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千歳村烏山事件を考える会主催の第3回学習会現地調査「烏山事件の全貌と背景 甲州街道現地で事件を考える」

2024年05月23日 | 韓国・北朝鮮問題

連続学習会 千歳村烏山事件を考える集い
「証言から考える烏山事件の全貌と背景ーなぜ朝鮮人が殺されたのか」チラシ

防衛省市谷記念館を考える会」共同代表の川口重雄氏からのメールを投稿します。

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各位                5月19日〔本日第1信〕
お早うございます。
▼昨日5月18日は真夏の日差しの中を、千歳村烏山事件を考える会主催の第3回学習会現地調査「烏山事件の全貌と背景 甲州街道現地で事件を考える」の座学・見学会に参加しました。
午後1時30分から世田谷区烏山区民センターで座学、約15人の大人と途中から地元佼成学園女子高校の先生・生徒3人も参加しました。
2時40分から4時近くまで、烏山区民センター(旧・温知学舎として1873年開校、1964年まで区立烏山小学校があった)から旧・甲州街道烏山宿を西から東へ(上宿から中宿、下宿へ)。
関東大震災の起きた1923年9月1日の翌2日に震災で壊れた京王電鉄笹塚車庫の修理に向かうために工事用車両に乗っていた朝鮮人が地元自警団によって襲われ、12名(あるいは13名)が殺されたという、現場(大橋場の跡)を見学(現在、1987年に建立された「武州烏山村 大橋場の跡」という石柱が立つ。
石柱には出資者145名の名前が刻まれている)、街道からそれて京王線(芦花公園駅・千歳烏山駅の中間付近)踏切をこえて、烏山神社へ。
烏山神社は、「白山神社」を1932年に「白山御嶽神社」と改称、1962年に近くの「天神社」「神明社」「稲荷社」を合祀し「烏山神社」となりました。
境内に犠牲者の数と同数とされる13本の椎の木が、襲撃して殺人罪で起訴された烏山村の自警団員13名(もしくは12名)や関係者の手によって植えられといいます。 
現在、境内には4本の椎の木があります。 (添付の写真をご覧ください。)
《参考文献》加藤直樹『九月、東京の路上で』「椎の木は誰のために」45〜50P ころから、2014年

 長谷川順一さま      5月20日
お早うございます。
烏山事件の朝鮮人犠牲者の数は、12人、13人両方の説があり、加害者の千歳村自警団が12人、13人。
烏山神社に植えられた椎の木の数も12本、13本と2つの説があるそうです。
世田谷区編『区制50周年記念 世田谷区、町村のおいたち』(1982年)が、世田谷区が公式に発表した最後の文章で、「13本の椎の木を慰霊のために植えた」と記述しています。
一方、大橋場の石碑建立の『栞』には「12名の朝鮮人犠牲者、12名の烏山村の加害者、12本の椎の木の植樹」と記載している。
以上、フィールドワークご案内の中村延夫「関東大震災千歳村烏山事件100年——記念植樹から慰霊追悼へ」による。
それでは。川口重雄拝

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(了)

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