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高輪築堤保存問題番外編其の三「東京砲兵工廠で製造した三八式歩兵銃は甲武鉄道飯田町駅から運ばれた」

2021年04月05日 | 鉄道の歴史と高輪築堤問題

高輪築堤保存問題番外編其の二「東京砲兵工廠で製造した三八式歩兵銃は広島・宇品駅まで運ばれた」の続きです。

東京砲兵工廠で製造された兵器類は、神田川から船で運ばれていましたが、甲武鉄道飯田町駅が開通してからは神田川に架かる「小石川橋」を利用しました。

小石川門跡説明板

JR総武線鉄橋

JR総武線ガード(小石川橋からアイガーデンテラスを見る。)

1904年のハーコート社プレート

甲武鉄道は、延伸したときに飯田橋駅となり、牛込駅も廃止。その後は国鉄貨物飯田橋駅となりました。

国鉄民営化後は、JR貨物飯田橋駅跡地は再開発地区となりました。再開発地区には「アイガーデンテラス」「大和ハウス工業」「エドモンドホテル」「KDDI本社」「東京しごとセンター」「ハローワーク飯田橋」などとなりました。

「アイガーデンテラス」の三階に「ゼロキロモニュメント」や甲武鉄道飯田町駅の由来などが掲示されています。貨物駅のレールが広場のデザインとなっています。

(了)

 

 

 

 

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