葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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尖閣諸島(竹島も)問題は海底ケーブルという軍事事情があった

2013年04月05日 | 海底電線・領土問題

2012年10月4日、「尖閣問題 冷静な外交交渉こそ唯一の解決の道」と題して志位和夫委員長は日本外国特派員協会で講演を行った。(志位和夫著 新日本出版社刊「領土問題をどう解決するか―尖閣、竹島、千島」 37頁)


記者との「質疑応答」から。

*日本による尖閣諸島の領有は、「先占」の条件を満たしているか
〔問い〕下関条約に尖閣諸島が全然触れられなかったもう一つの理由として、政府が尖閣諸島を編入したという事実を隠していたからといわれていますが。

〔志位〕国際法の上で「先占」が成立するためには、国家が領有の意思を表示することと、無主の土地を実効支配することが必要です。日本政府が、閣議決定によって尖閣諸島の領有を宣言したことは、国家が領有の意思を表示したものにほかなりません。そのさい、国際法の通説では、こうした領有の宣言は、関係国に通告されていなくても、領有意思が表明されていれば十分であるとされています。 (略)
「先占」については、通例、三つの条件が国際法上必要とされています。一つは、占有の対象が「無主の地」であること。二つ目は、国家による領有の意思表示がされること。三つ目は、国家による実効支配がおこなわれることです。日本による尖閣諸島の領有は、この三つの条件を満たしています。

「通説」についての解説
「関西大学教授 坂元茂樹著「ゼミナール国際法」1997年法学書院刊
第9章 国家領域 22講 領域取得の法理
『なお,先占の成立にあたっては,(1)国家の領有の意思(主観的要件)と,(2)国家による実効的な占有(客観的要件)の2要件が必要とされる。
 領有の意思は,当該地域を自国領に編入するという宣言,立法および行政上の措置などによって表示される。他国への通告を先占の要件と主張する説もあるが,クリッパートン事件判決(1931年)は,これを否定した。何らかの方法で領有意思が表明されていれば足りるというのが通説である。
 実効的占有には,土地の現実の使用や定住といった物理的占有に解する説と,当該地域に対する支配権の確立という社会的占有に解する説があるが,通説は後者の立場をとる。国際判例をみると,常設国際司法裁判所は,東部グリーンランド事件判決(1933年)では,人口が希薄で,また人が定住していない地域では,他国の競合的主張がなければ,ごくわずかな主権の行使で足りるとの判断を示したが,他方,ICJのマンキエ・ユタルオ諸島事件判決(1953年)では,関係地域における地方行政の実施,裁判権の行使などが実効的占有の要件とされた。
このように,実効的占有の程度は地理的状況や居住人口などによって異なり,個々の事例ごとに判断せざるを得ない。いずれにせよ,他国の介入を排除する程度の実効的な主権の発現が行われている必要がある。(以下略)
 
「権原」についての解説
「現代国際法講義」平成4年有斐閣刊 第4章 国家領域 5領域権原の取得
『(略)国家は無主地を領有する意思を示さなければならない。この意思は関係地域を自国領域に編入するという宣言、利害関係国を含む他国への通告などによって行われるが、一般には具体的な国家活動ないし関連の事実から推定される。その意味で、他国への通告は先占の絶対的な要件ではない。クリッパートン島事件(一九三一年)では、フランス海軍官吏が太平洋上の同島付近を航行中に自国政府の命令にしたがって島に対するフランスの主権を宣言し、主権を表示する証拠を残すことなしに退去したが、のちにホノルルにあるフランス領事館にその任務達成を正式に通告し、かつホノルルの新聞紙上に同島の主権がフラソスに帰属することを英文で公表した(一八五八年)。その約三〇年後に、メキシコは自国がスペインの発見による領域権原の継承者であると主張し、同島に対するフランスの支配の実効性および他国への通告の欠如を問題とした。しかし、判決はフランスの領有意思は右の公表により明白かつ正確になされたの言分であるとし、他国への通告義務は一般に必要ないとした。(以下略)』
【注】「権原」は「権限」と同じく「けんげん」と発音しますが、土木行政職員は「公道の底地所有権である権原」という時は「けんばら」と発言している。

