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「企業のCSRのひとつ」として、土木遺産と建築遺産の歴史資料「鹿島の軌跡」がありました

2021年07月11日 | 鉄道遺構再発見

伊東孝氏(産業遺産情報センター 研究主幹・日本ICOMOS国内委員会「技術遺産小委員会」 主査・産業遺産学会元会長)共著の「鉄道遺構再発見」を世田谷区立粕谷図書館に返却に行きました。ついでに鉄道図書コーナーを職員に教えて貰いましたが、如何に鉄道ファンが多いのでしょうか、世界の鉄道から私鉄、路面電車までビッシリと関連図書が揃っていました。その中から4冊を借りてきました。

先日、ネットで「鹿島の軌跡」を見つけましたので、鹿島建設(株)社史室に電話をして、青山軍用停車場の工事を請け負った実績があるのかを聞きましたら、直ぐに調べてくれました。甲武鉄道の八王子からは江戸時代に人入れ稼業の有馬組と塩澤組だった。鹿島組は新橋駅から鍛冶橋駅までの「煉瓦の高架橋」を請け負った。高輪築堤は大倉組ではないかと回答してくれました。大手ゼネコン数社の中で同社だけが『企業では、会社資料の永続的収集・保存と、会社の歴史に関する周知・レファレンスが行われている。それが企業のCSRのひとつでもある。しかし鹿島建設の大切な古い資料の大半は、関東大震災による火災と第二次世界大戦時の空襲で失われてしまった。昭和41年、鹿島建設130年史製作のために、役員・社員、OB、物故者遺族などに呼びかけて大規模な資料収集を行った。「鹿島の軌跡」は、そのとき集められた歴史資料を元に、金も道具もない中で、知恵だけは有り余っていた時代の先人たちの軌跡をたどる企画である。』と、「企業のCSRのひとつ」として、素晴らしい土木遺産と建築遺産の歴史資料を制作してくれています。是非ご訪問してください。

近日中に、鹿島建設が請け負った「大正天皇葬儀の仮千駄ヶ谷駅」についてエントリーします。

(了)

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