ぐりぐらのフォトログ

デジタルカメラであそぼ!

平泉中尊寺・・・

2014年05月07日 | 旅行
平泉中尊寺・・・

岩手県平泉の「春の藤原まつり」へ。5月1日から5日まで開催という・・・・・・

3日の「源義経公東下り」行列を見学・・・
連休中とあって交通渋滞は刷り込み済で松島を回ったり工夫してもかなり遅れて・・・
行列見物に限れば出発地点の煌びやかになった毛越寺に行くことはできたけど・・・
せっかく新緑の季節に来たのだから「五月雨の降のこしてや光堂」をあじわいたいと・・・
中尊寺境内をまわり、890年の歴史を刻む、金色堂内もゆっくりと見てきました・・・

行列は讃衡蔵向かいの鐘撞き堂の石段が、解放されていたのでそこでじっくりと・・・
俳優の山本裕典さんが義経公役で騎乗、次回にアップします・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

金色堂覆堂 緑の式台は東下り金色堂奉拝場・・・
画像クリックでスライドショーへ


金色堂内の中央壇須弥壇(国宝図録より)・・・



金色堂について調べたことを記して・・・

中尊寺は慈覚大師の創建と伝えられます。850年(嘉祥3年)・・・
それから250年ほど後の後三年の合戦収束ののち、
1105年、藤原清衡は中尊寺を平泉に移転し造営に着手
1124年(天治元年)中尊寺金色堂落成
1126年(大治元年)大法要を営み、
その供養願文には「前九年、後三年合戦の犠牲者を、敵味方区別なく弔い、
数多の御霊を浄土に導き、奥羽両国に平和な仏国土を築きたい」という不戦の願いが

<口語訳 大矢邦宣氏による中尊寺建立供養願文-抜粋>

「鐘の音は あらゆる世界に 分けへだてなく 響き渡り 
みな平等に苦しみを抜き去り 安楽を与える 
攻めてきた官軍(都の軍隊)も守った蝦夷も 
度重なる戦いで 命を落とした者は 古来幾多あったろうか 
いや みちのくおいては 人だけではなく 
けものや鳥や、魚、具も 昔も今もはかりしれないほど犠牲になっている 
霊魂は皆 次の世の別な世界に移り去ったが 
朽ちた骨は塵となって 今なおこの世に憾みを遺している 
鐘の音が大地を動かす毎に 罪なく犠牲になった霊が 
安らかな浄土に導かれますように」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする