最近の稽古で、次回公演「鼬(いたち)」の東北弁によるセリフについてデレクターから次のようなコメントがありました。
作者は、完全な東北弁では書いていない。
東北弁になじみのない地域の人でもわかる程度にとどめて、要所に東北弁らしい表現を入れている。
それなので、要所の東北弁のニュアンスは、十分生かすようにしてほしい。
東北の人が実際にどう話すかが問題ではなく、標準語圏の人が聞いても内容は理解でき、かつ東北弁らしい雰囲気が感じられる演技がよい。
なるほど、これには基本的な演技の心得が含まれていますね。
つまり、演技の目指すところは限りなく本物に近づけることではなく、どうすれば本物らしく見えるかです。
私としては、「東北弁のニュアンスを十分生かす」ために、書かれたセリフを標準語的にべたに発音するのではなく、東北弁らしいアクセント、セリフの文字では表せないが、微妙に標準語と異なる発音などは大事にしたいと思っています。
それが「らしさ」につながると思うからです。
万三郎「全く、どうか、こうか、うまく行ったわし・・・」 最後のフレーズ、がんばって東北弁らしく
作者は、完全な東北弁では書いていない。
東北弁になじみのない地域の人でもわかる程度にとどめて、要所に東北弁らしい表現を入れている。
それなので、要所の東北弁のニュアンスは、十分生かすようにしてほしい。
東北の人が実際にどう話すかが問題ではなく、標準語圏の人が聞いても内容は理解でき、かつ東北弁らしい雰囲気が感じられる演技がよい。
なるほど、これには基本的な演技の心得が含まれていますね。
つまり、演技の目指すところは限りなく本物に近づけることではなく、どうすれば本物らしく見えるかです。
私としては、「東北弁のニュアンスを十分生かす」ために、書かれたセリフを標準語的にべたに発音するのではなく、東北弁らしいアクセント、セリフの文字では表せないが、微妙に標準語と異なる発音などは大事にしたいと思っています。
それが「らしさ」につながると思うからです。
万三郎「全く、どうか、こうか、うまく行ったわし・・・」 最後のフレーズ、がんばって東北弁らしく
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