以上が志位委員長の「通説」論を裏付ける学説であるが、引用されている「クリッパートン事件判決」は1931年であり、「東部グリーンランド事件判決」も1933年で、欧米の植民地支配が容認されている時代であり、また「マンキエ・ユタルオ諸島事件判決」の1953年は米ソ冷戦時代なのであります。ですから政府や自民党ならいざ知らず日本共産党が引用事件をそのまま「通説」として論ずることには疑問がある。

【軍事史からの考察】

(1)小笠原諸島は欧米との関係を整理して「1876年(明治9年)3月 - 小笠原島の日本統治を各国に通告。(日本の領有が確定。)小笠原諸島が内務省の管轄となる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6

(2)それなのに何故、尖閣諸島の閣議決定を各国に通告しなかったのか?(竹島もしかり)

(3)NTTマリン 海底線史料館

海底通信ケーブルの誕生 | NTTワールドエンジニアリングマリン株式会社 (nttwem.co.jp)
http://www.nttwem.co.jp/knowledge/historical/index.html
明治30(1897)
  5月 沖縄島~石垣島~台湾淡水間(850.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設
 
「おもしろ逸話」から
第3話「多難の創学期から世界海底電信網の発達へ」
http://www.nttwem.co.jp/knowledge/anecdote/03.html
1855年、クリミヤ戦争中、英国は黒海に急遽、軽易なGPケーブル(無鎧装のもの)を敷設しましたが、これがSebas'pol占領までの1年1ヵ月間、良好な底質に助けられてよく使用に耐えたため、戦争終結に大いに役だちました。これにより、英国は自ら海底ケーブルが戦略上偉大な効果のあることを、ひそかに知るに至ったのです。
その後勃発した東洋戦争、印度暴動に際して、戦略上、印度、東洋方面への高速電信海底ケーブル網の建設が必要であることを、いっそう痛感したのです。
海底ケーブルは、英国や日本のような島国においては、地方経済開発、交通発達のため、国内島嶼間通信用として、きわめて重要なのはもちろんですが、海底線通信最大の長所とする迅速性は、世界各地を遠く広く結ぶことによって、さらにその効果を発揮します。
 
「おもしろ逸話」から
第13話: 「わが国海底線通信の沿革」  ―明治時代(3/3)―
http://www.nttwem.co.jp/knowledge/anecdote/13.html
「海底ケーブルは戦争と切り離せない歴史をたどってきています。 」

【注】山田朗氏は著作「日露戦争」の中で「日露戦争は海底電線布設など日本はロシアに情報戦で勝利した」との記述がある。

(4)Googiで那覇・石垣島・台湾淡水を俯瞰できる地図をみると
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl
那覇→尖閣諸島→台湾淡水は直線であるが、那覇→石垣島→台湾淡水は南方向に曲がって布設されている。

(5)明治政府は中国侵略の構想を早くから持っていたので、海底電線布設を計画して「尖閣諸島」を領有し、各国に通告しなかったとの「仮説」に到達した。

「澎湖列島攻略作戦」「台湾割譲の要求」
原田敬一著「日清戦争」P244
『台湾島の割譲は、早くから考えられていた。第一軍参謀長として戦争の先頭にいた小川又次郎少将は、日清戦争の七年前、一八八七(明治20)年二月「清国征討策案」(山本四郎「小川又次稿『清国征討策案』について」)をまとめている。参謀本部第二局長だったから参謀本部で検討させたと思われる。その「第三篇善後処置」には、「本邦ノ版図二属」させる地域として、旅順半島・山東省・舟山群島・澎湖列島・台湾島・揚子江沿岸一部の六ヵ所を挙げている。小川は日本陸軍の中枢人物の一人であり、「陸軍の有力な構想の一つ」(中塚明『日清戦争の研究』)と見なせる。』

「アジア歴史資料センター」のサイトで「防衛省防衛研究所」「海底電線」で検索しましたが「尖閣諸島」はヒットしませんでしたが「松島、竹島」の記述が見つかった!

