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読書の森

上流と下流の開き 再考

昨日のblog に関連して、団塊世代とその子供世代の断絶、さらに孫世代との距離について再考してみたいと思います。

私は、子供の頃より今に至る迄、家族間の人間関係について悩み、ずっと強い関心がありました。
教育学を専攻して心理学のサークルに入った動機がそれです。
人間全般の心の動きに非常に興味がありました。
ただし、今は自分自身の個人的な問題に触れるのは主旨ではないです。何故なら私は今家族がいないし、今後家族を持てるとは考えられないからですね。

学生運動全盛期に心の問題に関心が深い仲間はそれぞれ心の問題を抱えていたようではあります。
しかし、内側ばかり見つめていると全く気づかなかった重要な点があります。
それは、人が社会的動物でありその時代時代の社会情勢に影響される事が非常に大きい、と言うことです。

心理学に一応の興味を持っている人から、その方の母親の自殺した話を聞いた事があります。

「母は貧困に苦しんで自殺した」と「いくら努力して働いてもまとまった金が入らない。子どもは食べさせていけない。自分がいればかえって食い扶持が増えて子にとって邪魔になる。だから死ぬしか無いのだ」と。
夜警をして学費を稼いでたその人は、どっしり落ち着いててそんな過去を持つとは信じられないタイプでしたが。

貧富の差で人の心の内部が左右される事は実はよくある事です。
これを全く無視して心理学を論じるのは、机上のお話に過ぎないと気付きました。
それは引きこもりの問題についても同様です。


最近、50代の引きこもり男性が70代の実の父親を殺害した事件がありました。
親の認知度がおかしくなった時引きこもりの子の世話もままならず、葛藤対立は避けられないのではないでしょうか?
この事件は極端な例ですが、団塊ジュニアの世代から引きこもり児童が相当増えた事実は何を意味するのでしょうか?

団塊ジュニアとは1971年から1974年に生まれた人を指します。
団塊の世代に次いで人口が多い世代です。
ただし親世代と全く違う時代背景を持ってます。
平和が長く続いてかつ物質的に豊かになっています。
モノを豊かに揃えられる事がステータスになって、以前よりもずっとエリートはエリートの道を歩むケースが増えます。
だんだん一億総中流でなく、上下の差が開いてきた。
そして華やかなバブルが来て、、泡と消えたのです。

団塊ジュニア世代は就職氷河期世代とも言われてます。
働きたくても働き先がない。その停滞期にイジメが常態化したようです。
よってたかって分からないようなイジメをして本人が抗議するとシカト、こんなケースが増えます。
バブル崩壊期に「勝ち組負け組」という言葉も流行ってます。

ここから、無気力、無思想、未婚、の若者が以前に比べて急激に増加してきた社会です。

その当時から「資質の上下でなく」、学歴優秀、健康的、及び経済的優位にある若者と、そうでない若者とに、二極化する日本社会になったと思います。
団塊世代みたいに「理不尽な社会の矛盾を追及」なんてこと考えずに「長いモノに巻かれてた方が利口」と考える人が殆どな理由は簡単です。
つまりどんなに困っている状態だろうと(貧しくても)最低限の生活は一応保障されてる日本社会があったからです。
それに親(団塊世代)が一応の暮らしをさせてくれますからね。
終戦後しばらくはそんな訳に行かないので、自己主張が強くシャカリキな人が生き残れる時代でした。これらの大人を生で見てきたのが団塊世代です。


自己主張もなく他人に関与せず、ただ上に流されていくだけの大人が増えて、
「将来なんて全然分からない。今がよきゃそれでいいのよ」と、思ってる人ばっかりの日本だったら、これからどうなるのでしょうかね?

まず、自分は下流だ、向こうは上流だという感覚が一番問題ではないでしょうかね。
少なくとも私は(生まれ落ちて戦後間もない田舎で産婆も医者もいなかった為に)不具なので最初から「負け組」です。「足が悪いからこうだ足が悪いからどうだ」と周りは言いますしね。戦後ウチは貧乏になって全く下流の人ですよ。
幸い親戚がお金出してくれたお陰で上流(?)の集まる大学へ行けて、結果的に仕事も得られて、僅かですが年金も受給できてます。
同い年の女性の得られる家庭の幸せに恵まれなくても、自分で生きられた部分はとても幸せです。

自分で頑張れる幸せ感って結果的な上流下流の問題ではないと思うのです。まあお金の問題はシビアですが。
ですからみんなが平等に頑張れる社会が望ましいです。

その時、ネットが大きな役割を持つと思いますね。正しいネット情報を上手に使いこなす人間、ネットに振り回される事なく、人として生きられるこれからの人、そんな人を切望いたします。

かって類の無い感染症に侵されて不安定になってる時代になりました。
今の数少ない若手は大体団塊ジュニア世代の子供さんです(つまり30代から40代です)。
この希望の星の子たちを過保護にする事なく、地頭で行動出来る社会を婆はひたすらに望む次第であります。

プレッシャーにならない様に(╹◡╹)



よ〜く考えたら、一番肝心な話をしてませんでしたね。
ごめんなさい。

「大多数の人は一般のネット弱者で一部の若いエリートが主導権をとって、それに流される社会が来るだけでしょう?上流と下流の差はネット出来る人と出来ない人という事で又開くんでないの?」
という反論がありそうです。

確かに。

しかしながら、バブル全盛期の美徳やバブル全盛期の常識がマスコミで当たり前の生活のように流れてる時代ではないでしょうね?
物質的豊かさと違う新しい価値観を知る人が上に立つ時、日本はもう一度やり直せるのでは無いか?と思うのです。

実は、未曾有の自然災害も気象異常も疫病も長い長い歴史の中ではあり得る事だったのです。あの静かな古都京都も平城平安と大地震が襲い、貧しさによる餓死者や疫病にかかって人で、京の街中で死体がゴロゴロしてたら時代があったのですね。
あの綺麗な富士山が大爆発した時代もありました。

何が起こるか分からんと不安に怯えているより、長い長いスパンで広い視野で世の中を考えると結構楽になれるかも知れません。
既存の常識にとらわれず先ず自分の頭で再考したいと思うのですが。





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