goo blog サービス終了のお知らせ 

 秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メールアドレス arashigeru@yahoo.co.jp

春の例会行われました

2018年05月29日 | 例会
昨日28日、春の例会が開催されました。
参加人数はちょっと少ない17名、秋田駅を7:30に出発、今回のテーマは「岩手の隠れた名所巡り」なので一路岩手県に向かってGo!!

最初の訪問地は古墳の一種”円墳”が数多くある北上市の「江釣子古墳群」だ。
江釣子古墳群は和賀川北岸に分布する、五条丸・猫谷地・八幡・長沼の各古墳群の総称です。昭和26年に初めて発掘調査が行われ、北東北の古墳群の調査の先駆けとなりました。これらの古墳は7世紀後半から8世紀前半にかけて造られたもので、直径6~15mの円墳が約120基以上あり、勾玉(まがたま)、切子玉(きりこだま)、蕨手刀(わらびてとう)、直刀、馬具などが数多く出土しています。中でも金張ガラス玉は国内でも数例しかない貴重な出土品で、古代に大陸との交易があったことを推測させます。
江釣子古墳群は1979年(昭和54年)、国史跡に指定されました。





その後に宮沢賢治ゆかりの花巻市「イギリス海岸」へ
北上川と瀬川の合流点付近に位置し、凝灰質の泥岩が川を沿って露出している。現在はあまりその姿をあらわさないが、渇水期には時々見ることができる。宮沢賢治が「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がする」といって「イギリス海岸」と名づけた。
それぞれの地点では親切なボランティアが胡桃の化石や、お茶の接待までしてくれる。賢治のマント姿の撮影までしてくれる。しかし水量の増えた今の時期、賢治がイギリス海岸と名付けた露出は見られない。




FM花巻見学を経て宮沢賢治記念館にある山猫軒で昼食、ここの”すいとんセット”は美味かった・・・・




さて、最後の行程は盛岡市報恩寺、ここの見所は五百羅漢だ。
曹洞宗の古刹、本尊は釈迦如来。
羅漢堂に納められる羅漢像は、京都の九人の仏師の手により、享保16年(1731)から4年を費やして作られた。全て寄せ木造り、漆塗りで、像の中にはマルコポーロ、フビライなども見られる。
盛岡市指定の文化財。

この迫力はなんと表現すればよいのだろうか・・・・・
圧倒的な存在感が襲ってくる。




これを経て一路秋田に、いや途中道の駅で買い物もしながらですが・・・
秋田に着いたら既に陽は落ちていました。お疲れ様でした。



コメント

春の例会の案内が来た

2018年04月25日 | 例会
奇々怪会の例会は年に2回、原則として春は県外、秋は県内だ。
今回の例会は春であるから県外で、今回は岩手県だ。
今回の目玉は江釣子古墳群、イギリス海岸、盛岡市報恩寺の五百羅漢だと思われる。

イーハトーブ館から少々離れた北上川と支流の猿が石川の合流点から南にかけての西岸に、国指定名勝「イーハトーブ風景地」の一つ「イギリス海岸」が在る。
渇水時には泥岩層が露出し、イギリスのドーバー海峡を連想させる事から賢治が名づけ、1923年に短編「イギリス海岸」としても著している。
その冒頭部には「夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。それは本たう(本当)は海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。(中略)日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひび割れもあり、大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。(続く)」と記されている。
よほどこの風景がお気に入りだったのか、短編や童話、更には「銀河鉄道の夜」にも名を変えてこの海岸が登場する。




コメント

27回総会が開かれました

2018年02月03日 | 例会
昨日2月2日、協働大町ビルに於いて「秋田奇々怪会第27回総会」が開かれ、議事等は滞りなく可決されました。

議事項目(議長 片岡一彦氏)
1)平成29年度事業報告 報告が了承されました

2)〃決算報告     報告が了承されました

3)〃監査報告     監事より監査報告がなされました

4)平成30年度事業計画 春秋の例会案が示され、会報発行予定が提示されました

5)〃予算案      現行会費での予算案が了承されました

6)会員確認      現在会員数 40名(男性30名 女性10名)

            *初代会長 石川俊平氏が昨年末にご逝去されました。石川氏を悼み全員で黙祷を行いました。

7)役員改選      私、小笠原が新たに幹事に選任されました

8)その他

なお、議事終了後に私より”ブログ発足一周年”の状況報告を行いました。

その後に会場を移して新年会を行い、大いに盛り上がりました。


コメント

総会および新年会の開催

2018年01月24日 | 例会
恒例の総会および新年会は以下の通り2月2日(金)に開催されます。
当日は開設一周年となった当ブログの状況についても、皆様にご報告の予定です。

コメント

集合写真が新聞に載りました

2018年01月17日 | 例会
秋田県を代表する新聞は”秋田魁新報”である。いわゆる地方紙であるが県内では圧倒的な読者数を持つ。

この情報コーナーに「いい友」というスペースがあるのだが、今日の紙面を見て驚いた。
なんと我が会の昨年秋の集合写真がデカデカと載っているではないか!!


