「XXさんは団塊世代ではないですよね」
同窓会で後輩から同意を求められた時、ちょっと戸惑いました。
団塊世代とは、1947〜1949年に生まれた日本史上最大の増殖をした世代を指します。
人口の塊と見做して命名したのが堺屋太一。
堺屋太一は1935年生まれですから、かなりシニカルな目で捉えてますが、私は1946年生まれなのです。もろにこの世代を熟知しております。なので後輩の言葉(暗に彼らへの批判を含む)にウンウンとは言えない気持ちでした。
今や老害世代の代表格みたいに見られてる彼ら(なんか私たちという気分になってしまう)の人口がかほどに多いのは、全然彼らの責任ではないですよ。
全て、1931年の今日、12月8日に起きたあの戦争が悪いのよ、と言いたい気分です。
兵士として日本国中や在日から駆り集められた男達が戦争終結後、無事祖国へ帰還出来たのは、殆ど1945年後半以降です。
抑圧が取れ、新しい時代の希望が生まれたその時。
家族との再開、空前の結婚ラッシュ(恐ろしい貧乏の中でしたが)、を経て次々に赤ちゃんが生まれるのは自然の摂理でした。
私が小学生の朝礼の時、人口の多さが実感出来たのです。1年上は非常に短い列、私たちはその2倍、彼らはなんと4倍位の人数です。狭くもない校庭でしたが、一クラスが2列になり授業は2部に分かれてたようです。
先生の数は限られて、モノが豊富とはいえない時代。給食も安いけど物凄くお粗末です。それでも美味しい美味しいと食べて、殆どの生徒は真面目に授業を受けた。
それまでの窮乏生活の反動なんでしょうね。受験戦争も苛烈だったけど、みんなで渡れば怖くない、って感じです。凡そシラケとはほど遠い人類の集まりだった気がします。
図にのって褒めまくりましたが、この人口の多さが大袈裟に言えば日本史に与えた影響は非常に大なるものがあります。
この小説『団塊の世代』の初版は1976年に出てます。
好景気においては、人口の増加は働き手の充実を意味して、「努力イコール成果」という常識が行き渡ります。
しかし、「この世代が加年化すれば医療費年金負担が大変になる」という予測は1950年代からあったそうなのです。
しかし、その後バブル期迄、夢が見られた時代は続いたようです。
東大出の有能な官吏である堺屋太一が怜悧な目で分析した未来のシビアな日本経済はほぼ当たってます。詳しくは最新版をご覧あれ。って本の宣伝になりますかね?
まあ、「それどころじゃない。こっちの生活やってくだけで大変なの!大体何も今の世の中わかって無いのにやたら威張って直ぐキレるじいさんやばあさん多過ぎない!」とは本音を言わないけど、シラっと冷たい視線を向けてくださるのは、どうも団塊の子ども世代とそれよりよりちょいと下の世代のようです。
これが、団塊世代が溺愛する孫世代になると「ばあちゃんでしょ。おばあさんって可愛がってくれるから大好き❤」という目線を感じるのですが、自惚れかしら。
という虫の良い話は別として暮れの横浜に出かけたてみると、駅の改装工事はすっかり済んで、綺麗なクリスマス模様です♪
どんなに人が変わろうと、時は止まらずこの1年は更けていきます。
又、楽しい(?)クリスマスの季節ですよ♪
平和でありゃこそでございます。団塊世代が楽しんでも許されてね。
又書評から遠く離れてしまいました。