件名標題(日算4編工事/第1章軍用海底電線
■防衛省防衛研究所>蟻海軍一般史料>綾⑨その他>千代
階層:明治37.8年海戦史
>極秘明治37.8年海戦史第8部会計経理巻6」

⑨その他千代田瑚7(所蔵館=防衛省防衛研究所)
三十七八年海戦史 第八部会計経理第四
軍用海底電線 明治三十七年一月四日、海軍
山本権兵衛ハ、逓信大臣大浦兼武二向ヒ、時局ノ勢土盛及ヒ対馬島卜韓国間二軍用海底電線ヲ敷設シ通信ノ敏活ヲ計ルハ、焦眉ノ急務卜認ムルヲ以テ、左記ノ敷設要領二依り、敷設方委

内容:託シタキ旨ヲ照会シ、且右二要スル建築用、通報用各種器具、器械其ノ他ノ材料ハ、逓信省保管ノ分ヲ転換シ、工事費概算ハ、至急取調ノ上通報アリタキ旨ヲ附記セリ、敷設要領書第一線(佐世保及ヒ八口浦線)-、肥前国佐世保電信局ヲ起点トシ陸路相ノ浦二出テソレヨリ海底線二依り黒鳥ノ北方及ヒ古志岐島附近ヲ経テ韓国巨文鳥二陸揚ケシ再海底線二依

大手町の逓信総合博物館図書館で「海底線百年の歩み 日本電信電話公社刊」を閲覧してきた。「尖閣諸島」と「竹島」に関連する海底電線図をコピーしたので貼付したい。

Img002

 

Img001

『明治28年4月、日清戦争講和の議成り、わが国は償金2億3,000万テール(邦貨換算3億円以上)と台湾を領有することになった。ここにおいて本土~台湾間に軍用海底線の敷設と、台湾航海上必要な灯標を設置することとなり、台湾総督樺山伯爵から通信施設費381万余円、灯標建設費48万余円の予算が内閣に稟請され、その承認を得るところとなった。明治28年6月、臨時台湾電信建設部と臨時台湾灯標建設部官制が発布され、児玉源太郎男爵が部長に補せられ、本部を陸軍省内に開設した。 』「NTT WEマリン」より
http://www.nttwem.co.jp/knowledge/anecdote/13.html

「仮説 1」
台湾島の割譲は早くから考えられていた。
吉岡吉典著「総点検日本の戦争はなんだったのか(WEB版)
http://books.google.co.jp/books?id=4sc21lGjn0kC&pg=PA73&lpg=PA73&dq=%E6%B8%85%E5%9B%BD%E5%BE%81%E8%A8%8E%E7%AD%96%E6%A1%88&source=bl&ots=oyVV2kFz_O&sig=2rMT9Or0wGTp3gOZZOhkpScFHRc&hl=ja&sa=X&ei=QC9oUIisGoatiQfw24DgDw&sqi=2&ved=0CCAQ6AEwAA#v=onepage&q=%E6%B8%85%E5%9B%BD%E5%BE%81%E8%A8%8E%E7%AD%96%E6%A1%88&f=false

明治政府は本土と台湾との海底電線布設構想から「尖閣諸島」を布設の島嶼と考えた。その為に「沖縄県に編入する閣議決定をした」。
しかし、明治28年6月、臨時台湾電信建設部の設計計画は那覇→石垣島→台湾島基隆(その後淡水)としたと考えられる。

「仮説 2」
同じく明治政府は朝鮮半島と中国東北部への進出を考え、ロシア帝国との戦いに備えて海底電線を布設してきた。布設の島嶼として「竹島」を「島根県に編入する閣議決定をした」貼付の「日露戦争における朝鮮・南満州方面海底線布設線路図」にあるように松江→鬱陵島→元山に布設されている。

 

結論」
『1876年(明治9年)3月  小笠原島の日本統治を各国に通告』したが、「尖閣諸島」も「竹島」も軍事上の観点から各国に通告しなかった。

【注】清国公使館は,日清修好条規(1871年;明治4年;同治10年)の締結以降,駐日使節の必要性を感じた李鴻章の上奏(1874年)を受けて,翌年に設置が決定された。


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