日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

★バスティーユ広場でピカソ美術館への道確認(地図で)

2007年12月27日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

娘と海外旅行を重ねてきた結果
彼女が11歳で誇れること、それが地図があれば目的地につけること、だ。

しかし、私の訪ねた欧米の都市は
必ず通りに名前が付いていた。
アルファベットがわかるようにさえなれば、
外国で地図を頼りに歩くのはそんなに大変なことではない。
まあ、目が悪いと建物に付いている通りの名前を読めず、
大変かもしれないが・・・。

ある脳科学者が言っていた。
脳を最も活性させる方法は道に迷うこと、だそうだ。
脳はあらゆる五感を使って正しい道を選択しようと機動するので、
あらゆる脳の分野を刺激することになるらしい。
さて、音読や百マス計算は
痴呆症にかかったご老人の脳を活性化するのに
効果があることは科学的に分かっているのだが、
成長過程の子供に効くかどうかは実は実証されていないようだ。

でも、何やら日本では百マス計算が頭にいい、と
誰かが言い出すと(実証もされていないのに)
一斉に百マス計算をするようになるのだから
私なんかは本当についていけない。

小学生の時、人より多少勉強ができたとしてそれが一体
どんな意味があるのだろう。
それは、単に遊ぶ時間を割いて、机に向かわせた時間を
増やした結果にすぎない。
遊びから得られる大切なことを置き去りにして、
一体よい中学に入れたとしてそれがどんな意味を持つのだろうか?

大学までの(優等生への)レールを敷いたところで、
幸せになる能力がなければ意味がない。
学生でいられるのは人生の本ちょっとの間だけだ。

私はただ、どうして勉強しておいた方がいいか、
どうしたら、豊かなものを享受できるようになれるのか、
じゃ、豊かさとは何なのか?
そんなことを自分でつかみ取っていけるような
そんな人に娘にはなってほしいだけだ。

そのために日本という枠をできるだけ超えさせたくて、
文化的に先を行っていると思われるヨーロッパを旅しているのだ。
パリの地図を読んでいると
人の名前が付いていることも多くて面白いし、
Saintとついた通りがあってウキウキする。
Saintとは聖なる、という意味だ。
聖なることに重きを置かれた、そんな時代を経て発達した
ヨーロッパにはアメリカほどの拝金主義は見られない。

日本はといえば・・・。
品格という言葉が書籍のタイトルで踊っているが、
品格というのは聖なるものが持つ特権ではないのだろうか。
神への思いなくして、品格だけを取りざたすれば、
それは単なる形式やマナーの話をすることにすぎず、
結局は薄っぺらい論議でしかないように思う。

たとえ無神論者であっても”神とは何か”を考えなければ
無神論者にはなれない。
今の日本にはその無神論者すらなかなか見つけられない。
いや、考えることを放棄してしまったかのように見える。
考えない方が楽、と錯覚しているのだろう。
考える力や心がもっている無限の可能性を大人が
子供に教えてあげられないのは、大人が病んでいる証拠だ。

「マーフィの法則」や「思考は現実になる」といった
西洋からの自己啓発の考え方は、本来聖書に残された
イエス・キリストの言葉にルーツがあるように思えてならない。
深くて確かな真理から
うわべだけのノウハウだけを取り出して、
都合良く利用したとしても、置き去りにしていることの
大きさに気づかない限り、幸せになる、という
見えないものを手にすることはできない、と思う。

ま、実際、偉そうなことは言えず、
幸せに気づけないことのが多い私であるが。
なんせ、幸せには形がない!


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