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読書の森

関ヶ原の戦いが予定されてたのは何故?

大垣城が関ヶ原合戦の西軍の陣営だった事を知った時から私の頭に?マークがついてしまいました。

どういう事かと言うと、予めここで戦いますよと約束して敵味方で戦争するものか?と言う事です。

関ヶ原合戦を映像化したものなで観るとまるでショーみたいで、名だたる武将が甲冑のファッション比べをして、「誰誰はあそこにいる」「彼が到着した」とか一々頷いてる。
芝居の舞台に違いないですが、「嘘みたい」です。

こんな事今の時代やってたら、ワヤでございますよ。

戦国の運動会の場所取り合戦に見えてくるのですけど。
これが実際日本に起こった天下分け目の戦争なので、死者も大量に出たと言うのが信じられない。
誰しも命は大事だと思うので、最初から死ぬの覚悟して堂々と戦いに臨む、と言う心理がイマイチ読めません。

普通襲撃する場所や時刻を教えないと思うのです。



これは日本人に限る事ではないらしく、古代から中世はお城を守る戦いばかりなので、戦う場所が決まっていますね。
これはいつ何処が狙われているか分からない現代との大変な差であります。

ただ昔にしても、本日から関ヶ原で戦いますよ、と味方にふれまわらなければ、日本全国から相当の大軍が集まらないのでしょうか?通信手段が限られてるから秘密が漏れていく心配があまり無いのでしょうね。

こっち側の陣営はここの地点までなんて、どう決めたのか?
などと余計な疑問ばかり出てくるのです。

関ヶ原の合戦自体は裏切り者が出た事が西軍の勝利に繋がります。
これは予め決まっていて、戦いの最中に寝返った訳ではないらしい。
狸親父の家康が根回ししておいたのですが、それもかなり悠長に感じます。

どうも石田三成は頭は良いけど真面目で融通が効かない人だったらしく、根回しとか談合とか、見っともないと嫌ってたらしいです。
こんな裏話は別にして私の疑問は全然解けてません。

日本の未来を決める大事な大事な戦いが一大顔見せショーみたいに見えてくるのです。

もう一度疑問点を提出しますね。
時間は1600年10月21日、場所は美濃国関ヶ原、この時刻ここで集合して戦いますよ、と触れ回ったのかどうか?

おまけのblogです^_^

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