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読書の森

夜汽車 最終章

早朝、汽車は音を立てて東京駅に着いた。
それはクラシカルな美しい建物だったが、二人が驚いたのは、田舎では想像もつかぬ人の往来の多さだった。

周りをぼんやり見回していると、突き飛ばされそうな速さで、東京の人は歩いているように二人は思った。

「緑が少ないね」早苗が囁く。確かに目を射る様に立派なコンクリートの建物ばかりで街路樹は未だ整備していない。
ちょっと町を出ると、青い山と見渡す限りの田畠が続く大垣とは大違いである。

「そうね」と微かに文子は答えた。予想通りの大都会で街全体が一つの生命体のようにイキイキしている。
誰も余計な言葉をかけもしないし、明らかに田舎者と分かる親子をジロジロ眺める事もなかった。

戦後の東京は、歴史や個人の煩わしい過去を全て飲み込んでしまう程エネルギーのある所だった。

皇居のお堀近くを見て、恵三の話によく出た浅草迄足を伸ばしたが、二人共グッタリ疲れていた。


浅草寺の境内近くで傷痍軍人がアコーディオンで演奏していた。その音が妙に物悲しい。
早苗は「戦争でやられて脚失くしてしまったんでしょう?可哀想ね」
と、自分もやられてしまったかの様な声を出した。
「疲れたね」文子は早苗を労って、近くの蕎麦屋に入った。

馴染みのない濃い味付けの汁でも、二人の疲れた身体と心を満たした。
「凄い町だね」ポツリと同時に漏らした。

この町も慣れれば違うと、文子は考え直した。
口さがない田舎の噂、それにも増して強圧的な勝夫の言葉が又頭の中で渦巻いている。
どうするか。
無心に汁を啜る早苗を眺める。

「早苗さえ一緒だったら、と思うけど、この先どう生きていけば良いのだろうか」
ふうっとため息が出た。



二人が宿に向かう道で、遅咲きの桜が可憐な花を咲かせていた。
「この桜白いのね。珍しいね、綺麗ねえ、お母さん」
「ホント綺麗ね」

戦火に塗れた町にも、春は桜が咲く。

すぐに諦める事はない。すぐに決めてしまう事もない。今東京へ行かねばならないと言う事もない。
「そうだ。明日先生と相談して、それから考えよう」

文子は思う。今の私の判断だけでこの子の将来を決める事は無いのかも知れない、でもと、文子は早苗の小さな手をそっと握りしめた。


追記:又古い写真で恐縮ですが、見出し画像は昭和17年当時の皇居前楠木正成像です。この像は1900年にここに設置してからずっと変わり無く、つまり戦火を生き抜いた(無生物に変な形容ですが)像です。
この像の由来や楠木正成について調べると、軍国主義とは全く別な考え方から作られたものだと分かり、今になって目から鱗の思いです。
2014年に創った『夜汽車』の内容も親子に対する考え方も、今の自分とはかなり違います。出来るだけ当時に沿った内容にしましたがこのテーマはかなり重いですね。



読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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