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読書の森

露と落ち露と消えにし我が身かな

表題は太閤秀吉の辞世の句の初めの部分です。

最近の私、歴女と化して、やたら戦国時代に興味を持っております。それも京都周辺の攻防についてですが。
一旦、鎌倉時代に舞台が関東になったのに又京都に移ったのは、ひとえに朝廷が京の都にある故でしょう。

出自が低かった秀吉さんも雅な京に非常に憧れたらしいですね。彼は京都伏見区の伏見城で息を引き取ったのであります。

辞世の句の全文は
「露と落ち露と消えにし我が身かな
なにわのことも 夢の又夢」
です。
これほどの文才を持っていらしたのか、はたまたお付きの誰かが代作されたのか、美しい句であります。


秀吉さんは、立身出世した人の見本のような方で、難波(大阪)で今の4倍もあろうかという大阪城を作り、城内をあらん限りの金箔で飾り立て、煌びやかな女官に囲まれたこの方。

日本は元々金銀山に恵まれ地だったらしいのですが、「なにも使わないで取っておく事無い、生きてる間に有れば有るだけ使っちゃおう(?)」と言う秀吉さんの現世主義から始まって随分勿体無い使い方をされたみたいで、今はパーでございます。

秀吉さんの話の続きですが、それ以前に彼は大陸を制覇する野望を持っていたらしいです。朝鮮出兵から始まってインド迄攻略するつもりだった。
最初から躓いて、それから身体の故障が起きたようです。

などと意地悪な事ばかり述べましたが、大層知恵が回って明朗なこの方も晩年はかなり冷酷無残で疑い深い性格に変わりました。
ただし、自力で失敗知らずで成功した人の常として非常に楽天的で傍が甘かったみたい(私見です)。
それが多分豊臣政権の崩壊を招いたのでは(もっと私見)。



歴史家ではない私は勝手にストーリーを拵えて喜んでますが、これが晩年の楽しみになるのでしょうか?

話が変わりますが、時代は移って正岡子規が日清戦争の時読んだ句に
「生きて帰れ 露の命と言ひながら」
があります。(五木寛之『わが人生の歌がたりより)
戦争に勝とうと負けようと 戦死者になったらそれまでです。大義より人の命だと私も思いますが。

追記:写真が古いものばかりで恐縮です。
見出しが昔の家の写真、次が勤務時代いただいた弓ヶ浜織(鳥取県に伝わる伝統工芸)、次は夭折した私の伯母です。



読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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