日常のメモ。

くだらない独り言。
ストレス解消の場(笑)。

久し振りの更新。

2017-01-12 18:00:28 | 雑記
こっちのブログは今年初めての更新かな。

何となくこっちのブログに書く気が起らず、放置してた。

こっちのブログって単なるストレス解消の場だから、くだらないことをぐだぐだ書いちゃうからさ。 (汗)

まぁ、あっちのブログもくだらないことしか書いてないけど。 (汗)

書く気にならなかった、そのへんのことは、
新年明けてから、あっちのブログにちょこっと書き留めておいた。

→ 今年もよろしくお願いします。


身内が亡くなって、色んなことにバタバタする仕組みになっているのは、
それらをすることで、悲しみを和らげるんだなと、つくづく。

初めて体験することばかりだった。

正直、とても勉強になった。


以下、重い話しも多くなりそうだから、憂鬱な気分になりたくない人は読まないように。



11月末の病院で。

その日の朝は、呼吸はいつも通りだったけれど、脈がなかった。

心臓付近を触っても、鼓動が感じられなかった。

昨日と同様、今日もずっと眠ってる状態かなと思ってた。

看護師さんが2時間に1度してくれるオムツ交換の間は、
テレビや本が沢山置いてある、綺麗な休憩室で待機しているんだけど、
その休息室に看護師さんが慌ててやって来た。

「すぐ来て」と。

呼吸が弱くなっていた。

そして。

呼吸が止まる。

でも、まだ眠っているだけみたいだった。

そこから約30分後、医師が臨終を確認。

法律上、死亡診断書がないと、ご遺体を移動できない。

死亡診断書を医師に書いてもらっている間、沢山の看護師さんがやって来て、
カラダや衣服などを綺麗に清潔に整えてくれてた。

その間、積立をしていたという互助会の葬儀社に電話をし来てもらう。

葬儀社スタッフが来る間、退院の支度をする。

葬儀社スタッフがやって来て、病院のある部屋まで、綺麗に運んでくれる。

その部屋で、病院関係者による簡易のお別れの儀をしていただく。

医師や看護師さん達、ケアマネージャーさんなどがお線香をあげて下さる。

病院にこんな部屋があるなんて知らなかったよ。


そして、ご遺体を葬儀をする式場まで運んでくれる葬儀社の車のあとを、
私の運転する車で着いて行く。

式場に着くと待合室でスタッフがお茶を出してくれた。

その間、ご遺体を霊安室に入れてくれたようだ。

その日に、通夜・葬儀(初七日法要)の日程が決まる。

通夜・葬儀までの数日間。

ある日は遺影にする写真を決め、葬祭プランナー1級のスタッフとの打ち合わせ。

ある程度の葬儀のプランやタイムスケジュールを立ててくれての打ち合わせなので、
あとは祭壇や棺などをどれにするか、通夜料理や忌中払い、返礼品やお花などもろもろを、
約2時間位で全て取り決められた。

