赤間利晴 未来企画創造学舎

赤間利晴の人生 古希以降の社会活動等

磐梯吾妻スカイラインの紅葉写真 体育の日

2015年10月11日 14時00分15秒 | 日記
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公益財団法人福島県文化振興財団に個人で申請

2015年10月08日 21時18分10秒 | 日記
福島市教育委員会に推薦依頼の文書を提出しました。

来年二月  個人1人の厳しい枠 果たしてどうなりますか。



様 式 第 1 号
推  薦  部  門  (   音  楽      )
※一部門を記入する
( 個 人 用 )

功   績   調   書
(ふりがな)

氏   名 あかま はる
  赤間 晴 男

女   生 年 月 日

( 満年齢 ) 明治
大正 14 年
昭和 ( 満 歳 )
本   籍 福島県福島市黒岩
現 住 所 福島県福島市黒岩  (電話番号)024-
団体役職名 福島市芸能協会 福島市芸能祭実行委員会 会長
職   業  無職
最終学歴  日本能率短期大学通信教育能率課程 昭和42年度修了
賞   罰  福島市文化団体連絡協議会より、長年功労賞受賞(平成27年)
年 月 日        文 化 に 関 す る 主 な 略 歴 在 職 年 数

至 昭和53年1月8日 (福島市)杉妻芸能協会を設立し会長に就任、以来会長を担当し現在に至る。{これ以前に松川町芸能祭を創設した。}
 至 /・ 年9月3日~現在に至る
 38 年

至 昭和55年7月 福島市芸能祭創設に参画、創立と同時に同実行委員会会長に就任、以来会長を担当し現在に至る。
 至 /・ 年9
 35 年

至 昭和61年 4月 福島市歌謡協会を設立し、会長に就任、以来22年間会長を担当し歌謡文化振興の下地を作り後進に引き継ぐ。
 22 年

至 平成5年6月 福島市民謡大会実行委員会を設立し、会長に就任、以来10年間会長を努める。以後人材育成のため交代制に。
10 年

至 平成2年5月 福島県歌謡協会を設立し、会長に就任、以来会長を16年間担当し、現在は名誉顧問を務めている。同年、福島県ハーモニカ協会も設立。


16 年

至 平成5年7月 福島県歌謡大学を設立し、理事長に就任、以来福島県歌謡大学の7年間理事長を務め、県歌謡音楽指導師範を70名養成した。
 7 年


 功





 績





 要





 旨  ( 功績の要旨を具体的かつ詳細に記入、編著書のある場合は、その著書名、展覧会・発表会等の入選・入賞のある場合は、その名称を記入すること。)◎ 杉妻地区芸能祭を創設し、会長に就任し毎年開催するほか、福祉施設へのボランティアを実施、新分野の芸能創出や節目に記念誌を発行し後世に活動概要を伝達している。福島市芸能祭創設に参画後、活動範囲拡大のため福島市芸能協会を設立し、地区協会組織化奨励と福島市芸能祭の内容充実並びに市民の鑑賞者増加に向けて取り組み、今日に至っている。この間、伝統を継承しつつ、新しい芸能の創出と隠れた芸能の掘り起こしに努力。  組織や新規事業創出、会立上げ奨励等文化振興に関る可能な限りの行動を起こした。特に歌謡・舞踊等の団体や事業の創設等は紙幅の関係で詳細は記載できないが、添付した各記念誌等及び発表会等のプログラムを参照頂きたい。多忙な年は、年間10件位の発表会主催を行った。 芸能の指導者としては、日本の代表的な民俗芸能の安来節「どじょうすくい男踊り」の会を主宰し、四ヶ所の教室を開設し指導に当たっている。組織設立は、杉妻芸能協会、福島市芸能協会、福島市歌謡協会、福島県歌謡協会、福島県歌謡大学、福島市民謡大会、福島市舞踊連盟。 福島県ハーモニカ協会を設立し初代会長として福島市で東北ハーモニカ祭を開催した。また福島市阿波踊り振興会も設立。福島市社会教育委員として福島ユネスコ協会設立を強力に提唱。 著書は、福島市名誉市民の古関裕而早分かり抄録、信夫山石姫皇后悲哀物語、誰もが作れる簡単手づくり自分史の勧め、信夫山/日本一の大わらじ、信夫山/大蛇と大百足、霹靂の残響等がある。楽曲制作作品は、民謡・歌謡と沢山あるが、代表的なものを列記する。民謡では、昭和58年に地元の唄・杉妻の里音頭を手始めに、日本一の福和楽寿音頭(信夫三山暁参りの際の広報音楽として採用に)・信夫三山山伏村唄、茂庭っ湖など。歌謡では、あゝ義経と佐藤一族、桃源郷花見山、3月11日から明日へ、心たむけて、東北六魂花、じょうもぴあ讃歌など。踊りでは、福福幸福踊りを創作、音楽ではないが、福島県展の洋画部門に数回入選、福島県美協展に10回入選、新美術としてガラスに描いて裏返して鑑賞するガラス絵美術協会を設立し会長兼指導者として、その普及に取り組んでいる。{福島市ガラス絵美術展を6年間継続開催}