統一原理は本来神様からの人類の福音であるはずです。地上に住むすべての人間に神様が下さったメッセージです。また統一教会平信者一人一人はとても純粋無垢な人間ばかりです。なぜそういう真面目な人が残っているのか。
それは原理講論が実にまっとうな真面目な神様を証しするための本だからです。
別に読んでおどろおどろしい奇怪な描写とか胡散臭い教義が塗り込められたものではなく、至極まっとうな文体で人間の罪と歴史に関する問題が神の救いの摂理と深い関係があったということを、理路整然と順序立てて解説しているにすぎません。
しかしその一方でそういう人たちが集まっている統一教会のイメージは、宗教カルト的集団としての特異性を際立たせてしまっています。
このギャップはどうして起こるのか・・・
世間の疑問はここにある。
その答えを世間の人たちに向けて説明してあげて概ね理解を得られるなら・・・
もしくは、世間で理解されない摂理観に基づく異常なまでのメンバーや伝道対象者や購買者などに対して極端な要求をなくすならば統一教会は統一教会という宗教団体として、正しく認知される方向に向かっているといえるかもしれません。
しかし現実はそのどちらでもないし、どちらも対応しようとさえしていないのが現状なんです。
それどころか中心者はもっと世間のギャップを拡げかねない相変わらず極端な行動を日本人に取らせようとしているように見えます。(事実でないなら陳謝)
統一教会は統一教会信者のためだけではなく、神様が罪にまみれたわが子である一人一人の人類のために文先生を通してメッセージを下さったものですから、世界中の人たちから暖かく向かい入れられるようになっていかなければならないはず。
そのために段階がある。僕の僕から8段階という実子までの経緯を経ていくという(物の例え)。では、今現在の統一教会はどの段階なんですかね?統一教会が創設されたのは1955年。現在2013年。2015年で60年を迎えます。
日本で統一教会はどの段階に来ているんですか?私には未だに僕の僕の次元にしか見えないですが。
成長繁栄の兆しが見えない。いや、一時は発展していたかもしれない。霊感商法で叩かれる前か、3万双くらいまでは。その後は外華内貧で数字はでかいけど内容が伴っていないで、時間がたつほどにほころびがあちらこちらに露呈し始めむしろ今のほうが後退していませんか?
アルコール中毒、ドラッグ、DV、離婚、不倫、隠し子、自殺、後継者問題から発展した訴訟問題、極め付きは現役指導者の不倫出産問題。公金横領や偽証や誣告など30年の間に教会指導部にこれほど欺瞞に満ちた躓きが起こるとはだれが予想したでしょうか?ここまでいってもなお日本人教会員の悔い改めが足りないせいですか?
日本の罪深さのせいなんですか?
こういう本当のことを言うと、内部では村八分にされます。特に韓国人に平身低頭の日本人から。真の家庭を裁いているとか、人を裁くより自分の罪深さを悔い改めて、精進することのほうが大切だとか。
みんな、まったくの見当違いをしています。
これは巷に転がっている愚痴や誹謗中傷とはわけが違う。ましてや裁きの心で言ってるわけではない。
私にとってこれまた至極まっとうな疑問なのであり本心からわき出でた直言なのです。
誤解しないでほしいのです。裁く資格なんてないのはわかっています。自分のれっきとした罪深い人間ですから。しかし、疑問は疑問としてあるし、自分の知識では納得できないし、じゃあ世間は納得しているのかといえばそうではないし。間違いなく。
であるならば罪深い人類を代表して私が疑問や直言を思わず言ってしまいました、でも構わないでしょう?
知ったかぶりとか見ざる聞かざる言わざるの善人ぶりはしたくはない。
原理自体はまっとうだ。まっとうなことが原理原則で起こってきた。
これからも原理原則で正しいことは時間がたてば証明され、発展していくだろうし、間違いばかりなら時間とともに崩壊していくでしょう。共産主義が崩壊したように。
日本の歴史が世界で唯一2000年以上続いてきたのも、200年以上継続している会社が4000社近くあるのも、成長発展の原理原則に基づいているからでしょう。原理講論を読んでなくても、原理的に生きている人はいる。だから後孫たちもその恩恵に預かってきたともいえませんか?だから世界は能力を認めたし、好きになったんだと思います。
一方で、原理を知ったとしても発展していないならば、原理的でない要因がそこにあるからではないでしょうか?
我統一教会信者はいい加減、認められない、好かれない原因を考えてもいいのではないでしょうか?
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