打ち合わせ中も書類に記入やサインが大量だった。

その都度、予算のプランも立ててくださる。

優秀な葬祭プランナーさんだったな。

火葬場や霊柩車、マイクロバス、お坊さん、お花、祭壇、遺影、
料理や返礼品などの手配などは、全て葬儀社がやってくれる。

そして、こちらは、色んな人達への連絡、回覧板、自分や家族の喪服関係全般、
お坊さんとの連絡、お花関係、香典などなどなど。


美容院に行く時間もあった。

喪服などをクリーニングに出す時間もあった。

必要な物、足りない物を買い物する時間もあった。

霊安室へは毎日通った。

まだ眠ってるだけみたいだった。


通夜当日は、お坊さんとの接見 (戒名) や、納棺の儀。

納棺の儀は専門スタッフさん達の対応が素晴らしかった。

綺麗な着物に着替えさせてくれ、(旅立つ衣装)
ちょっとだけ化粧をしてくれ、色んな儀式をした。

5日間も霊安室にいたわけだけど、カラダはこう着しておらず、まだ柔らかかった。


通夜の日。

参列者さん達と通夜料理を食べたあと、式場内にある宿泊室に6人で泊まった。

宿泊室はホテルのような作りなので、快適だった。

布団は自分で敷くシステムだけど、テレビも5~6人は座れるソファーもあって、
30畳位はある広さ。

お風呂やトイレ、ミニキッチン、ミニ冷蔵庫などもあった。

アメニティや寝巻やタオルなども、人数分用意されていた。

宿泊室のすぐ近くが祭壇のあるホールなので、お線香の番もできる。

鍵もかけられる。

朝はスタッフが「朝食の用意ができました」と、呼びに来てくれた。


告別式の最後のお別れのお花入れの際、棺はお花でいっぱいになった。

参列者全員がお花を入れてくれた。

旅立ちが美しかった。

みんなそれぞれが書いた手紙も入れた。

火葬の関係で、棺の中に入れる物には制約が多く、手紙くらいしか入れられなかった。


通夜と告別式と火葬場でお経を読んでくれたお坊さんも素晴らしかった。

身につけてた衣装も、 (通夜と葬儀では全く違う衣装)
パフォーマンス的にも、色んなお話しも。

勿論、葬儀社のスタッフさん達、どの人も素晴らしかった。

通夜も告別式も、電子オンガンで生演奏もしていただけた。


火葬場までは、霊柩車とマイクロバスで。

火葬している間は、忌中払い(食事)。

火葬したばかりの状態を確認できた。

熱かった。

骨も太かった。

頑張って生きた証。

お骨を拾う儀式などを済ませ、マイクロバスで一旦、式場に。

香典の計算や、返礼品の確認、スタッフさんとの今後の打ち合わせをしたあと、
私の車で、遺骨と遺影などを持って母宅へ。

その日のうちに葬儀社が来てくれ、母宅に祭壇や生花を設置してくれました。


その後、葬儀社への集金があったり、仏壇や本位牌の注文をしたり、
四十九日のもろもろの手配があったり、病院の入院費の支払いに行ったり。

もろもろの書類はもうイヤというほど記入したし、役所には何度も行ったし、
田舎の役場には郵送で何度か色々送ってもらったりした。

色んな名義変更や、車・銀行・信用金庫・ゆうちょの相続。

車は10年乗ったのだったから、5万円にしかならなかったけど。

父の携帯は、まだ私が預かってる。

メールのやり取りとか写真とか、父の友達の連絡先とか、色々残しておきたいからね。

現金なもので、私の地方銀行の口座は、自分の携帯代の引き落としにしか使ってなかったので、
いつもほとんどお金なんて入ってない状態だったんだけど、
相続で結構な大金が入ってきたものだから、真っ先に銀行から電話があったよ。

その件で銀行に出向いたら、応接室に案内されてお茶を出されて、支店長が直々来て挨拶された。

支店長が1時間位、預金の色んな活用方法や運用など(増やす方法)を案内してくれたけど、
今はそういうの考える状態じゃないんだよね。

それに、これらのお金はそっくりそのまま、子供達3人に残しておくつもりだし。


今は、土地と建物の相続関係の書類を集めてるところ。

書類など、ほぼ集まった。

司法書士に頼めばいいんだろうけど、依頼したら10万円位かかるみたいなので、
私がやることにした。

インターネットというものがある時代で良かったよ。

登記なんて全くわからなかったから、ネットで調べつくしたよ。

法務局のHPで、登記事項証明を取ったりもした。

地番や家番がわかりにくく、失敗もしたけど、
受理され、手数料をペイジー送金したら、翌日には書類が届いたよ。

ペイジー送金は、ジャニ関係でこの前、初めてやったので、理解できていて良かった。

ジャニ関係でやっていなかったら、なんじゃこりゃって感じよね。

色々もろもろ、とても勉強になった。

四十九日が終わったら、法務局へ出向く予定。

まず相談と言うかわからないところを聞いて、解決させてから、
受理してもらえるように頑張っているところ。

ほぼ完璧に書類を揃えてから、法務局に行きたい。

相談も予約が必要なんだよ。 (1人20分)

それでも、2~3回は出向かないと駄目なのかも。

素人だから不備があったりするんだろうね。

戸籍謄本などの公的書類は読み取れてるつもりだけど、
どこか勘違いとか思い込みとかがあるのかもしれない。

最後まで頑張ろう。


とりあえず、もうすぐ四十九日。

当日の返礼品とは別の、香典返しの品物の発送も終わった。

お線香をあげに来てくれた人用の、ちょっとしたお返しも沢山用意しておいた。

足りなくなってきたようなので、また買っておかないと。

四十九日の前日に、仏壇と本位牌を納品する。

その後はお墓も考えないといけない。

税金関係はどうなるんだろう。

確定申告が必要な部分もあるかも。

市民税・県民税・固定資産税など、毎年5月位に請求が来るよね。

車も先月まで所有してたわけだから、何ヶ月か分の請求がくるのかな。


母も少しずつ元気を取り戻し、
遺族年金関係は友達2人が年金事務所に着いて来てくれて手続き完了したみたいだし、
土地を借りて楽しんでいる趣味の畑の作業も再開したみたい。

道の駅に出店するくらい、野菜を色々作ってる。

私はタダで色々いただいてる。

とても助かる。

私も変わらず、いつも通り楽しく過ごしたい。

父はそれを望んでいるはずだから。