昨年の男鹿半島を巡る行程の内、寒風山の展望台で撮った記念写真で投稿は鈴木会長がされたようでした。
我が家では、朝から見た、見たの電話がかかってきていて、さすがに秋田魁新報の威力は凄いと思わせた朝でありました。
コメント

秋の例会・25周年記念祝賀会開催いたしました

2017年10月31日 | 例会
今月二つ目の台風が温帯低気圧に変わったものの、その影響で時折り雨が振り付ける昨日30日、予定通りの例会が開催されました。
マイクロバス満席の22名は秋田・土崎で会員を拾って一路男鹿半島へ・・・・

まず向かったのが寒風山にある”瀧の頭”浄水場、道路脇には給水スポットが設けられていて、大型のペットボトル持参の男鹿市民は勿論、遠くからこの水を求めてやってくる名水ファンが後を絶たない場所だ。
しかし、最近熊がいないと言われていた男鹿半島にも熊が出没し始め、その影響で浄水場と水源の奥に鎮座する「今木神社」の見学は叶わなかった。
鈴木会長の伝手で、この近くでクレソン栽培をしている販売も行われた。




この後寒風山頂上の展望台に上がり、絶景を楽しんだ。






その頂上から少し下がった所に「鬼の隠れ里」がある。ミニピラミッドのような巨石が積み上げられた状況は圧巻だ。
画像では分かりづらいかもしれないが、頂上まで登った人がいる。会が誇る登山家、佐々木民秀氏であるのは言うまでもない。




その後、ナマハゲの真山神社に向かう。
この入口に真山の万体仏がある。お堂の四面~天井にわたって杉の木造が並ぶ珍しいもので、威圧感を感じる。






その後に真山神社周辺の散策だが、まず我々を驚かせたのが榧(かや)の大木だ。樹齢千年を超える姿は神々しさを感じさせる。






そうこうする内に、時間も迫ってきた。一路、門前の磯の家旅館に・・・・
ここで記念祝賀会を行うのは、20周年の時以来だそうだ。
会員皆様が一言ずつ近況を述べ、また奇々怪会への想いを述べ楽しく時は過ぎたのであります。






参加者の皆様、お疲れさまでした。
又、行程を組んでいただいた役員の皆様ありがとうございました。
コメント

秋の例会は男鹿半島周遊 10/30で決定

2017年10月03日 | 例会
秋の例会が決定、案内を開始した。
今回は「25周年記念祝賀会」を兼ねて10月30日(月)の実施だ。
瀧の頭見学、真山神社等を巡って、門前磯之家にて記念祝賀会を行う行程だ。





コメント

春の例会は青森三内丸山遺跡 昨日に実施

2017年04月27日 | 例会
春の例会は昨日26日にマイクロバス満席の盛況で実施された。
残念ながら、小雨降る中の実施となったが、参加者の熱気はどうしてどうして・・・・和気藹々の中での旅行となった。

秋田駅に7時の集合、車は秋田・東北自動車道で一気に青森を目指した。
悪路が予想されたので見学予定の「小牧野遺跡」だけはカット、旅程の都合でまず青森駅前での昼食と相なった。
青森名物のホタテのお刺身定食でお腹を満たした上で、市場のあるアウガ、観光エリアのアスパムなどを見学の上、今日のメイン三内丸山遺跡に向かった。






さて、三内丸山遺跡に到着!
ここではボランティアの説明員が詳しく案内してくれたのだが、着いたとたんに縄文の衣装を着たメンバーも現れた!!!








縄文時代は今から約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前に終わった。
その約1万年間を 「縄文時代」 、その文化を 「縄文文化」 と呼んでいるのだ。縄文時代には土器の製作と矢の使用が始まり、ムラが作り始められた。縄文時代より前は 「旧石器時代」、縄文時代の後は 「弥生時代」と習ったのを思い出す。

この特別史跡三内丸山遺跡は日本最大級の縄文集落跡だ。そもそもこの地に野球場を作る予定でブルドーザーが土地を掘ったところ、土器類がザクザク出てきたのが発端とか、その後の発掘調査によって当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められてる。

そもそも 三内丸山遺跡はすでに江戸時代から知られ、遺跡に関する最も古い記録として、山崎立朴の『永禄日記(館野越本)』(元和9、1623)がある。
 江戸時代後期には有名な紀行家菅江真澄が現地を訪れ、『すみかの山』(寛政11、1799)に、縄文時代中期の土器 や土偶の精巧なスケッチと考察を記している。


たしかに広大な土地に縄文遺跡が復元され、所によって修復作業の係員が作業中であったりした。











私が非常に印象的だった事は「縄文時代は争いもなく、農作物、海の幸にも恵まれた非常に平和な時代」という説明だった。だからこそ”定住生活”をし、一万年もその時代が続いたのであろう。

さて、最後に青森郊外の「昭和大仏」に向かった。
ここ青龍寺(せいりゅうじ)は、青森市にある高野山の青森別院。 青銅坐像では日本一の大日如来像(昭和大仏、21.35m)や宮大工の大室勝四郎が手掛けた、青森ひば造りの五重塔(高さ39m、日本第4位)などがある。
1984年(昭和59年)9月30日に開眼だそうだ。素晴らしい大仏、美しい五重塔であった。






いずれ詳しく片岡一彦さんの旅行記が会報に出るので、私の拙い紹介は以上だ。
この例会を設定し皆を楽しませてくれた鈴木会長、伊藤眸さん、佐々木民秀さん、片岡一彦さん、そしてお菓子の類を沢山いただいた皆様、ありがとうございました。
今から秋の例会が楽しみです。
コメント

春の例会は三内丸山遺跡 お~~楽しみだ

2017年03月22日 | 例会
春の例会が事務局から案内があった。
かねて予告のあった三内丸山遺跡を中心とした青森ツアーだそうだ。

奇々怪会では20年前に、この辺りを見学しているようだ。
しかし、この20年で遺跡の整備が進み、大変な変わり様であるらしい。
心配なのは・・・・・最近の例会は、すぐ満員になってしまって参加を希望しながら涙をのむ人がおられる事だ。今回のツアーも絶対に殺到しそうだ。


コメント