葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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第七章  新宿平和委員会『平和運動の歴史的事業「新宿区平和都市宣言」』

2024年05月21日 | 自分史・新宿区役所通り

自分史 新宿区役所通り
はじめに
第一章  父長谷川幸二と母三宅初榮
第二章  新宿生まれの杉並育ち
第三章  父の死
第四章  日比谷高校定時制演劇部
第五章  田中茂商事
第六章  歌舞伎町大学雑学部
第七章  新宿平和委員会
第八章  靖国神社ガイド400回
第九章  城下町金沢市
第十章 世田谷区千歳台


第七章  新宿平和委員会『平和運動の歴史的事業「新宿区平和都市宣言」』

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 1984(昭和59)年6月22日、諸井昭二さん(作曲家・指揮者)を陳情代表者とする「新宿区非核平和都市宣言に 関する陳情」が10,004名の署名を添えて新宿区議会に提 出されました。同日に働く婦人の会新宿支部代表中島クニ江さ んからも「非核平和都市宣言を求める陳情」が提出されまし た。この二つの陳情は審査のために企画総務委員会へ付託され ました。お隣の港区をはじめ全国各地で平和都市宣言を行う地 方自治体が増えてきた情勢でした。
 当時の新宿区議会は各会派代表の幹事長会が定例議会の運営 事項や意見書・決議の調整を話し合いで決めていました。議会構成は次のようになっていました。自民党(21名)日本共産党(9名)区議会公明党(9名)日本社会党(7名)一人会派 2名。自民党はー人では頼りないので二人の幹事長を出すために自民第ークラブ(11名)と自民第ニクラブ(10名)に分けていました。当時は長崎武文氏(故人)と桑原春三氏(故人)が幹事長でした。幹事長のひとりが意見を言うともうひとりの幹事長が「我がクラブも同意見です。」と言うのが普段の幹事長会でした。ところが「新宿区非核平和都市宣言」については、長崎議員と違って桑原議員が賛意の発言をしたのが翌年の第三回定例議 会2日目である9月21日の幹事長会のことでした。私は共産党の幹事長をしておりましたので当時の大学ノートに書かれたメモから述べたいと思います。
 その日は8月12日に起きた日航機御巣鷹山事故の追悼決議の他に「非核都市宣言」も議題となっていました。桑原氏は「非核都市宣言について私と長崎幹事長と意見は不一致である。私は最善の努力をして参りたい。参考に他区の状況を入手し、政調会等で努力している。なるべく早い機会に実現したい。」と発言 しました。
 桑原氏は新潟県三条市出身で父親が共産党議員ともつきあっていたと以前聞いたこともあり、自民党会派の中ではリベラル な議員でした。ー方長崎議員は大学では体育系だったようで普通の自民党議員です。
 私はすかさず、自民第ニクラブの幹事長の発言は大変重要であるので、自民党として意見をー致させて欲しいので議長は休憩するように「動議」を出しました。この桑原幹事長発言から事態は動き出し、北川功議長(故人)も「もう少し時間が欲しい。 最大の努カをする。」と約束をして次回定例会への懸案協議事項 となりました。
 第四回定例会の初日である11月18日に北川議長から山本克忠区長(故人)から「議会が非核平和都市宣言をすることには口を挟まない。」という言質をとったという報告があり、陳情代表者の諸井さんと議長が面会することになりました。翌19 日に開かれた各派幹事長会に北川議長から「昨日、区長が平和都市宣言をすると公式に声明されました。議会は議会として議決する。私は私で宣言をする。庁舎の懸垂幕やポスター、広報などの経費的なことも考えている。出来るだけ早い時期にしても良いのではないか。」と報告がありました。そこで港区方式の「平和都市宣言を求める決議」を議会最終日に議案とするこ とを全会派でー致しました。そして12月10日の本会議に議員提出議案第6号「新宿区非核平和都市宣言」に関する決議が 全議員可決となったのです。
 現在、新宿区議会議員となっている阿部早苗さんをはじめ、 新宿平和委員会の会長だった松田修次さん(故人)、元都民中央法律事務所の宮原哲朗弁護士や労働組合、民主団体の結集した運動が自民党幹事長までも影響を与えて勝ち取った歴史的事業として確認したいと思います。

新宿区役所正面玄関「新宿区平和都市宣言」板と「平和の灯」

「光る波」

新宿区立中央公園内「平和の鐘」

 裸婦像「光る波」の作者は北村治稽(はるよし)氏(19I5~2001年)で、長崎市の「平和祈念像」を制作した北村西望氏の長男です。また、泉の水は、長崎市平和公園にある「平和の泉」の源流浦上川上流の「恵の丘長崎原爆ホーム」内の池のわき水から採取されました。長崎市の「平和の泉」は、水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の霊を慰め平和を求めるため建設されたものです。

「新宿区平和マップ」解説面地図面(小・中学生に配布しています。)

(続く)

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