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読書の森

怪談

昭和の時代、お盆近くになると映画やTV番組が怪談話で盛り上がりました。
『東海道四谷怪談』、『怪談牡丹燈籠』は文学色が濃くて、好きでした。

中でも『牡丹燈籠』は冥界に渡っている美女が恋しさのあまりこの世の若者の所に毎夜逢いに行くお話です。
「カランコロン」と闇夜に響く妖しい下駄の音、これは幽霊が歩く音なのだそうで、「へえ、幽霊にも足が有るのね」と驚いたのです。

怪談というより、ロマンチックな恋物語の様に思えました。
しかし、幽霊の相手の生身の男性は、ものの怪に憑かれて衰弱し切ってしまうのです。


この手の話は上田秋成の『雨月物語』に出ています。『牡丹燈籠』を知ってから読み耽ってました。
(ネットで検索するとこの物語を丸ごと読めますので、興味ある方はどうぞ)

この様な幻想的な怪談話にワクワク出来たのは若い内の事で、今のご時世はワクワクよりもゾミゾミしてまいります。

コロナウイルスが何やら妖怪めいて思えてきます。
怪談話など見なくても充分怖い事を堪能(?)出来ます。

コロナウイルスが今迄の感染症のウイルスと決定的に異なる事は、ごく短時間の内に変異して新たなウイルスとなり、強力な感染力や殺傷力を身につけてくる事です。

そして、人が本来持つ本能的欲求のみならず社会的欲求迄著しく阻害してきます。
生きがいを奪ってるのですね。
「何の怨みがあるのですか?」などと聞いたって、幽霊ならぬコロナウイルスは正体不明で人の目には見えません。

この媒体が人である為に、なんの怨みもない人迄顔を背けて挨拶も出来ない状態になってます。
この恐ろしさはまさに未曾有でございます。

ただ、古い歴史を見ると、全ての感染症は最初は未知の怪物であり、治癒不可能と思われたもので、長い間流行(?)してました。昔は情報収集や統計など出来ないので数が掴めないだけでした。
感染症はいつかは終わります。
諦めずにいましょう。


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