本当のことが知りたい食口 2012-12-02 | イシュー 基元節の献金額がはっきりしませんが、日本も韓国と同じと、あるブログでしりましたが、教会から連絡がありませんでした。 日本人食口の献金は本当はいくらになるのですか? 140万円もいるのであれば、また借金しなければなりません。 « 佐賀市からの賠償金は310... | トップ | 争いのない信仰 (食口さ... »
5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 献金は感謝の心でご自由に。 (apo) 2012-12-02 20:17:16 >日本人食口の献金は本当はいくらになるのですか?公文によると1万円~です。もちろん140万円でもOKですが借金はしないほうがよいでしょう。 返信する 免罪符そのもの (さくら) 2012-12-02 20:39:34 140万円の献金だせば、罪が清算される?本当に信じられるんですか?私は、参加しない予定です。知れば知るほどバカバカしくなりました。そして日本は、韓国に対してそんなにわるいことをしてきていません。また、韓国が、選民の国だなんて知れば知るほど信じられません!いまだに、売春婦を世界に10万人輸出している国ですよ!内5万人が日本来ています!日本人は、人がよすぎます! 返信する ただね、、、 (たろ) 2012-12-03 10:29:24 蕩減時代においては、それでも中心者についていかなければならなかった、ということがあったのも事実です。今は恐らくそのような状況はないとは思いますが、どうしてもそうしなければならない時であっても、心の底に信仰を失ってしまってはいけません。もし信仰を失っても行かなければならないのだとすれば、その場から逃げ出してしまいましょう。その方がきっと神様も痛快に喜ばれることでしょう。 返信する こちらが先です (たろ) 2012-12-03 19:28:07 最初のコメントが投稿されていなかった様なので再投稿します。>献金は本当はいくらになるのですか?この発想が問題なのではないでしょうか。そのような発想で献金すればまさしく、さくらさんが仰る通り免罪符そのものとなるでしょう。責任者がなんと言おうと、そのような動機では絶対に献金すべきではないし、参加しても意味がないと心の底から思います。なぜなら、そのようにして献金してきた人たちのほとんどは、心の底に恨みを積み重ねていって、やがて反対派に変貌していくからです。み旨を前進させるどころか後退させてしまいます。さらには、自己の問題を組織のせいにして攻め立て、自己正当化という堕落性を増殖させるという結果まで招くのです。このような状態は、その人にとっての苦しみではないでしょうか。憎しみを抱き続けることで幸福を得られるとは思えません。どのような行動であれ根本は、私と神との関係によるものでしかないのです。責任者に惑わされたというのも自己正当化の現れであり、結局最終的には自己に帰す問題となるのです。どうか正しい動機で、御父母様との善なる関係を築いていかれることを願います。 返信する 献金? (tohoho) 2012-12-04 14:06:52 参加の条件が140万とするなら、もはや献金ではないと思います。参加費とすべきです。(参加費として領収書を発行すべきです。)明確な書面も出さずに、コソコソと口頭伝達している様ですが、そんなところ神様がいるとも思えません。参加する気にすらなりません。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
公文によると1万円~です。
もちろん140万円でもOKですが借金はしないほうがよいでしょう。
今は恐らくそのような状況はないとは思いますが、どうしてもそうしなければならない時であっても、心の底に信仰を失ってしまってはいけません。
もし信仰を失っても行かなければならないのだとすれば、その場から逃げ出してしまいましょう。その方がきっと神様も痛快に喜ばれることでしょう。
>献金は本当はいくらになるのですか?
この発想が問題なのではないでしょうか。
そのような発想で献金すればまさしく、さくらさんが仰る通り免罪符そのものとなるでしょう。
責任者がなんと言おうと、そのような動機では絶対に献金すべきではないし、参加しても意味がないと心の底から思います。
なぜなら、そのようにして献金してきた人たちのほとんどは、心の底に恨みを積み重ねていって、やがて反対派に変貌していくからです。
み旨を前進させるどころか後退させてしまいます。
さらには、自己の問題を組織のせいにして攻め立て、自己正当化という堕落性を増殖させるという結果まで招くのです。
このような状態は、その人にとっての苦しみではないでしょうか。憎しみを抱き続けることで幸福を得られるとは思えません。
どのような行動であれ根本は、私と神との関係によるものでしかないのです。
責任者に惑わされたというのも自己正当化の現れであり、結局最終的には自己に帰す問題となるのです。
どうか正しい動機で、御父母様との善なる関係を築いていかれることを願います。
参加費とすべきです。(参加費として領収書を発行すべきです。)
明確な書面も出さずに、コソコソと口頭伝達している様ですが、そんなところ神様がいるとも思えません。
参加する気にすらなりません。