葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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新たに「東京の戦争遺跡」の鉄道編として「東京の鉄道遺構再発見」をアップしていきます

2021年07月06日 | 鉄道の歴史と高輪築堤問題

昨日は、伊東孝氏(産業遺産情報センター 研究主幹・日本ICOMOS国内委員会「技術遺産小委員会」 主査・産業遺産学会元会長)共著の「鉄道遺構再発見」を紹介しました。「鉄道施設を材料別に見ると、煉瓦・石、鉄、コンクリー卜という順序で歴史的に登場してきた。」との記述に触発されて、新たに東京の戦争遺跡の鉄道編として「東京の鉄道遺構再発見」をアップしていきたいと思います。来年は「鉄道開通150年記念」でもありますので、これまで甲武鉄道飯田町から広島宇品港駅まで「鉄道と戦争」の歴史を調べてきましたが、「鉄道遺構」という観点から「再発見」していきたいと考えています。

例えば、日本最古のコンクリート構造物である鉄筋コンクリート橋は、京都市山科区日ノ岡にある1903年(明治36年)完成の「鉄筋混凝土橋」と言われてきましたが、甲武鉄道青山軍用停車場に架かる「大番町跨線橋」は、1894年(明治27年)に完成していますので日本最古のコンクリート構造物であると考えられます。よって土木学会関東支部に調査と研究のご協力をお願いしていきたいと思っていましたが、13日に土木学会関東支部からメールが送信され、「この跨線橋は1927(昭和2)年にこの区間が複々線化された際に完成した構造物で、甲武鉄道の構造物ではありません。」との回答がありました。素人の思い込みでした。

高輪築堤保存問題番外編其の一「日清戦争と鉄道の歴史」

高輪築堤保存問題番外編其の二「東京砲兵工廠で製造した三八式歩兵銃は広島・宇品駅まで運ばれた」

高輪築堤保存問題番外編其の三「東京砲兵工廠で製造した三八式歩兵銃は甲武鉄道飯田町駅から運ばれた」

高輪築堤保存問題番外編其の四「将兵は青山軍用停車場から甲武鉄道に乗車した」

高輪築堤保存問題番外編其の五「明治天皇は広島大本営で日清戦争を指揮した」

広島市郷土資料館」から宇品短絡線について詳しい情報を頂きましたので今後補足していきます。

(了)

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