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読書の森

ひとごろし?

昨日のblogで「一事不再理」について述べました。

例えば、正当防衛で有れば「殺人(人殺し)」とは見做さず非常に軽い罪になります。
正当防衛や過失致死を装って憎い相手を殺した。世間の同情を集めた上執行猶予の判決が出てそれに服す。被告人の意図が後で分かったとしても殺人罪は適用されない。
そんなバカな!と言っても現実にあるそうです(公には出来ない)。

このように、大量殺人をあまり好まず、アリバイ作りやトリックを追及していくプロセスを考えるのがお好きだった昔の作家は多いです。



日本人のミステリー作家の先駆けの江戸川乱歩の初期作品はまさに頭脳戦(?)の趣きがあります。晩年の作品はなんだか大量殺人のオンパレードになってしまいましたがね。

『二癈人』は身心喪失状態における殺人を扱ってます。
戦前の話、下宿生活を始めたばかりの大学生は、同じ下宿の友達から夜中に自分が常乱暴して困ると告げられる。本人は全然記憶してない。ところがそれから朝起きると人の貴重品が机の上にあったりする。夢遊病か?と疑う内に下宿人の一人が殺害されて現場に彼の持ち物があった。
結果、彼は心身喪失者として罪に問われる事はなかったがその後の人生を夢遊病の癈人として送られねばならなかった。
ところが、これは全部その下宿の友人が彼にかけた罠で夢遊病でもなんでもなかった、、。

友人の目的は、利害関係からの殺人を隠す為にあったのですが、信じ易く人の良い男の精神を殺す結果になったのです。
ぞっとする話です。

江戸川乱歩に限らず、本人が心身喪失を装い殺人を犯すミステリーはありますが、本作品が一番怖いです。

意図的に殺人を犯したにもかかわらず、罪を免れるもっともわかりやすい例は戦争の最中における殺人です。
銃弾の飛び交う中で味方の兵士が死んでも戦死と扱われ一々死因を調べてられません。

寒々しい事ばかり述べてしまいましたが、この頃の日本国内に限らず世界中かなり物騒な事件が多発してると感じます。
人の命がかなり軽くなってしまった。人口が減ってるのは何も日本だけでないです。

コロナが流行り始めた時は、いつか終わりが来ると信じてたのに、延々と収束しないどころか閉じこもりによる経済の疲弊、モノ不足、重大な戦争の没発、、庶民が「やってられないね」という心理になるのは当然です。

しかし、プーチンが戦争を続けても面と向かって「人殺し」と罵る事はできませんが、庶民が心や懐の窮乏のあまり人を殺したら、殺人です。

たとえ、どんなにストレスが重なろうとも、殺人は書籍やゲームの中で、つまり頭の片隅で行うのが安全です。


ミステリーの手法を考える内に、話がとんでお節介な事ばかり書いてしまいました。
反省。

追記^_^
見出し写真はかの芦屋駅(阪神)近くで、最後の写真は大阪駅構内の大黒様。
どちらも世の中の変遷に動じず長閑です。
こころからのんびりと生きたいなあ、と思います♪



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