読書の森

不来方の



「不来方の お城の草に 寝転びて
空に吸われし 十五の心」

これは石川啄木の歌集『一握の砂』に載る。

岩手県盛岡市の古城跡の草はらに寝転んだあの頃、多情多感の15の少年だった。
傷ついた心の鬱屈を、青く澄んだ大空はまるで吸い込んでくれるかの様だった。

家庭を持って、夢と程遠い生活に追われる中で、啄木は恋に悩み、自分の若さを持て余した15歳の頃の自分を思い出している。
その歌に込められた想いは切ないのに、何故か優しい静かな空色に染められる歌である。



不来方とは盛岡城の雅称である。
盛岡には不来方という名称の学校や会社が多くある。

ただ、ずっと以前、私が学生時代にこの歌を知った時、不来方を別の意味に解釈していた。
「二度と来ない方」だから不来方なのだと捉えていた。
あの青春時代の純潔な心を澄んだ大空に対応させた歌だと。

今この時は二度と来ないという諚にロマンを感じていた。
それが青春時代で、再現出来ないから美しいと勝手な解釈をした。

今となっては残酷な解釈だったと思う。
おそらく啄木は、帰れば決して変わらずに自分を迎えてくれる故郷の空と野っ原を思い描いてこの歌を詠んだのであろう。
懐かしく包み込んでくれる「不来方」を二度とないと解すれば切な過ぎる歌となる。

「もう一度あのシーンを」と再現出来ない事態の残酷さを私は知らなかった。

この様に歌の解釈とは難しい。

それとは全く別に、ただ茫漠と広がる青空も、無防備にただ寝転べる草はらも、今や希少価値となっている。
昔と今とどちらが贅沢だったのか?

私としては、柔らかな草はらに伸び伸びと大の字になって、青い空にポッカリ浮かぶ雲をいつまでも眺めていられる贅沢が、ヒリヒリする程したい。

優しい自然がもたらす贅沢は、今何処にあるのだろう。

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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