の象徴ソカロ広場、中世の建造物国立宮殿
テンプロ・マヨール、メキシコ最大の聖地グアダルーペ寺院見学・・・
なかでも、篤い信仰を集める褐色の聖母 グアダルーペの聖母を祀る教会は
聖地であり、2万人収容できる聖堂でミサが行われ毎日大勢の人が訪れている・・・

着いた日は早めにホテルへ・・・
翌日午前、メキシコシティに南西部にあり、広くて学園都市とも呼ばれる
世界遺産メキシコ国立自治大学内の、世界最大規模の壁画で覆われた
中央図書館見学・・・巨大で力強く大迫力!壁画芸術という分野だそう


マヤ文明とアステカ文明、メキシコシティについてミニ学習・・・

* * *マヤ文明とアステカ文明* * *
マヤ文明は紀元前1500~1000年頃に起こり、1697年に消滅したとされ
ユカタン半島を中心にメキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、
エルサルバドル、ホンジュラスの一部まで都市が広がり、4世紀~10世紀ころの
最盛期には、現代代表的とされる遺構の多くが作られた。

算術と天文学に長け、独自の象形文字を編み出した文明だが
スペインが中米、カリブ地域に進出・制圧しはじめる
15世紀後期に急激に後退した。
マヤは多くの都市遺跡の集合体を指し、国ではなかった。

伝説では、アステカ人は新しい都を築くべき地は、蛇を咥えた鷲がサボテンに
とまっている地である、という予言に従ってテノチティラトンに移住した。
テスココ湖の沼沢地がその場所であるという啓示を得て、
アステカ人は建設の困難にひるまず沼沢地の干拓をはじめた。
干拓により乾いた土地が得られたのち、1325年テノチティラトンが建設された。
多くの水路が築かれ、橋が渡され徒歩でもカヌーでも移動できた。

アステカはテノチティラトン(現・メキシコ・シティ)を首都とする国家だった。
中世頃、アステカ族がマヤなどの文明を継ぎ、強力な軍事力を背景に多くの部族を統合。
1428年頃から栄えたが、1521年にコルテス率いるスペイン軍に征服された。

スペイン人・コルテスがテノチティラトンに着いたのは1519年11月8日。
このときテノチティラトンは20万から30万の人口を持ち同時代のパリや
イスタンブールに並ぶ世界有数のきぼだったと考えられている。
コルテスが部下とともにテノチティラトンを征服。街は完全に破壊され、
切り出した石材を使って、その上にメキシコシティが築かれた。
1978年に、神殿の跡地が発掘、テンプロ・マヨールと命名、博物館になっている。
しかし、都心なのでこれ以上の発掘は望めないのが現状である。
* * * * *
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

破壊したアステカ神殿の石材を建材に用いた
バロック様式のカテドラル・メトロポリターナ・・・



「褐色の聖母」を祀るメキシコ最大の聖地グアダルーペ寺院


アステカの神殿の跡地が発掘されてテンプロ・マヨール(大寺院)と命名・・・


メキシコ国立自治大学図書館のシケイロス作立体壁画・・・


コメント
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