葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

管理人が同行した近衛師団司令部跡と旧九段会館が朝日新聞東京版「ぶらりぶらり」の記事となりました

2020年12月17日 | 歴史探訪<九段下周辺・しょうけい館>

管理人も共同代表となっている「防衛省・市ヶ谷記念館を考える会」に、朝日新聞記者佐藤純さんから取材依頼があり、共同代表の春日恒男さんが応対しました。12月3日朝日新聞東京版「ぶらりぶらり」に「今回のぶらりぶらりは、いつもと趣を変えて、「戦後75年」がテーマ。戦争にまつわる都内の施設や場所をめぐり、節目の年を締めくくりたい。」『「戦後75年」①市ヶ谷 敗戦の記録と日本再出発の地』として、防衛省市ヶ谷基地内の「旧大本営地下壕」と「東京裁判法廷だった市ヶ谷記念館」が記事となりました。春日さんは「東京裁判は日本の戦後の出発点の一つ。多くの市民に現地に行ってほしい。そこで何かを感じたら、いろいろな研究者の本を読み、冷静に調べてみては」と、コメントされました。

12月3日に佐藤純記者と北の丸公園内旧近衛師団司令部跡(近代美術館工芸館は金沢市に移転)と旧九段会館を歩きました。

ぶらりぶらり「戦後75年③  千代田区 苦い開戦の記憶 刻んだ建物」

『開戦から78年の今月8日を前に皇居乾門前の庁舎に足を運んだ。元新宿区議で「東京の戦争遺跡を歩く会」を主宰する長谷川順一さん(83)に同行してもらった。長谷川さんは、戦没者をまつる靖国神社を中心に主に23区内の戦争関連施設をたどるツアーを2000年ごろに始め、これまでに500回ほど説明役を務めた。「近衛師団司令部庁舎の重厚さから、天皇を守るエリートの軍隊だったことが感じられる」と言う。』

『東急不動産とゼネコンの鹿島が出資した企業が、旧九段会館の北側と東側を残しながらビルを新築する工事を年月から進めている。22年7月、事務所や店舗、集会場が入る地上17階建てのビルが完成する予定だ。(略)  戦後、日本遺族会が国から借り、九段会館として運営した。「東京の戦争遺跡を歩く会」の長谷川さんは「戦争の歴史が凝縮されている」。東日本大震災では、大ホールの天井が落ちて死傷者が出た。取り壊しのうわさを聞きつけた長谷川さんは、日本遺族会の会長を務めた自民党の古賀誠元幹事長に電話で保存を訴えたという。』

記事中の写真(左下)「海軍遺族が記念写真を撮影している後ろの円筒形は、日露戦争の戦利品だったロシア軍の給水塔」。「真珠湾攻撃で戦死した9人」とのキャプションがあるが、二人乗りの特殊潜航艇5隻が米軍の攻撃で沈没したが、その中の酒巻中尉一人だけが捕虜となった。写真(右下)九段下交差点りそな銀行前で撮影。

<九段会館に関連するBlog記事>

2014年05月09日 九段会館について財務省に陳情を提出 

2014年05月24日 九段会館取り壊しに「自民党総務会が法案了承」

2014年05月30日 日本遺族会前会長古賀誠氏にFAX送信

2014年11月21日 九段会館に関する国有財産法改正案が成立しました

2017年10月28日 「九段会館の建て替え」は東急不動産が落札

佐藤純記者は朝日新聞社休職中に、雑誌「世界」に「新連載第1回~第8回 慰安婦がいた時代 新資料とともに改めてたどる」を投稿されている程、近・現代の歴史問題に詳しい方でした。

佐藤純記者は国立感染症研究所建設中に発見された「人骨問題」にも強い関心がおありでしたので、管理人のBlog記事『森村誠一「続・悪魔の飽食」99~100頁「終戦と同時に、防疫研究室の裏手にあった空地に、陳列されてあった多数のホルマリン漬け人体標本が、ガラス瓶ごと投げこまれた。」』を、提供しました。

(了)

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