葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「東京駅赤煉瓦駅舎の復原物語」東京の戦争遺跡を歩く会・明治150年シリーズ第三弾

2018年03月22日 | 歴史探訪<皇居・北の丸公園・丸の内・東京駅>

2012年に東京駅丸の内駅舎が復原してから、「シニア・ナビ」オフ会、富士国際旅行社「旅のがっこう」、千葉労組パート部会などでガイドをしてきました。



(1)明治5年に新橋駅から横浜駅まで鉄道が開通しました。
明治政府は、「新橋駅~上野駅」を結ぶ鉄道ネットワークの動線としての市街高架線を、明治22(1889)年「市区改正委員会設計」を告示しました。

(2)東京駅は、中央停車場として「頭端式」ではなく「通過式」の構造にしました。

(3)日清戦争・日露戦争に勝利した「明治国家の記念碑」とした、駅舎の中心に皇室用玄関を配する「天皇の駅」「帝都の駅」として設計をしました。
当初は外国人技師に設計を依頼しましたが、日本人技師辰野金吾が設計しましました。
建築費総額287万円(現在の貨幣価値に換算すると26億5千万円)

明治41年(1908)年着工し、大正3年(1914)に開業しましたが、翌大正4(1915)年東京駅~東京鉄道郵便局に郵便物受渡用地下鉄道が開通し、日本で最初の地下鉄となりました。
尚、地下鉄銀座線は、昭和2(1927)年に浅草~上野間で営業を開始しました。





明治19年(1886)ドイツ人技師ヴィルヘルム・ベックマンの計画図


明治29年(1896)ドイツ人技術顧問フランツ・バルツアーの中央停車場構内平面図









東京駅京浜東北線5番・6番ホームに残る鉄柱(現在はホーム新橋寄りに移動し展示されている)








神田川を跨ぎ、高架鉄骨工事が可能となったので大正9年(1929)にやっと東京↔上野間が開通しました。


「通過式」なので東海道線、宇都宮線、常磐線は利便になりました。


東京空襲で焼けた東京駅を二階建ての再建工事




復原された八角ドーム

①鷲型の彫刻
②花飾りレリーフ
③干支のレリーフ
④兜型(秀吉の兜)のキーストーン
⑤鳳凰型のレリーフ
⑥剣型のレリーフ





























【参考文献】
◆2012年東京駅刊:「東京駅丸の内駅舎保存・復原 観光ガイド」
◆2006年河出書房新社刊:「図説 駅の歴史 東京のターミナル」
◆2015年都市出版刊:「東京人 特集東京駅とまちの100年」
◆2012年鉄道ファン刊:「特集:東京駅(中央停車場)」

(続く)





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